鬼が出るか蛇が出るか 壱
鬼。
それは人と同様、母親の胎内から産まれるもの。
その姿、人であり、鬼は自らが鬼であることに気づいていない。
鬼が鬼へと姿を変える時。
それは憎しみ、悲しみ、怒りが満ちた時である。
そして鬼へとなりたもの、地獄へと帰るべし・・・・。
まだ肌を刺すような冷たい冷気が漂う弥生の夜明けに一人の赤ん坊が産まれた。
母親にあたる女の悲痛な叫び声から、かなりの難産だったのであろう。
近くの浜から聞こえてくるさざ波の音が不吉に聞こえたほどだったとか・・・。
この難産に付き添った老婆は赤ん坊を取り上げると、ぬるま湯に浸し、真新しい厚手の布で赤ん坊を包んだ。
赤ん坊は産まれてすぐに泣き声をあげたが、不思議なことにたった数分で泣き止んだのだ。
「この子はきっと肝が据わっているに違ない。」
老婆は微笑みながら横でぐったりしている女性に話かけた。
難産ではあったが、女性の体と精神が頑丈なのであろう。
母親の女は横になったまま表情だけほころばせた。
「その子は女かい?それとも男かい・・・?」
女の旦那にあたる男が頼りなさげな声で尋ねた。
「可愛らしい女の子じゃ。あんたも父親になるんだから出産ぐらいで震えちゃいかんよ。」
老婆は軽く男に喝を入れるとゆっくりと赤ん坊を男に手渡した。
男は抱き方もぎこちなく、その大きな手と腕で優しく赤ん坊を受け取った。
「ああ、なんて可愛い子だろう・・・俺とおまえの子供だ・・・。」
体格に似合わず、ぼそぼそとした声でそう呟いた。
赤ん坊は自分の父親の声を聞いて安心したのか、大きく口をあけてまた少し泣き始めた。
その時、男は小さく悲鳴をあげ、顔を引きつらせた。
「どうしたんだい?」
女は不安そうに尋ねる。
「お、鬼の子だ・・・鬼の子が産まれよった・・・・」
何を言って・・・
女と老婆が返答する間もなく男は急に立ち上がると、赤ん坊を抱きかかえたまま夜明けの薄暗い道を一人走り去って行った。
※
織田信長が力を持つ現在、尾張国では城下町として栄え、戦もしばしば行われている。
だが主国から離れた土地では戦も城下町の華やかさもほど遠く、村のしきたりに従いつつ平凡な日常を送る日々である。
各村にとっての恐れは人や権力ではない。
作物に影響を及ぼす天候である。
そのため日照りや豪雨、土砂崩れなどの災害が続いた時、人々はその土地の神に生贄を捧げるのだ。
しかし近頃では災害は神の怒りではなく、鬼の存在のせいであると信じられるようになってきている。
鬼がその土地に災いをもたらしている。
そんな突拍子もない噂が現在では多くの人々に信じられているのだ。
それもそのはず、近頃では鬼の目撃が多発している。
見た者は皆口を揃えてこう語るのだ。
鋭い牙に額から生えた角、尖った長い爪に骨骨した蟀谷・・・そして恐ろしいがどこか吸い込まれそうな深い色の瞳をしている。
興味本意で鬼を探してはならない。
会ったら最期、地獄に連れていかれるぞ・・・。
見た者達は熱烈とそう語るが何も証拠がないのだ。
だが人々は容易にその話を信じてしまう。
そして今日もまた、可愛そうな鬼の子が犠牲になっている。
聞いたかい?竹林の側の垣内さんちの孫が鬼の子だったらしいわよ・・・
私あの子のこと知ってるけど、角なんて生えてなかったわよ・・・
当り前じゃないの、鬼は人の形をして産まれるんだから。ある日突然、鬼に姿を変えるのよ・・・
そうなのかい、それは初耳だわ・・・
今夜、鬼祓いが行われるらしいわよ・・・
かわいそうだけど、鬼なら仕方ないわね・・・
畑仕事の帰りの夫人達はひそひそと今晩のことについて話をしている。
どうやら、この村では鬼を山の頂上にある大樹に結び付けるらしい。
「山か・・・それはまた大層なこった。」
キセルを口に運び、煙を空へと吹きかけた。
今夜は山に登らなければいけないと思うと気分が憂鬱になる。
太陽が山々の隙間へと身を沈めていき、昼間の暖かい空気とは裏腹に、また肌を刺すような冷気が迷い込んできた。
村の男達が強張った面構えで神社の祠へと集まりだす。
神社の境内からその神社の神主であろう男がよそよそしく姿を現した。
「やはり・・・私にはまだ幼い少年を・・・殺めることは・・・・。」
二枚目の若い神主が震え混じりにそう呟いた。
「神主さん、あんたこの村に災いがきてもいいって言うんかいな」
村人の男が威勢よくそう吐いた。
「そういうわけでは、ただ、私にはこのような少年が災いをもたらすとは思えないのです。」
「あんたも見ただろ。あの餓鬼には角も牙も生えておったのを。」
やや怒鳴り混じりに男達は神主を説得し始めた。
神主はどこか納得のいかない面持ちのまま、ただ静かにうなずいた。
そして祠からがたいのいい男達と、腕と胴体がくっつく形で縄に縛られた細身の少年が神主達の前へと歩み寄ってきた。
「あの少年か。なんて細っこいやつなんだ」
その華奢な体には似合わず、角が生えている。
確かに鬼だ。
菅笠を深く被り直し、村人と少年の歩む方へとついて行く。
その際、少年は一度たりとも反抗や逃げる素振りを見せなかった。
深い山の中で村人達がもつ灯火が鬼火のように見える。
険しい山道を一時間ほど歩いた時、貫禄のある杉の大樹が見えてきた。
あれか・・・
少年はその大樹に身動きがとれないよう足も腕も縛られた上で結びつけられた。
結びつけるさい、男達は口々に「俺を恨まないでくれよ」「これが鬼の宿命なんだ」「すまねぇな」
そんなことを言っている。
だが当の本人である少年は聞いてるようには見えない。
ただ木々の間から見える月を見ているのだろうか、視点は上にあった。
少年を結びつけた後、神主が何かを唱えだした。
そして最後に幣を少年の足元に挿して儀式は終わった。
神主も含め村人達は逃げるように去って行く。
「意外とあっ気ないもんだな。我はてっきり首でも切り落とすのかと思ったんだがな」
本心である。
我が見てきた鬼祓いの中ではもっと残酷なものもたくさんあった。
少年は視点をゆっくりと下げた。
「あなたは、戻らないのですね・・・」
外見に似合わず低めの声だった。
「我は村の人間じゃないんでね。逆におまえを迎えにきた側だ」
縄を小刀で切っていく。
縄が全て外れたあと、少年はゆっくりと立ち上がった。
手首や足には縄の後が痛々し気についている。
「俺を・・・どこに連れて行くのですか・・・?」
「地獄だ」
この際普通の人間なら慌てふためくが、鬼になった奴はいつも納得したような顔になる。
「ですよね・・・俺は・・・」
「違う違う、お前は罪に問われんよ。単に実家に帰るようなもんだ。」
そう、鬼になった奴らは最初、自分の罪が原因で地獄に行くと思い込む。
もともと鬼は地獄の住人だ。
だから“帰る”だけである。
少年は月明かりに照らされてより一層、鬼に見えた。
「あなたも・・・鬼なんですか?」
「そうだ。我の名はシグレ。この世界に迷い込んだ鬼たちを迎えに行く仕事をしている。」
そう言った時、少年が勢いよく菅笠を掃い取ってきた。
月明かりが眩しい。
角に冷気が染み渡る。
「本当に鬼だ・・・」
なんて乱暴な奴だ・・・
「そうだって言っただろ。おまえ、名前は?」
「京・・・垣内 京」
「キョウ。おまえがどういう理由で鬼に戻ったかは聞かん。聞いたところでおまえは元々鬼だしな。」
鬼に賑やかな感情はない。
あるのは冷酷さだけ。
キョウも同様、もう昔のように人の心はないのだ。
「霧が濃い道があるだろ。そこを歩いて行けば地獄へと着く。」
キョウは一つ頷くと、導かれるように霧の中へと歩いて行く。
「シグレさん。隣の村で鬼の子が産まれたのを知っていますか? なんでもその赤ん坊は産まれた時から牙があったとか・・・産まれた時点で憎悪にでも塗れたんでしょうかね。」
キョウはそう言って霧の中に消えていった。
飛ばされた菅笠を手に取り、月明かりを避けるように深く被った。
「それは、興味があるな・・・・」
足元が肌蹴た黒い着物を直し、隣の村へと向かって山を降りて行く。
キセルの煙が今日も我を鬼へと導くだろう。




