第九回 三者会談編(第二十一章~第二十二章・外伝4)
※本ページには、『異世界艦隊日誌』第二十一章から第二十二章、および外伝4「マムアン、フソウ連合に行く」の内容と結末に関するネタバレが含まれています。
●帝国崩壊後の世界●
かつて世界最強と恐れられた聖シルーア・フセヴォロドヴィチ帝国は、三つの後継国家へ分裂した。
北部には、ノンナ・エザヴェータ・ショウメリアが率いるショウメリア公国。
西部には、アデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチを皇帝とする新たなシルーア帝国。
そして東部から中央・南部へ勢力を広げる、ソルシャーム社会主義共和国連邦。
しかし、旧帝国の崩壊によって争いが終わったわけではなかった。
三国はそれぞれ異なる政治体制と思想を掲げ、旧帝国の領土、資源、港湾施設、国民をめぐって対立を続けている。
その一方、フソウ連合、ウェセックス王国、フラレシア共和国、アルンカス王国は、国際海路警備機構――イムサを通じて、海上交通と国際協力の仕組みを広げようとしていた。
世界は、一つの帝国が支配する時代から、複数の国家と国際組織が複雑に結びつく時代へ移り始めていたのである。
●理想から遠ざかる連邦●
ソルシャーム社会主義共和国連邦では、最高指導者イヴァン・ラッドント・クラーキンの権力が急速に強まっていた。
帝国の身分制度と貧富の差をなくし、すべての人間が平等に暮らせる国を作る。
建国時に掲げられたその理想は、重税と圧政に苦しんでいた民衆へ大きな希望を与えた。
しかし、国家の維持には膨大な食糧、物資、燃料が必要だった。
イヴァンは各都市へ過大な供出を命じ、十分な物資を提出できない者や政策へ疑問を口にする者を、革命の敵と見なすようになる。
民衆を救うために誕生したはずの国家は、次第に国民を監視し、命令へ従わせる国家へ変わりつつあった。
イヴァンを支えるプリチャフルニア・ストランドフ・リターデンは、連邦の事実上の第二位に位置する人物だった。
彼も平等な国家という理念を信じていたが、無実の者まで処罰し、都市から食糧を奪い続けるイヴァンの政治へ、次第に疑問を抱くようになる。
プリチャフルニアが政策の修正を求めると、彼は一時的に職務から外され、行動を制限される。
復帰したとき、政府内の多くの役人はすでに入れ替えられ、イヴァンへ無条件で従う者たちが要職を占めていた。
理想を守るためにイヴァンへ従うべきなのか。
理想を守るためにイヴァンを止めるべきなのか。
プリチャフルニアは、その間で迷い始める。
連邦の恐怖政治を実行していたのが、国家治安政務代行機関――通称NABを率いるティムール・フェーリクソヴィチ・フリストフォールシュカだった。
彼は、罪を犯した証拠がなくても、反逆の疑いがあれば先に処罰すべきだと考える。
密告者すら利用価値がなくなれば排除し、反対派だけでなく、イヴァンとプリチャフルニアの関係を壊そうとする政府内の者たちも、自らの目的に利用した。
旧帝国の親衛隊を倒して生まれた連邦には、親衛隊とよく似た恐怖と監視の組織が形成されようとしていたのである。
●民衆の中に生まれる新たな抵抗●
連邦政府が統制を強める一方、その政策に反発する人々も現れ始める。
革命のために戦った元兵士。
夫や妻、子供を失った市民。
理想を信じていたにもかかわらず、現在の連邦が旧帝国と変わらない国家へ向かっていると感じる者たち。
彼らは、政府軍やNABに正面から対抗できるほどの力を持ってはいなかった。
それでも、家族と故郷を守るため、密かに解放義勇運動へ参加する者が増えていく。
帝国を倒した革命の中から、今度は革命政府へ抵抗する運動が生まれようとしていた。
一方、連邦は自国の思想を国外へ広げる活動も進めていた。
連盟領ルル・イファンへ送り込まれた活動家は、植民地の人々へ平等と独立を訴えようとする。
しかし、現地に先入りしていた同志たちは、本国から送られた資金で贅沢な生活を送り、革命活動への熱意を失っていた。
美しい理念が、国外へ持ち出された瞬間に別の利益や欲望へ利用される。
連邦の思想は植民地の独立運動へ火をつける可能性を持ちながら、同時に内部の腐敗も抱えていた。
●再び昇るショウメリア公国●
ショウメリア公国では、フソウ連合から派遣された工作艦明石を中心とする修理部隊が、ビスマルクとグナイゼナウの修復を進めていた。
異なる技術体系で建造された大型戦艦の修理は難航したが、二か月に及ぶ作業の末、両艦は再び戦列へ復帰する。
修理部隊は事故を起こすことなく任務を終え、公国側へ艦艇を引き渡した。
旧帝国海軍の組織力、北部地区の産業、フソウ連合と王国からの支援。
それらによって、ショウメリア公国は三つの後継国家の中でも、最も早く安定と軍事力を取り戻し始めていた。
ノンナとビルスキーアは、連邦が北部へ進出する前に、その海上輸送能力と港湾機能へ打撃を与える方針を取る。
公国艦隊は、連邦が利用する港や船舶を攻撃し、物資と兵員の移動を妨害した。
この一連の行動は、旧帝国海軍が敗北と崩壊から立ち直り、再び戦場へ戻ったことを示すものだった。
だが、連邦の船舶と港湾が徹底して破壊される光景は、海軍力をほとんど持たないアルンカス王国にも大きな不安を与える。
海上防衛を他国へ任せたままで、本当に独立国家と呼べるのか。
ショウメリア公国の作戦は、遠く離れたアルンカス王国で、新たな海軍創設の議論を生むことになる。
●アルンカス王国海軍設立への道●
アルンカス王国特別軍事顧問となった木下喜一大尉は、朝議の場で王国独自の海軍を設立するよう提案する。
王国にはフソウ海軍の駐在艦隊があり、イムサの本部と所属艦艇も存在していた。
そのため大臣たちからは、莫大な費用をかけて自前の海軍を持つ必要はないという反対意見が出される。
しかし木下は、外国軍に国防を任せきった国家は、本当の意味で独立しているとはいえないと訴える。
現在のフソウ連合が友好的であっても、未来まで同じ関係が保証されるわけではない。
また、豊かなアルンカス王国が経済発展すれば、その富を狙う国や勢力も必ず現れる。
自分たちの国を守る最後の力は、自分たち自身が持つべきだった。
木下が提案したのは、最初から巨大な艦隊を建設する計画ではなかった。
フソウ連合で余剰となった艦艇を借り受け、あるいは譲渡してもらい、まずは乗組員と指揮官を育成する。
王国の財政と技術力が成長した後、自ら艦艇を購入・建造できる体制へ移行する。
木下は、自らの地位と名誉を懸けてでも、フソウ連合から協力を引き出すと約束する。
長い議論の末、アルンカス王国政府は海軍設立へ向けて動き出すことを決めた。
同時にチャッマニー姫には、フソウ連合を公式訪問し、条約交渉を進める役目が与えられる。
それは外交任務であると同時に、国のために働き続けてきた幼い王女へ与えられた、短い休暇でもあった。
●世界を襲った異常気象●
その頃、世界各地では大規模な自然災害が相次いでいた。
クラッシクス諸島やランダーム列島では、長期間にわたる豪雨と洪水が発生。
世界有数の穀倉地帯であるアリットスタ大陸とイルデンシナ諸島では、異常に巨大化した蝗の群れが農地を襲った。
農作物だけでなく土壌まで被害を受け、翌年以降の収穫にも深刻な影響が予想される。
この二つの地域は、世界の穀物生産の大きな割合を担っていた。
その生産が一斉に止まれば、被災地域だけでなく、食糧を輸入している植民地や都市国家も飢えることになる。
特に大きな打撃を受けたのが、ウェセックス王国とフラレシア共和国だった。
両国の植民地政策では、それぞれの島や地域に特定の作物だけを作らせ、本国の経済へ組み込む方式が取られていた。
茶葉や香辛料などの商品作物へ土地を集中させた地域では、住民が自分たちで食べる穀物をほとんど生産していない。
平常時には効率的だった分業体制が、交易路と穀倉地帯を同時に失ったことで、植民地住民を飢餓へ追い込む原因となった。
王国だけでも、その経済圏が依存する食糧供給の相当部分を失うことになった。
王国と共和国は、アカンスト合衆国をはじめとする食糧生産国から穀物を購入しようとする。
しかし、災害の情報を得た商人たちは、値上がりを予想して食糧を買い占めていた。
倉庫には食糧が存在するにもかかわらず、より高く売れる時期を待って市場へ出されない。
食糧不足は自然災害だけでなく、人間の欲望によっても悪化していく。
各地で価格が急騰し、貧しい人々から先に食べ物を手に入れられなくなった。
●召喚が残した傷●
三島晴海は、フソウ連合へ流れ込むマナの量が減少していることへ気づく。
世界各地で発生した異常気象の時期と、パガラング海へ米空母艦隊が召喚された時期は、ほぼ一致していた。
鍋島と三島は、正体不明の組織が行った大規模召喚によって、世界を循環していたマナの流れが乱され、それが異常気象や蝗害を引き起こした一因ではないかと推測する。
召喚術は、異世界から艦艇を呼び出すだけの技術ではなかった。
世界そのものの均衡を崩し、無関係な人々の生活まで破壊する危険な行為だったのである。
海賊国家サネホーンでも、魔術に詳しい者たちがマナの異常を察知していた。
彼らは、旧帝国魔術師ギルドの生き残りが大規模な召喚を実行した可能性を考える。
パガラング海海戦で米軍人とホーネットを受け入れたサネホーンにとって、召喚の仕組みを調べることは、米軍人を元の世界へ帰す方法を探すことにもつながる。
フソウ連合とサネホーンは、まだ正式な関係を持っていなかった。
しかし、異世界召喚という共通の問題が、二つの海洋国家を接触させようとしていた。
●ポランド・リットーミンの選択●
ポルメシアン商業連盟の若手商人ポランド・リットーミンは、パガラング海海戦で失われたフソウ海軍機の残骸を回収していた。
航空機は各国が欲しがる最高級の軍事技術であり、売却すれば莫大な利益を得ることができる。
しかしポランドは、それをフソウ連合へ返還することを選ぶ。
表向きは善意による返還だったが、彼にはフソウ連合との直接交易を始めるための先行投資という計算もあった。
鍋島は、ポランドの行動に商売上の狙いがあったとしても、失われた搭乗員と機体を祖国へ帰してくれたことへ、心から礼を述べる。
その言葉を聞いたポランドは、鍋島が兵士を交換可能な道具ではなく、一人ひとりを大切にしていることを知る。
そして、単にフソウ連合を利用して利益を得るのではなく、鍋島のために自分の商人としての能力を使いたいと申し出る。
ポランドにとって鍋島は、年齢や古い慣習に縛られず、若くして世界を動かしている先駆者でもあった。
商業連盟では、長年商売を続け、四十歳を越えて初めて一人前と見なされる。
若いポランドは、その価値観によって何度も軽く扱われてきた。
しかし、二十代で国家と国際組織を動かす鍋島の姿を見て、自分も古い商人たちの常識を覆せると考える。
軍人と商人という違いはあっても、二人は既存の秩序へ新しい道を作ろうとする点でつながり始めた。
●スプルーアンスとの対談●
パガラング海海戦で降伏したレイモンド・A・スプルーアンス少将と米軍人たちは、リュウカン島の捕虜収容施設で生活していた。
フソウ連合は彼らを虐待せず、基本的な規則の範囲で比較的自由な生活を認めている。
定期的な点呼や事情聴取は行われるものの、捕虜という立場から考えれば、スプルーアンス自身が驚くほど穏やかな待遇だった。
鍋島はスプルーアンスと直接会い、互いの世界、国家、戦争について話を聞く。
鍋島にとって米軍人たちは、自分と同じ世界から来た可能性を持つ人々だった。
一方のスプルーアンスも、フソウ連合が自分たちの知る日本ではなく、複数国の艦艇と技術を持つ全く別の国家であることを理解していく。
すぐに元の世界へ帰す方法は見つからない。
それでも鍋島は、彼らを単なる敵や技術資料として扱わず、将来について話し合う相手として向き合おうとしていた。
●三者会談への招待●
食糧危機が深刻化したウェセックス王国は、フソウ連合へ支援を求める。
フラレシア共和国も同様の問題を抱えており、両国はそれぞれの植民地と国民を飢餓から守るため、大量の食糧、飲料水、農業資材を必要としていた。
しかし、合衆国から十分な量を確保することはできず、商人による買い占めも続いている。
そこで王国と共和国は、食糧生産に余裕を持つフソウ連合とアルンカス王国へ目を向ける。
フソウ連合は、以前からアルンカス王国の農業開発を支援し、海軍設立への協力と引き換えに、余剰食糧を国際市場へ供給できる体制を整え始めていた。
こうして、鍋島、アッシュ、アリシアによる新たな三者会談が計画される。
だが、今回の会談は、これまでのように戦争を終わらせたり、共通の敵を倒したりするためのものではない。
限られた食糧を、どの国へ、どれだけ、どのような条件で渡すのか。
数千万もの人々の生死と、各国の経済・植民地体制を左右する交渉だった。
砲撃や艦隊運動とは異なる形で、国家の未来を懸けた戦いが始まろうとしていた。
●外伝4――マムアン、フソウ連合に行く●
三者会談を前に、チャッマニー姫はフソウ連合を公式訪問する。
彼女にとっては、アルンカス王国海軍の設立と相互協力条約をまとめる外交任務である。
しかし、国のために働き続けてきたチャッマニーへ休息を与えたいという周囲の配慮もあり、旅程には視察や観光も組み込まれていた。
木下喜一、プリチャ、王国関係者とともに二式大艇へ乗り込んだチャッマニーは、初めての長距離飛行に胸を躍らせる。
機内で用意された弁当や、窓の外に広がる海と空。
王女としての責任から少し離れた彼女は、マムアンとして旅を楽しんでいた。
フソウ連合へ到着した一行は、伝統的な旅館へ宿泊し、各地区の文化、産業、食事を体験する。
チャッマニーは卵かけご飯や納豆に挑戦し、航空機へ乗り、映画館では自分とアルンカス王国を題材にした作品を見る。
訪問先では、多くの住民が彼女を温かく迎えた。
その歓迎には、鍋島が広報部を使ってアルンカス王国とチャッマニーの存在を国民へ紹介していたことも影響していた。
条約を政府だけの約束にせず、フソウ連合の国民にもアルンカス王国を友好国として受け入れてもらう。
鍋島は、外交関係を長く維持するには、国民同士の感情も重要だと考えていたのである。
客船あるぜんちな丸で開かれた歓迎会では、各国の料理と酒が振る舞われる。
チャッマニーは、アカンスト合衆国大使アーサー・E・アンブレラとも言葉を交わす。
幼い王女だからと侮るアーサーに対し、チャッマニーは彼がアルンカス王国市場への進出を狙っていることを見抜く。
国家を背負う中で育てられた彼女は、年齢こそ幼くても、外交の場では相手の思惑を読む力を身につけていた。
八月十二日。
フソウ連合とアルンカス王国は、
「フソウ連合・アルンカス王国相互協力条約」
を締結する。
条約には、経済、文化、教育、技術、安全保障に関する協力だけでなく、アルンカス王国海軍の正式な設立と、フソウ連合による艦艇・人材・教育面の支援も盛り込まれていた。
植民地や保護国に対して、宗主国が独自の海軍力を持たせることは珍しい。
そのため式典へ出席した外国外交官たちは、フソウ連合がアルンカス王国を支配するのではなく、本当に自立させようとしていることへ驚かされる。
チャッマニーは鍋島へ、なぜそこまでアルンカス王国を信頼し、力を与えようとするのかと尋ねる。
鍋島は、相手の上へ立って引っ張るのではなく、互いに同じ道を歩ける関係を作りたいと答える。
強い国が弱い国を守るだけでは、その関係はいつか支配へ変わる。
アルンカス王国自身が国を守り、フソウ連合と並んで歩けるようにすることが、鍋島の望む友好関係だった。
八月十五日には、チャッマニーは木下喜一の両親とも対面する。
木下の父は、将来を期待されていた息子が本国での出世を捨て、アルンカス王国へ残ったことへ複雑な感情を抱いていた。
しかしチャッマニーは、王女という身分を使って木下を奪ったのではなく、彼自身が自分の意思でアルンカス王国を選んだことを伝える。
最終的に木下の父は、息子へ「今の役目をしっかり果たせ」と言葉を残す。
それは直接的ではないものの、木下の選択を認め、背中を押す父親なりの返答だった。
八月十六日。
チャッマニー一行は、多くの思い出と正式な条約を携え、アルンカス王国へ帰国する。
王女として条約を成立させ、マムアンとしてフソウ連合の文化を楽しみ、木下の家族とも向き合った旅だった。
そして、その翌日には、鍋島、アッシュ、アリシアによる三者会談が始まろうとしていた。
食糧を買い集める闇の組織
世界が食糧危機へ向かう中、老師が率いる正体不明の組織も動き始める。
組織は信者から集めた資金、傘下の商会、脅迫や裏取引を利用し、数十万トン規模の食糧を買い集めていた。
人々を救うためではない。
食糧を支配すれば、飢えた国家と国民を支配できる。
価格を吊り上げることも、支援と引き換えに協力者を増やすこともできる。
老師にとって世界的な飢饉は、勢力を広げるための好機だった。
組織はドクトルト教国や合衆国内部へ影響力を広げ、共和国からも情報を集めていた。
一方、フソウ連合とウェセックス王国には十分な工作員を潜入させることができず、両国の動きを完全には把握できていない。
また、海賊国家サネホーンが米軍技術を手に入れ、独自の動きを始めたことも、老師にとって無視できない問題となっていた。
彼はサネホーンへ暗殺者を送り込み、新たな不安定要因を排除しようとする。
各国が食糧支援と協力の道を探す一方、闇の組織は混乱と飢餓を長引かせようとしていた。
●イムサ艦隊が出会った航空機●
三者会談が始まる直前、イムサ所属の第十三護衛隊は、航路警備任務中に国籍不明の水上機と遭遇する。
部隊を構成するのは、フソウ連合で建造されたO級駆逐艦。
乗り組んでいるのは、ウェセックス王国とフラレシア共和国の軍人たちだった。
両国は共同任務を行いながら、内心ではフソウ連合製駆逐艦の性能と運用情報を自国へ持ち帰ろうとしている。
しかし互いに同じ目的を持っていることを認めたことで、かえって率直な協力関係が生まれていた。
接近した航空機には、フソウ連合とも米軍とも異なる国籍標識が描かれていた。
それは、サネホーンが米軍から得た知識を利用し、すでに航空機を運用し始めていることを示していた。
イムサ側は警戒態勢を取るが、サネホーンの使者リンダ・エンターブラは、攻撃ではなく対話を求める。
海賊国家として恐れられてきたサネホーンが、国際社会との交渉へ踏み出そうとしていたのである。
●三人の代表者●
八月十七日。
アルンカス王国王宮に設けられた特別会場で、三者会談が始まる。
会場の中央に置かれたのは、三人が対等に向き合うための三角形のテーブルだった。
フソウ連合代表、鍋島貞道。
ウェセックス王国代表、アーリッシュ・サウス・ゴバーク――アッシュ。
フラレシア共和国代表、アリシア・エマーソン。
三人はトライデント作戦で協力し、個人的な信頼関係も築いていた。
しかし今回は、友人としてではなく、それぞれの国家と国民を背負う代表者として席に着く。
普段は鍋島へ親しげに接するアッシュとアリシアも、交渉中は厳しい表情を崩さなかった。
王国と共和国は、必要な食糧、飲料水、農業資材、技術支援の量を提示する。
両国とも災害によって財政が悪化しているため、支払いは二十年間の分割払いを希望した。
要求量には、交渉によって削られることを見越し、本当に必要な量より約三割多い数字が含まれていた。
鍋島は資料と両国の被害状況から、提示量の七割から八割ほどあれば、当面の危機を乗り越えられると見抜く。
アッシュとアリシアは、そこから支援量と支払い条件をめぐる厳しい交渉が始まると考えた。
ところが鍋島は、二人が求めた全量を受け入れると答える。
フソウ連合は援助しない
鍋島は、要求された量をすべて用意すると約束した直後、意外な言葉を続ける。
フソウ連合という国家は、王国と共和国へ援助を行わない。
アッシュとアリシアは、その言葉の意味を理解できなかった。
要求を受け入れながら、援助はしない。
一見すると矛盾した発言だった。
鍋島が考えていたのは、フソウ連合一国による支援ではなく、複数の国が参加する新たな国際組織を設立し、その組織を通して食糧と技術を提供することだった。
その組織の名は、
国際食糧及び技術支援機構
英語名、
International Food and Technology Assistance Organization。
通称、IFTA。
加盟国は、自国に余裕のある食糧、農業技術、医療、土木、輸送力などを提供する。
被災国は支援を受ける代わりに、将来、可能な範囲で資金、物資、技術、労働力などを組織へ返す。
一国がすべてを負担するのではなく、複数の国が、それぞれ提供できるものを持ち寄る仕組みだった。
支援を支配へ変えないために
アッシュとアリシアは、なぜフソウ連合が単独で支援しないのかと鍋島へ問いかける。
一国で王国と共和国を救えば、フソウ連合の国力を世界へ示すことができる。
両国へ大きな恩を売り、政治的な影響力も強められる。
国家の利益だけを考えれば、その方が有利に見えた。
しかし鍋島は、一国だけが支援を独占すれば、援助する側と援助される側の間に上下関係が生まれると考えていた。
食糧を与える代わりに政治へ口を出す。
支援を止めると脅して、相手国を従わせる。
たとえ現在の鍋島にその意思がなくても、将来の指導者が同じ姿勢を保つとは限らない。
国際組織を通せば、支援をフソウ連合だけの政治的武器にすることは難しくなる。
複数国が情報と負担を共有するため、支援物資の横流しや、一部勢力による独占も監視できる。
また、食糧を渡して終わりにするのではなく、農地の復旧、灌漑設備、作物の多様化、交通網の整備まで技術面から支援する。
被災地域が再び自分たちで食糧を生産し、経済的に自立できるようにすることが、イフタの本来の目的だった。
それは、王国や共和国の植民地体制を変える可能性も持っていた。
これまで植民地は、本国が求める商品作物や資源を生産するために利用されてきた。
イフタの支援によって現地の農業、教育、産業が発展すれば、植民地の人々は本国へ一方的に依存する必要がなくなる。
短期的には王国と共和国を救う。
長期的には、植民地が自立し、対等な交易相手へ成長できる環境を作る。
鍋島は、今回の飢饉を乗り越えるだけでなく、同じ危機を繰り返さない世界の仕組みを作ろうとしていた。
●アッシュが語った鍋島の考え●
王国側の使節の中には、フソウ連合が十分な援助を用意できないため、国際組織という形で責任を分散したのではないかと疑う者もいた。
それに対し、アッシュは鍋島の決断を擁護する。
フソウ連合には、合衆国と同じように援助を断る選択肢もあった。
それでも鍋島は、自国が用意できる食糧を差し出すだけでなく、不足分を集める方法と、将来同じ問題を起こさない仕組みまで示している。
恩を売るためではなく、救える人々をできるだけ救うために動いている。
長く鍋島と接してきたアッシュは、その判断が政治的な演技ではないことを理解していた。
アリシアもまた、フソウ連合が国際的な名声を独占しない選択に驚きながら、その合理性を認める。
イフタが成功すれば、共和国は食糧を受け取るだけでなく、農業と植民地統治そのものを見直さなければならない。
それは共和国にとって負担であると同時に、古い体制を変える機会でもあった。
●イフタの設立●
八月十八日。
フソウ連合、ウェセックス王国、フラレシア共和国、アルンカス王国の四か国は、国際食糧及び技術支援機構――イフタの設立を正式に発表する。
本部はアルンカス王国へ置かれることとなった。
アルンカス王国は豊かな農地を持ち、王国と共和国の中間に位置し、イムサ本部も存在する。
食糧の集積、輸送、各国代表者の協議を行う拠点として適していた。
イフタの設立は、世界へ大きな衝撃を与える。
食糧を買い占めていた商人たちは、国家と国際組織が大規模な供給網を作ることで、価格を吊り上げられなくなる可能性に直面する。
一方、食糧を適正な価格で運びたい若い商人たちにとっては、巨大な新市場が生まれたことになる。
ポランド・リットーミンやクルシュナット商人連合の若者たちは、飢餓を利用して利益を独占するのではなく、食糧と物資を必要な場所へ届けることで、商人として成功する道を探し始める。
鍋島は記者会見、加盟国との調整、支援量の計算、輸送計画に追われる。
戦争では、敵艦隊を撃破すれば一つの区切りを迎える。
しかし国際組織は、設立を発表した瞬間から、現実に人と物を動かし続けなければならない。
イフタは鍋島へ新たな名声を与えると同時に、これまで以上に大きな責任を背負わせることとなった。
●発展を続けるイタオウ地区●
イフタとイムサの活動拡大により、フソウ連合では輸送船、護衛艦、民間船の需要が急増する。
その建造拠点として成長していたのが、イタオウ地区のフルベ市だった。
かつてアンネローゼの工作と暴動によって行政と産業が崩壊した地区は、計画的な工業地帯、造船所、道路、住宅の整備によって、新たな産業都市へ変わっていた。
汚職を排除し、事業を一部の有力者だけへ集中させず、住民へ仕事と収入が行き渡る仕組みが作られている。
その結果、海軍による統治へ反発していた住民の間にも、復興と開発を評価する声が増えていた。
造船所では、イムサや外国への供与を想定したO級駆逐艦、構造を簡略化した峯風型駆逐艦、輸送船などの建造が進められる。
フソウ海軍の模型実体化能力だけに頼らず、国内産業で実用艦艇を量産し、友好国や国際組織へ供給する。
同時に、航空機や空母の改良計画も進められていた。
フソウ連合は、戦闘で敵を倒す力だけでなく、国際協力を物資と技術で支える生産力を持つ国家へ変わろうとしていた。
●ショウメリア公国からの要請●
三者会談を終えた鍋島は、休む間もなくフソウ連合へ戻り、緊急会議へ出席する。
ショウメリア公国から、新たな支援要請が届いていたためである。
公国はフソウ連合と王国の支援によって軍事力を回復したが、連邦や新シルーア帝国との対立は続いている。
さらに支援を求める公国へ応じ続ければ、フソウ連合が旧帝国の内戦へ深く引き込まれる危険があった。
鍋島、山本、新見たちは、公国を安定勢力として支える利益と、公国から都合よく利用される危険の双方を検討する。
友好国だから無条件に援助するのではなく、支援の目的、範囲、見返りを改めて見極めなければならなかった。
サネホーンからの国交要請
もう一つの重大な問題が、海賊国家サネホーンからの接触だった。
サネホーンは、フソウ連合との正式な交渉と外交関係の樹立を求める。
しかし、フソウ海軍内部には、長年商船や民間人を襲ってきた海賊を信用できないという意見が強かった。
交渉を始めるだけでも、サネホーンの過去を認めたと受け取られる可能性がある。
一方、サネホーンは米軍人、ホーネット、航空技術、召喚に関する情報を持っている。
敵として放置するより、一定の条件で国際社会へ組み込んだ方が、海上の安全へつながる可能性もあった。
フソウ連合側が示した基本条件は厳しいものだった。
海賊行為を全面的に禁止すること。
国家の領域と国境を明確にすること。
人口、政治制度、主要産業など、国家として必要な情報を公表すること。
サネホーンが単なる略奪者の集団ではなく、一つの国家として責任を負うことが、交渉開始の前提だった。
的場良治は、最初から拒絶するのではなく、まず相手の話を聞くべきだと主張する。
かつて王国、共和国、帝国海軍とも、戦争や対立を経た後に関係を変えることができた。
サネホーンも、本当に海賊行為を捨てる覚悟があるなら、変わる可能性はある。
的場は自ら交渉へ参加したいと希望するが、方面部司令としての職務があるため認められなかった。
代わりに、人物を観察する能力を評価されていた青島少尉が、交渉団の候補として名前を挙げられる。
●三者会談編●
第二十一章から第二十二章で描かれたのは、艦隊同士が砲火を交える戦争ではない。
食糧、交易、技術、思想、外交によって国家の存亡が決まる、新しい戦いだった。
自然災害と召喚術の影響によって、世界の穀倉地帯は壊滅的な被害を受ける。
王国と共和国の植民地体制は危機に陥り、連邦では理想が独裁へ変わり、商人と秘密組織は飢餓を利益と支配へ利用しようとした。
その中で鍋島が選んだのは、フソウ連合だけが英雄となる道ではなかった。
イムサで海路を共同管理したように、今度はイフタを作り、食糧と技術を各国で支え合う仕組みを作る。
それはフソウ連合の利益と名声を一部手放す代わりに、支援が支配へ変わることを防ぐ選択だった。
外伝4で描かれたチャッマニーの訪問も、同じ思想を別の角度から示している。
アルンカス王国へ海軍を持たせ、技術を教え、自分たちで国を守れるようにする。
弱い相手を保護するのではなく、隣を歩ける友人へ育てる。
鍋島の外交は、相手を従わせることで安全を得るものではなく、相手が自立することで、互いに長く協力できる関係を作るものだった。
だが、世界のすべてがその方向へ進んでいるわけではない。
連邦の独裁化。
老師の食糧買い占め。
ショウメリア公国と後継国家の対立。
航空戦力を持ち始めたサネホーン。
食糧危機は一つの国際組織だけで解決できるほど小さな問題ではなく、イフタの成功を妨げようとする者たちも存在する。
三者会談によって新しい協力の形は生まれた。
しかし、それを現実の平和と繁栄へ変えられるかどうかは、これからの行動に懸かっているのである。




