第三回 ヒュドラ作戦編(第七章~第九章)
※本ページには、『異世界艦隊日誌』第七章から第九章までの内容および結末に関するネタバレが含まれています。
●新たな友好国●
『夜霧の渡り鳥』作戦によってシルーア帝国東方艦隊を壊滅させたフソウ連合。その存在は世界中に知られ、各国がそれぞれの思惑を持って動き始めていた。
その中でも特に素早く反応したのが、アカンスト合衆国だった。
合衆国から派遣された特使アーサー・E・アンブレラは、フソウ連合の長官である鍋島貞道と会談。両国は通商、文化交流、相互援助を柱とする条約を締結する。
かつて植民地から独立した歴史を持つ合衆国は、フソウ連合を支配や併合の対象ではなく、対等な国家として扱った。
フソウ連合にとっても、ウェセックス王国に続く新たな友好国を得たことは大きな意味を持っていた。
一方、国内では杵島マリを中心に、ガサ沖海戦や『夜霧の渡り鳥』作戦を題材とした映像作品の制作が進められる。
軍事力だけでなく、外交、貿易、文化、広報によって世界との関係を築くことが、新たなフソウ連合の方針となり始めていた。
●帝国が支払った召喚の代償●
東方艦隊を失ったシルーア帝国では、中央艦隊司令長官アデリナ・エルク・フセヴォロドヴィチが、フソウ連合への怒りを募らせていた。
帝国は失われた戦力を補うため、異世界から新たな艦艇を召喚する。
召喚されたのは、シャルンホルストとグナイゼナウ。
すでに帝国が保有するビスマルク、ティルピッツに続く、異世界由来の強力な戦艦だった。
しかし、その召喚は奇跡などではなかった。
召喚術を実行した帝国魔術師ギルドでは、百名を超える若い魔術師たちが術式の犠牲となった。
ギルド長ヨシフ・ヤーコヴレヴナ・エレンムハは、友人である宰相グリゴリーの要請を受け、若者たちの命を国家の戦力へと変えたのである。
新たな二隻を手に入れた帝国だったが、艦が存在するだけでは戦力にはならない。
乗組員の育成、弾薬の準備、整備、訓練には時間が必要だった。
帝国には強力な艦艇が増える一方、それを十分に動かせる人材と物資が不足し始めていた。
●王国へ赴任した斎賀露伴●
フソウ連合では、トモマク地区責任者を退いた斎賀露伴が、ウェセックス王国駐在大使として新たな役目を与えられる。
若い頃に王国を訪れた経験を持つ斎賀は、海軍軍務大臣メイソン卿をはじめ、王国側の旧知の人物たちと再会する。
斎賀が王国へ持ち込んだのは、フソウ連合との友好を示す言葉だけではなかった。
帝国が新たな大型艦を建造、あるいは召喚していること。
修理中だったティルピッツが、再び行動可能になりつつあること。
帝国海軍が大規模な作戦を準備している可能性があること。
それらの情報は、帝国との戦争を続ける王国にとって極めて重要なものだった。
かつてフソウ連合を王国へ従属させようとした斎賀は、今度は両国を対等な同盟国として結ぶ外交官となったのである。
●イタオウ地区に潜む魔女●
その頃、フソウ連合の内部でも、静かな異変が進行していた。
川見悟中佐は、イタオウ地区から送られてくる報告書に、不自然なほど問題が記されていないことへ疑問を抱く。
調査のため川見に同行したのは、三島晴海の一族に属する魔術師、三島小百合だった。
二人は夫婦を装ってイタオウ地区へ潜入する。
現地では、役人や有力者たちが若い女性に惑わされ、判断力を失い、行政組織そのものが徐々に支配されつつあった。
その背後にいたのは、シルーア帝国の魔術師アンネローゼである。
ウェセックス王国を内部から混乱させた彼女は、今度はフソウ連合の各地へ協力者を送り込み、人々を操っていた。
川見はアンネローゼと直接対峙する。
彼女の魔術によって心を支配されかけるものの、小百合から渡されていた護符と、彼女を守らなければならないという思いによって踏みとどまった。
アンネローゼは負傷しながらも逃走する。
その後、小百合はイタオウ地区各地に作られていた魔術的な拠点を解除し、操られていた人々を救出。汚染された行政組織の再建にも着手する。
しかし、アンネローゼが仕掛けた工作のすべてを取り除くことはできなかった。
川見たちが発見したのは、フソウ連合を内側から崩壊させようとする巨大な計画の一部にすぎなかったのである。
●帝国と共和国の共謀●
アンネローゼは、帝国だけの命令で動いていたわけではなかった。
彼女はフラレシア共和国の魔術師ピエール・パシェッタとも協力し、フソウ連合への工作を進めていた。
さらに、その背後には共和国の軍師アラン・スィーラ・エッセルブルドがいた。
アランは、フソウ連合を正面から攻撃するだけでは勝てないと考えていた。
そこで帝国、共和国、国内工作員を同時に動かし、北、南、そして国内の三方向からフソウ連合を攻撃する計画を立案する。
複数の首を持つ怪物になぞらえ、その作戦には――
『ヒュドラ作戦』
という名称が付けられた。
帝国艦隊が北方から侵攻する。
共和国艦隊が南方から侵攻する。
さらにアンネローゼたちがフソウ連国内で反乱を起こし、軍や政府の対応を分散させる。
帝国と共和国は、互いを完全に信用してはいなかった。
しかし、急速に台頭したフソウ連合を排除するという一点において、両国の利害は一致していた。
●戦争を防ぐための演習●
共和国艦隊の不穏な動きを察知した鍋島は、アカンスト合衆国との合同演習を提案する。
名目は、海賊への対処と海難救助訓練。
しかし実際には、フソウ連合と合衆国が軍事的にも協力関係にあると周辺諸国へ示すためのものだった。
鍋島は合衆国へ護衛駆逐艦二隻を譲渡し、演習への参加を求める。
アーサーは、この演習が共和国への牽制であることを理解したうえで協力を受け入れた。
共和国のアランも、演習が実戦的な軍事同盟なのか、それとも見せかけの威嚇なのか判断できなかった。
だが、判断できないこと自体が脅威だった。
合衆国が本格的に参戦する前に作戦を実行しなければならない。
そう考えたアランは、『ヒュドラ作戦』の開始を急ぐ。
鍋島の威嚇は戦争を止めることこそできなかったが、敵の予定と判断に影響を与えることには成功していた。
●潜水艦による帝国偵察●
開戦が近づく中、伊号第四百潜水艦は帝国海域へ潜入し、敵艦隊の動向を偵察する。
指揮を執る岸辺少尉は、帝国がティルピッツ、シャルンホルスト、グナイゼナウを実戦へ投入しようとしていることを確認する。
しかし帰還途中、帝国の小型艦リッターラーゼに発見されてしまう。
岸辺は情報を持ち帰るため、敵艦を魚雷で撃沈した。
これはフソウ海軍潜水艦部隊にとって、初めての実戦戦果となった。
だが、撃沈されたリッターラーゼには、帝国艦隊が使用する重要な砲弾が積まれていた。
その喪失によって、ティルピッツが使用できる主砲弾は制限されることになる。
一隻の小型艦の撃沈が、後の大海戦に大きな影響を与えることとなった。
● 十二月二十四日――ヒュドラ作戦発動●
帝国は百隻を超える艦隊を北方へ集結させた。
共和国もまた、百三十隻を超える大艦隊を南方へ送り込む。
帝国艦隊は、ティルピッツを中心とする第一艦隊と、シャルンホルストを中心とする第二艦隊、さらに上陸支援部隊によって構成されていた。
共和国側も主力艦隊とは別に、上陸部隊を乗せた秘密部隊を用意していた。
十二月二十四日。
北と南の二方向から、敵艦隊が嵐の結界へ侵入する。
報告を受けた鍋島たちは、共和国艦隊を先に撃破し、その後に全戦力を北へ転用する作戦を立てる。
北方方面艦隊には、帝国艦隊を撃破することではなく、可能な限り長く足止めする役割が与えられた。
北方方面艦隊司令の的場良治少佐は、圧倒的な戦力差を理解しながら、その命令を引き受ける。
フソウ連合の存亡を懸けた、三正面の戦いが始まった。
●共和国主力艦隊という囮●
共和国艦隊は、六層にも及ぶ巨大な陣形を組んで南方から進撃する。
しかし嵐の結界を抜けた直後、待ち構えていたフソウ連合艦隊から集中砲撃を受けた。
山本平八中将率いる連合艦隊は、敵の射程外から正確な砲撃を加え、共和国艦隊を徐々に削っていく。
だが、共和国の軍師アランにとって、南方の大艦隊は本命ではなかった。
主力艦隊は、フソウ海軍を南へ引きつけるための囮だったのである。
真の目的は、装甲巡洋艦、輸送船、上陸部隊からなる別動隊を迂回させ、フソウ連合の首都シュウホン地区を直接占領することだった。
六千八百名の上陸部隊が首都を制圧すれば、海上でどれほど勝利しても、フソウ連合は国家としての機能を失う。
共和国側は、フソウ連合の陸上戦力が海軍ほど強力ではないことを見抜いていた。
●修正を迫られるフソウ連合●
共和国の別動隊を発見した鍋島は、当初の作戦を変更する。
第三艦隊と航空部隊を首都防衛へ向かわせる。
その結果、北方方面艦隊へ送る予定だった増援は、さらに遅れることになった。
帝国の大艦隊を相手に持久戦を続ける的場へ、もうしばらく耐えるよう命じなければならない。
鍋島は、自分の命令が北方方面艦隊の将兵を死地へ追いやることを理解していた。
その命令を伝えたのは、秘書官の東郷夏美だった。
的場の幕僚たちは厳しい命令に怒りを示す。
しかし的場は、部下の命を何より大切にする鍋島が、この命令を下さなければならなかった意味を考えた。
長官が自分たちを見捨てたのではない。
それだけ切迫した状況が、別の場所で起きている。
的場はそう判断し、命令を受け入れた。
● 首都攻略部隊の壊滅●
共和国の首都攻略部隊は、フソウ海軍の艦隊がいない海域を進み、シュウホン地区へ接近する。
しかし、その前に現れたのは、フソウ海軍航空隊だった。
共和国軍にとって、軍用航空機は未知の存在だった。
丸山少尉率いる航空隊は、装甲巡洋艦、輸送船、上陸部隊へ空から攻撃を加える。
逃げることも反撃することもで→きない共和国部隊は、次々と撃沈されていった。
一方、南方の共和国主力艦隊も、山本率いる艦隊によって壊滅状態へ追い込まれる。
首都攻略と主力艦隊による陽動。
共和国側が用意した二つの作戦は、ほぼ同時に崩壊した。
ヒュドラの南方の首は、ここに切り落とされたのである。
●イタオウ地区の反乱●
海上で戦闘が続く中、アンネローゼが仕込んだ国内工作も発動する。
イタオウ地区では、政府への抗議集会が急速に暴徒化した。
操られた人々とアンネローゼの協力者たちは、役所や主要施設を占拠する。
暴動の目的は、単に地区を混乱させることではなかった。
帝国の上陸支援部隊が到着するまで行政と防衛を麻痺させ、イタオウ地区を内部から帝国へ引き渡すことが狙いだった。
三島小百合は、アンネローゼを止めるため単独で魔術的な結界へ踏み込む。
自分より遥かに強い相手であることを承知しながら、小百合は魔力を増幅する赤い魔石を使用。結界を破壊し、アンネローゼを川見の射線上へ追い出した。
川見が放った銃弾はアンネローゼを捉える。
しかし、アンネローゼはピエールから渡されていた転移用の腕輪を使い、重傷を負いながら逃走した。
敵の首謀者が姿を消したことで、暴動は急速に勢いを失う。
フソウ海軍と地区部隊は、銃火器を使うことなく騒乱を鎮圧した。
帝国上陸部隊も潜水艦や増援部隊に阻止され、イタオウ地区の占領は失敗する。
ただし地区の被害は甚大で、行政機能は完全に麻痺した。
フソウ海軍は一時的にイタオウ地区の統治を引き受け、救援物資の配布と復旧作業を開始する。
ヒュドラの内側の首も切り落とされたが、その傷跡は深く残った。
●北方方面艦隊の持久戦●
北方海域では、的場率いる北方方面艦隊が、アデリナの帝国艦隊を相手に戦い続けていた。
戦力差は圧倒的だった。
北方方面艦隊の任務は、敵を撃破することではなく、生き残りながら時間を稼ぐことである。
的場は島影、夜闇、悪天候、既存の機雷原、酸素魚雷を利用し、帝国艦隊へ小規模な攻撃を繰り返す。
野辺大尉たちも敵艦隊の後方や側面へ回り込み、魚雷攻撃によって混乱を広げた。
アデリナは、まともに決戦を挑もうとしないフソウ艦隊に苛立ち、ティルピッツを率いて追撃を続ける。
一方、帝国艦隊には、ティルピッツを中心とする第一艦隊だけでなく、シャルンホルストを中心とする第二艦隊も存在していた。
的場たちは、増援が到着しないまま、十時間近くにわたって帝国の大艦隊を足止めすることになる。
●最上とティルピッツ●
的場は、ティルピッツを帝国艦隊本隊から引き離すため、軽巡洋艦最上を囮として前へ出す。
最上はティルピッツの砲撃を受けながら、懸命に距離を保ち続ける。
装甲も火力も、軽巡洋艦と巨大戦艦では比較にならない。
それでも最上は、的場の作戦を信じて戦った。
最上が放った魚雷を避けようとしたアデリナは、ティルピッツを加速させる。
その結果、ティルピッツは護衛艦隊から大きく離れ、孤立する。
的場は、機雷原の通路を塞いでいたコンクリート船を破壊し、ティルピッツの退路を閉ざす。
最上は砲撃によって大きな損傷を受け、航行すら困難な状態となった。
それでも的場は、最後にもう一度、魚雷攻撃を行ってほしいと頼む。
最上はその命令を受け入れた。
二人の間にあったのは、命令に従う上官と部下の関係だけではない。
互いの判断と覚悟を知る、戦友としての信頼だった。
最上の最後の魚雷攻撃によって、アデリナはティルピッツの艦首を敵へ向ける。
しかし、それこそが的場の狙いだった。
ティルピッツは逃げ道を失い、閉じられた機雷原へ追い込まれる。
機雷によって艦首と艦尾へ大きな損傷を受けたティルピッツは、行動不能となった。
ノンナは感情的に戦い続けようとするアデリナを拘束し、乗組員へ退艦を命令する。
帝国海軍の象徴だったティルピッツは、放棄された後、自沈処分となった。
北方方面艦隊は、真正面からでは到底勝てない巨大戦艦を、作戦と信頼によって撃破したのである。
●新見艦隊対帝国第二艦隊●
北方基地へ向かっていた帝国第二艦隊の指揮官は、ビルスキーア・タラーソヴィチ・フョードル少将だった。
若いながらも優れた指揮能力を持ち、感情に流されることなく戦場を分析する人物である。
迎え撃つフソウ海軍側も、急きょ編成された新見正人准将の特別水雷戦隊だった。
新見は参謀として豊富な経験を持っていたが、手元にあるのは軽巡洋艦二隻と駆逐艦十一隻。
しかも防空任務を重視した艦が多く、巨大なシャルンホルストを正面から撃破できる火力は限られていた。
新見は敵を挟撃しようとし、ビルスキーアはそれを見抜いて陣形を変える。
互いに相手の意図を読み、先手を取り合う戦いとなった。
双方の艦艇が損傷し、多数の将兵が海へ投げ出される。
やがてビルスキーアは、国際的な海難救助の慣例に基づき、一時的な停戦を提案する。
新見はそれを受け入れた。
彼の任務は帝国艦隊を全滅させることではなく、北方基地への攻撃を阻止することだった。
第二艦隊は生存者を救助した後、戦場から撤退する。
新見はビルスキーアを、今後も警戒すべき危険な指揮官として記憶することになる。
●ウェセックス王国の反撃●
帝国と共和国の艦隊がフソウ連合へ向かっている間、ウェセックス王国も行動を開始していた。
斎賀露伴からの情報によって、帝国本国の防備が手薄になっていることを知った王国は、ミッキー・ハイハーン中佐を中心とする艦隊を出撃させる。
艦隊の中核となったのは、フソウ連合から譲渡されたネルソンとロドニーだった。
王国艦隊は帝国本国の重要軍港アレッサンドラを攻撃する。
港に残されていたグナイゼナウは、乗組員の訓練が終わっておらず出撃できない。
要塞砲もネルソン級の主砲射程には及ばず、一方的な砲撃によって基地機能は破壊された。
帝国はフソウ連合を倒すために主力艦を送り出した結果、自国の中枢へ大きな打撃を受けることになった。
かつて帝国東方艦隊を率いていたアレクセイ大将は、囚人として軍港が破壊される光景を目撃する。
祖国と海軍の未来を案じ続けた彼は、その夜、自ら命を絶った。
●ヒュドラ作戦の終決●
十二月二十四日午後五時二十三分。
帝国と共和国による『ヒュドラ作戦』は、事実上の失敗に終わった。
南方から侵攻した共和国主力艦隊は壊滅。
首都を狙った共和国別動隊も、航空攻撃によって撃破された。
イタオウ地区で起こされた反乱は鎮圧され、帝国の上陸支援部隊も撃退された。
北方では、ティルピッツが失われ、帝国第二艦隊も侵攻を断念して撤退した。
さらに帝国本国のアレッサンドラ軍港までが、王国艦隊の攻撃によって破壊されている。
フソウ連合は、三方向から同時に襲いかかった敵を退けた。
しかし、それは余裕のある勝利ではなかった。
共和国には首都周辺の陸上防備の弱さを見抜かれた。
アンネローゼには国内の不満と腐敗を利用された。
北方方面艦隊は、増援が来ないまま長時間の持久戦を強いられた。
作戦の途中では、何度も当初の計画を変更しなければならなかった。
勝利を支えたのは、強力な艦艇だけではない。
鍋島の決断。
東郷の覚悟。
川見と小百合の諜報戦。
的場と最上の信頼。
山本と新見の指揮。
航空隊、潜水艦部隊、陸戦隊、各地区の住民、そして同盟国の行動。
それぞれが別の場所で役割を果たしたことで、複数の首を持つ怪物は倒されたのである。
ヒュドラ作戦は、フソウ連合が海軍だけで守られる国ではなく、外交、情報、陸上防衛、航空戦力、そして同盟国との連携を必要とする国家であることを明らかにした。
勝利の代償と課題を抱えながら、フソウ連合は戦後処理と、さらに大きくなった国際的責任へ向き合っていくことになる。




