鬼が出るか蛇が出るか 参
今は西の方にいるのだろう。
瀬戸物の白い陶器が売られているのをよく見かけた。
だが山の中に入れば海辺の市場とは逆に、また孤立した村々が存在している。
小夜子は十分に歩けるようになった弥生の手を引きながら、湿った山の中を転々と移動していた。
今は川の上流辺りに位置する村を訪れている。
山の中に無理やり人を住ませたような村だ。
民家は山の傾斜に合わせて建てられており、道も坂ばかりである。
おまけに深い森の中ともなれば、住民は狩猟で生計を成り立てているのか。
あるいはこの透き通るような川の水で染物でもしているのだろうか。
どちらにせよ、暮らしやすい所ではなさそうだ。
小夜子は一軒の家を訪ねた。
扉を軽く叩くと、中から高い声の女が返事をした。
扉を開ける前に訪ね人が誰かを訪ねている。
「月子姉さん、私、小夜子よ。」
小夜子がどこか懐かしみをこめた声でそう答えた。
すると扉はいびつな音をたてながらゆっくりと開いた。
「小夜子、久しぶりじゃないか。元気にしてたかい?」
中から出てきた女は長い髪を小夜子と同じように後ろで束ねており、京紫色の着物が気品を漂わせていた。
姿勢がよく、小夜子よりも涼し気な顔立ちが凛々しく見える。
「あたしは相変わらずよ。姉さんはどう?」
「私も同じだよ。まあ、立ち話もなんだ、入んな。」
そういって月子は小夜子の手を引こうとしたが、小夜子の後ろに子供がいることに気が付いた。
「小夜子・・・その子は?」
「弥生。私の子供よ。」
そう笑顔でそう返事した小夜子とは裏腹に、月子は怪訝な顔をしていた。
ともあれ二人を家の中に招き入れ、囲炉裏の火をよく燃やした。
「こんな山奥じゃ暖もなかなかとれなくてね、困ったもんだわ。」
月子は小言を言い始めた。
小夜子は困ったような笑顔でただ相づちをうっている。
どうやら月子は小言を言うのが癖らしい。
その間、弥生はただ静かに小夜子の横で正座をしていた。
月子の小言があらかた終わると小夜子は弥生の肩に優しく手を置いた。
「そうそう、まだ紹介してなかったわね。この人は私の姉で、月子姉さんよ。弥生、ご挨拶なさい。」
弥生は体を月子の方に向けなおし、軽く頭を下げた。
「弥生です。」
ただ一言だけ、細い声でそう発した。
月子は口元で笑顔を作り、「まあまあ、これはご丁寧に」と、弥生の方に体を向けた。
「森田 月子よ。弥生ちゃんのおばにあたるわね。歳はいくつだい?」
「に、・・・八つ。」
弥生は自分の外見に沿った年齢を言った。
弥生に物心がつき始めた頃、小夜子がそう教育していたのだ。
「そう、八つかい。あたしにも弥生ちゃんと歳の近い息子がいるんでね、仲良くしてやってね。」
弥生はゆっくり首を縦に振った。
その息子とやらわ、今外に遊びに行っているらしい。
小夜子がここにいても退屈だろうからと、弥生に外で遊んでくることを勧めた。
弥生は頷き、草履を履いて、秋風の吹く外へと出た。
先ほどよりも風が冷たくなった気がする。
弥生は外に出たはいいものの、どうすべきか考えていた。
その際、幾度か側の木にもたれかかる我を見ていた。
もうここまで理解していれば問題ないだろう。
弥生に声をかけてみることにした。
「遊ばないのか?」
いきなり声をかけられておどろいたのか、少し切り長の目を見開いた。
「・・・私に言ってるの?」
「おまえ以外誰がいるんだよ。」
弥生はまたひとつ頷き、ゆっくりと歩き始めた。
山の傾斜が緩やかな所で村の子供達が遊んでいるのが見える。
だが弥生はそれとは逆の方向へと向かって行く。
苔のこびり付いた岩がごろごろとある、更に湿った所だ。
近くから川の流れる音がする。
弥生は滑りやすい足場をゆっくり歩き、上流の川の激しい音の響く所で足を止めた。
弥生は苔のない石の上に座ったためここが到着地点らしい。
我も弥生と向かい合わせの木に腰をおろした。
ここは先ほどの場所よりかなり冷える。
川から吹く風が冬の空気のように肌を痛めつける。
ふと、水が岩に打ち付ける音の中で細い声が聞こえた。
「お兄さんは、人間じゃないの?」
弥生は目線を下にしたままそう尋ねた。
「なぜそう思う?」
「お兄さん、私以外の人に見えてなさそうだし、なんだか不思議な匂いがするもの。」
弥生は鬼の匂いに気づいていた。
「もうそこまで気づいていたか。そうだ、我は人ではない。おまえと同じ、鬼だ。」
弥生は相変わらず下をむいたままだ。
「私も鬼なんだ・・・。」
そう言って何度か頷いた。
「驚かないのか?」
「驚かないよ、むしろ納得した。」
弥生はようやく顔を上げた。
「お兄さんも鬼なら、この牙があるの?」
話すたびにちらつかせる鋭い牙を指差している。
ああ、なるほど。
牙を見られないよう、ずっと下を向いていたのか・・・・。
木から飛び降り、菅笠を外して弥生の前にしゃがんだ。
「どうだ、これが鬼の姿だ。」
弥生は下から上までじっくりと見ている。
そしてそのまだ小さな手で角を掴んできた。
「ほんとに、鬼って角があるのね。」
二本の角に、幼い弥生の冷たい体温が伝わってくる。
体が冷え切っているようだ。
だがもともと雪のように真っ白な肌だ。
冷えているのか、あるいはもとから冷たいのかもしれん。
この娘に角が生えたら、さぞ美しい鬼になるだろうな・・・・
「おまえもいつか生える時がくる。」
「それはいつなの?」
立ち上がると同時に弥生は角から手を離した。
「いつか分かる時がくる。」
弥生はそれ以上鬼について聞いてこなかった。
自分の素性を知るのが怖いのだろうか。
いや、怖さがこの子にあるのだろうか。
どちらにせよ、相変わらず心の読めない表情をしている。
「ねえ、鬼さん。いつから私のこと知ってるの?」
「お前が赤子の時からだ。と、言ってもたった二年前だがな。」
自分で口に出してみると、たったの二年であることを改めて感じた。
「鬼さん、名前は何て言うの?」
「・・・・シグレだ。」
弥生は小さく頷き、立ち上がると着物の裾を掴んできた。
そして掴んだまま、もと来た道を歩きだした。
一緒に戻ろうとでも言ってるかのようだ。
そんなことせんでも、我はずっと見ているのにな・・・・。
やはり鬼の素が強くても、半分はまだ人間だ。
どこか人間じみている部分もあるのだな。
家の前まで来た時、弥生は裾から手を離した。
扉の前で突っ立っている。
中に入ろうか迷っているらしい。
いつもならどこかの空き家で小夜子と二人で寝泊まりするが、今回は姉家族の家だ。
人様の家に戻るという経験は初めてなのだろう。
声をかけようとした時、後ろから弥生と同じくらいの歳の子が勢いよく坂を駆け上がってきた。
活発そうな少年だ。
丈の短い着物を肌蹴さしている。
少年は家の前で立っている弥生に声をかけた。
「おい、おまえ、俺の家に何か用か?」
弥生は口を開くことを避けるため、深く頷いた。
「なんだ、見かけない顔だな。おまえ、名前は?」
とても気さくな少年だが、弥生は困って下を向いた。
少年の声に気がついた月子が扉を開けた。
「何外で立ち話してるんだい。二人とも、中に入りな。」
少年が返事をしながら入るが、弥生は少し戸惑っていた。
そんな弥生に気がついた月子が手招きをした。
「扉は閉めておくれよ。夜は冷えるんでね。」
弥生は扉を閉めようとするが建付けが悪いのか、なかなか閉まらない。
我も家の中に入り、扉に力を入れてやると勢いよく閉まった。
弥生は小さくお辞儀している。
「弥生、おかえり。晃ちゃんと一緒だったのね」
弥生は急ぐように小夜子のもとへと寄った。
「違うよ、さっきそこで会ったんだ。おばちゃんの子供なの?」
少年が囲炉裏の火に手をあてながら尋ねた。
「そうよ、この子は弥生。弥生、この子は月子姉さんの子供の晃一郎君よ。」
弥生はやや引きぎみで小夜子にくっつきながら会釈だけした。
「ごめんね晃ちゃん。この子すごく人見知りなの。」
小夜子は事情が事情なだけにあらかじめ謝っておいた。
晃一郎という少年は興味なさそうに「別にいいよ」とだけ言って、夕飯を作っている月子のもとへと行った。
我は部屋の隅に腰を降ろし、一息ついた。
部屋の中は暖かく、人間の家庭の匂いがする。
「あっ、そういえば、兄さんは?」
小夜子が何かを思い出したかのように尋ねた。
「町の方に毛皮を売りに行ってるよ。いくらになるのかねぇ。」
そう言って山菜を味噌で煮詰めた鍋を囲炉裏に持ってきた。
この時季、茸類も収穫できるため、やや鍋の具材も豪華に見える。
晃一郎は「腹減ったー」と連呼している。
それを月子が「はしたないよ、女の子の前で。」と注意している。
今夜は賑やかになりそうだな。
外に出て、月夜を見ることにした。
賑やかな光景は見たくない。
キセルに火をつけ、大きく吸い込んだ。
口から噴き出す煙が夜空へと消えていく。
近くの立派な松の木にもたれてひと眠りすることにした。
「時雨、あの世はどんなところなんだい・・・。」
「それは、行ってみたら分かるよ。」
「私はいつか、おまえの世話になるかもしれんな。」
「そうだな。」
「楽しみにしてるよ・・・。」
鼻先に水滴を感じた。
・・・・・夢か。
久々に夢を見た気がする。
だが内容が思い出せん。
気が付けば雨がぽつぽつと降り始めていた。
ついさっきまで見えていた夜空が厚い雲で覆われている。
「家の中に入るか。」
扉からは光が漏れていた。
まだ誰かが起きているらしい。
扉を透き通り、中に入ると小夜子と月子が改まって話をしていた。
「弥生ちゃんがどこの子であろうと、あんたが次の人生を歩めているなら、あたしはいいと思うんよ。でもね、弥生ちゃんのためにも、葵のことは諦めなさいよ。」
「葵は今も、これからも私の娘よ。弥生だってちゃんと立派に育ててみせる。だから・・・」
ああ、例の葵という娘についての話か・・・。
月子は深くため息をついた。
葵という娘、どこかで聞いたことがある気がした。
珍しい名前でもないしな・・・。
ふと、視線を感じた。
襖の方を見ると、弥生が覗いていた。
今の話を聞いていたのだろうか。
我と目が合うと、静かに布団へと戻った。
「さて、どうしたものか・・・。」




