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卒業放送⑥

 学校に一歩踏み入れると同時に香田さんは体を黒く溶かし、ゆっくりと進み始めた。


 落ちたリボンを、黒い足が踏みつけ汚す。それがとても……悔しかった。


 嬉しそうに撫でていたリボンを、香田さんがつけることはもうないんだ。


 黒いそれは、教室に向かっていく。これまで皆の意見をまとめて来た彼女は、クラスメートたちに縋るように名前を呼ばれても止まることはなかった。


「くそがあっ!」


 田中君が倒れていた樫木をわざわざ立たせると、固く握った拳を顔面目掛けて振り抜いた。


「あがっ……!!うぅ……この、単細胞がぁ!!」


 尻もちをつきながら悪態をついた樫木を血走った眼で見降ろしながら、田中君が更にもう一発。


 クラスメートの誰も、彼を止めようとはしない。僕もそうだ。みんな気持ちは同じはずだ。


 樫木は、そうされても当然のことをした。


「お前、自分が何をしたのか分かってんのか!?」


「ふっ……ふふふふ。あはははは!よ、良かった。田中……そんな様子を見せなかったけど、お前本当は怖いんだな!?だから今、怒ってるんだろう?成功したと思ったのに、あっけなくその希望が打ち砕かれたから……!」


「イカレてんのか!?そんなことで怒ってるわけじゃねーよ!!」


「黙れぇ!!」


 追い打ちを掛けようとした田中君の体がびたりと止まった。それは帰宅途中の生徒たちが次第に集まって来て、僕らに向けて顔を顰めているからじゃない。


 それまで嘲るようだった樫木の声が、恐怖そのものを宿したように低くなったからだ。


「黙れよ……来週は、僕の番なんだよ」


「……あぁ?なに言ってやがんだ?そんなの分かんねぇだろうが。言い逃れするんじゃねーよ!」


「待って」


 衆目を気にせずさらに樫木の胸倉に掴みかかった田中君を、僕は止めた。


 そう言えば昨日階段の踊り場で会った時も、来週が来ることを酷く恐れていたな。


 狂人の妄想か、ただの言い逃れか、それとも真実なのか。


 樫木がどうなったって別にいい。何なら僕だって一発食らわせてやりたい。でも、それだけは確かめないと。


「離せよ!こいつ、香田を――」


「だからだよ。だから、聞くんだ」


 田中君の険しい瞳が、僕に向けられた。彼は鋭く息を吐いて、やがて素直に拳から力を抜いてくれた。軽く悪態をつき、思いっ切り地面を蹴りつけたのは、知らないふりをしておこう。


 樫木はよろよろと立ち上がると何度も土を払い落とし、それから少し赤く腫らした頬を押さえた。


 不思議とほっとした。田中君が昨日、僕らが学校内で大怪我を負うことは出来ないと言っていた。


 だけど、これくらいなら大丈夫なんだな。


「放送室に突撃したり、金村を襲ったり……お前、田中と同レベルな奴だと思っていたけど、考えようとする頭はあるみたいだな」


「あらゆる可能性を比較して検討する、みたいな口ぶりのくせに最初から実力行使を考えない奴とは違う。僕は何としてでも、この呪いに報いを受けさせたいんだ」


「呪いに報い……?な、何だ、田中以上に頭が可哀そうな奴だったのか。クラスメートが今日で半分以上黒い奴らになったのに、根本治療どころかやり返そうと妄想しているだなんて!」


 本気だと示すように、僕は何も言い返さず一歩詰め寄った。


 聞きたいのはそんな言葉じゃない。同意して欲しいとも思わない。何でもいいから、知っていることを話せ。


 一歩、また一歩。前へ進むごとに無言でそんなメッセージを突きつける。


「……田中を黙らせたのは、聞きたいからなんだろ?いいよ、話してやるよ。ほら、黙ってないで聞いてみろよ!」


 挑発的な言葉に、僕は努めて冷静に返した。


「どうして来週、自分が選ばれると確信しているんだ?」


 樫木は少し後退りながら、小さく笑った。


「ぷっ。皆で僕を警戒して隠していたわけじゃないんだ。ほ、本当に知らなかったんだな。いや、それとも香田は知っていて話さなかったのかな?」


 いい加減、うんざりだ。こいつ、下校中の生徒が止めに入ったり、先生を連れて来るのを待っているのか?それとも、この勿体ぶった話し方は癖なのか?


「早く言えよ」


「はっ、呆れるな……こ、これまで放送で名前を呼ばれた奴らを、誰も比較しなかったのか?」


「何か法則でもあるのか?」


「……基本的に誕生日の早い順だよ」


 誕生日。


 頭の中で、これまで黒くなったクラスメートたちを順に思い浮かべる。


 平川君。学級委員長。翔太……。


 正直、全員の誕生日なんて知らない。でも、翔太の名前が放送に呼ばれた時、あいつはもう誕生日を迎えた後だった。


 香田さんも、先週が誕生日だったと言っていた――


 僕は、僕と樫木のやり取りを見守っているクラスメートたちに振り返った。


「香田さんより……いや、先週より前に誕生日がある人、居る?」


 彼らは互いに顔を見合わせる。誰も手も声も上げない。悲壮な沈黙が、樫木の言葉の正しさを証明しようとしていた。


 が、そこで一人が鼻を鳴らしながら口を開いた。


「けっ!俺は五月だ。とっくに過ぎてんだよ、この法螺吹き野郎!」


 田中君だ。彼だけが、刺すような視線を樫木に向けながら、吐き捨てる。


 だけど、いやだからこそきっと、樫木の声には深い苛立ちがにじみ出ていた。


「だ、だから苛々するんだよ!予想から外れて順番が多少前後した奴は、他にも多少は居る。でも長くてせいぜい、二、三週間くらいだった!二つ、三っつ、順番がズレるだけだった!」


 ぶるり、と樫木は全身を一度大きく震わせた。奴はぎゅっと唇を噛み締めると、頭を掻きむしりながら続けた。


「だから……本当に何なんだよ、お前。なんで、いつになっても呼ばれないんだよ!?お前だけズルいだろうが!さっさと呼ばれて、黒くなっちまえよ!!」


 樫木は言い終わると、声にならない叫びを上げながら田中君に向かって走り出した。ぐるぐる、と子供のように腕を振り回す。田中君は勢いのない拳を躱すことなく、むしろ当たる直前に自分から一歩樫木に向かって進み出た。


「僕の誕生日は、明後日なんだ!来週呼ばれるんだ!香田の仮説が当たっていたかどうか金曜日(きょう)知るのと、来週の月曜日に分かるのとでは全然猶予が違うんだよっ!!」


「違う?」


 殴られながらも意に介さず、田中君が冷たく突き放した。


「外に出たら、それも忘れるじゃねーか。記憶がおかしくなったその二日で、何が出来るってんだ?そんで、そんなことのために香田をはめやがって……!」


 ずるり、と樫木が崩れ落ちた。


「そんなの……お前に分かるのに、僕が分からないと思うのかよ!?それでも……っ!」


 嗚咽を漏らす。その姿は、つい数分前まで香田さんを罠に掛けて、それでも笑っていた人間と同じとはとても信じられない。


 分かっていて、奴はそうしたんだ。少しでも早く、比較し、検討し、そして修正できる余地がないのか確かめるために。ほとんど意味がないと自覚していても、恐怖をそのまま直視しないために。


 そこまで出来るのに――何で呪いそのものに、怒りを覚えないんだ?


 誰もが、次に何を言えばいいか、どうすればいいのか分からずにいた。田中君は自分の服の裾を掴んでいる、樫木の震える手を引きはがしたが、それ以上は何もする気はないようだった。クラスメートたちは樫木の明かした"順番"を聞いて、指をおって何かを数えながら不安げにしている。


 そして、僕は知っている。こんな時いつも、あいつはやって来る。僕たちが足元も覚束ないほど、不安や絶望を抱えている時に。


「ああ、残念だな。帰宅中の生徒たちの迷惑になっているだろう?高校三年生にもなって、それに気が付けないのはちょっと、頂けないな」


 金村は決まって現れるんだ。


「クソ野郎が」


 僕はそう呟いたが、金村は肩を竦めながら僕たちに向かって来る。そうして、ゆっくりと口を開いた。


「下校中の生徒たちの邪魔になるから、一度教室に戻りなさい。そこで、お前たちが人でいられる唯一の方法を教えよう」


「は?」


 何を、言ってやがるんだ?


 どうして今更人でいられる方法を教える、なんて言うんだ?明らかにおかしいだろ……!?


 だけど金村の言葉は、クラスメートたちがどうしても欲しいものだった。いつ自分の名前が呼ばれるか分からない恐怖は、だけど平等でもあった。皆、同じ時にほとんど同じだけ恐ろしい思いをしていた。


 けれど呪いの順番は、ある程度明確になった。名前を呼ばれるその時が、予想出来るようになった。


 自分のタイムリミットを、数えてしまえるようになった。


 誰かが一人、教室に向かって走り出した。つられて、他のクラスメートたちも一斉に動き出す。


「そんな顔をしても、何も変えられんぞ。先生の話が本当でも嘘でも、聞くだけ聞いてもいいんじゃないか?」


 金村は、動かない僕と田中君に向き直ってそう言った。




 教室の近くに行くと、乾いた破裂音が響いてきた。


 何事かと窓から教室の中を窺うと、黒い奴らが粘ついた手を力強く叩き合わせていた。


 黒板の前に、黒い何かが一体だけ立っている……きっと、香田さんだったものだ。奴らは新しく自分たちの仲間になったそれを、祝福しているんだ。


 逆に、まだ放送に呼ばれていないクラスメートたちは居心地が悪そうに顔を伏せている。


 今や、黒い奴らは僕らよりも多い。


 扉を開いて自らの席に座る。三年生になったその時と比べると、ずいぶん座り心地が悪くなった。


「よし、全員席に着いたな。じゃあ、早速本題にいこうか。先生だって、早く帰りたいからな」


 金村は机に両手をつき、教室を見廻しながら淡々と、そして事もなげに言った。


「人でいられる唯一の方法。それは、卒業することだ。卒業したものだけが人でいられる。どうだ、簡単だろ?」


 そう言い終わって金村が数度瞬きする間、教室内は困惑に満ちていた。


 卒業したものだけが人でいられる?そんなの。


「そ、そんなの、当然だろ!卒業したら、もうこの忌まわしい高校に来なくて済むんだから!そうじゃない。そうじゃないでしょ、先生。僕は、今すぐに助かる方法を知りたいんだ!」


 全員が考えていることを、樫木が勢いよく立ち上がりながら言った。


 だが、返って来た答えは。


「ないぞ」


「……ぇ?」


「そんなものはない。これまでにだって、何度もあったんだ。みんな、様々な事を試してきた。ずっと過激な方法や、機知に富んでいる方法だってあった。だけど最後にはほとんど皆、納得してくれたんだ。ほら、笑顔で」


「ひぃ!?」


 樫木が倒れ込んだ。いや、奴だけじゃない。僕も皆も、反射的に立ち上がった。


 黒い奴らの、絶えず溶け落ちる液体が一斉にぼとりと落ち、奴らの全員の口元が覗けた。


 笑っている。人の唇で、人の頬で、奴ら全員の口が緩い弧を描いている。そこだけ、笑顔という部品を組み込んだみたいに。


「……いやだ……イヤだイヤだイヤだ。こんなのにはなりたくない……ないんです、先生!どうかお願いです。何でも言うことを聞きます。もう生意気な口も聞きません。ですからどうか、僕に助かる方法を教えてください……先生ぇ!!」


 地面を這いながら、樫木が懇願した。


 やめろよ……樫木。お前は最低な奴だ。でも、最後まで自分が助かるために比較、検証、修正をしようとしていたじゃないか。


 何でそいつに、頭を下げるんだ?それすら捨てたらもう、お前に何が残るんだ?


「そう言われてもなぁ。これはな、樫木。そういうものなんだ。お前ももう、心の底では認めているはずだ。だから受けいれて、諦めるのが一番だ。それでも怖いなら、睡眠薬でも処方してもらえばいい。呼ばれるまで授業中に寝ていても、先生は許すよ」


「はっ……ははは。はははははははっ」


 樫木は哄笑した。涙を流しながら、尾を引くような笑い声をしばらく上げ続けた。


「……あ……ぁぁ……」


 しかしやがて言葉を失ってふらりと立ち上がると、そのくせ妙に素早く教室から出て行く。


 僕の目には、学校の外に出て一刻も早く全てを忘れてしまいたいように映った。


 樫木だけじゃない。他のクラスメートたちも同じだ。


 ……香田さんが今この場に居てくれれば、こうはならなかったんだろうか?


 彼女だったものはただ、変わらず笑っている。




 それからは、何もなかった。


 当り前のように放送は続けられ、樫木は自らの予想通りに黒い奴らの一部に加わった。


 香田さんというまとめ役を失った3-Bのクラスメートたちに残ったのは、嫉妬と絶望の感情だけ。誕生日が遅い人間は妬まれ、黒い奴らよりも露骨に排斥された。


 どうにもならないからって黒い奴らより、同じ人間を憎悪するなんて馬鹿みたいな話だ。


 でもそれを止めようとする気力が、誰にも残っていない。


 誕生日が過ぎているのにいつまでも呼ばれない田中君と、誕生日が遅い僕は正にその排斥の対象だった。


 口を聞いてくれないことも、嫌味を言われることも、もはやどうでも良かったけれど、せめて僕の――いや僕たちの邪魔だけはしないで欲しいと思う。


「……よし、開いたぞ」


 田中君が暗がりの中で静かにそう言った。


 下校時間を過ぎた後の見回りは、いつもとても大掛かりだった。何度も試し、何度も優しくではあったが強制的に学校の外へと追い出された。


 このチャンスを掴むためだけに、おおよそ二ヶ月。二ヶ月も経ってしまった。教室はもう、黒い奴らたちの居場所だ。


 そして僕たちは今、図書室の中に居る。かなり大きい図書室の片隅にある学校史資料室に侵入することが、僕たちの目的だ。


 金村は言っていた。


 "みんな様々な事を試してきた。ずっと過激なものや、機知に富んでいるものだってあった"って。


 じゃあ、このみんなって誰のことだ?


 もしかしたら、この放送は隔年あるいは毎年起こっているんじゃないか?


 それも三年生に。


 だから、卒業したらこの放送から逃れられると知っていたんじゃないか?


 勿論実際にそれを見届けたわけじゃなく、卒業すれば学校に来なくなるからっていう当たり前のことをただ言っただけかもしれない。


 そもそも嘘かもしれない。


 でももう、やつの言葉の裏を勘ぐるしかないんだ。


「うえっ、埃っぽい……それに、どんだけ棚があんだよ」


 田中君と似たように、僕も顔を顰めた。喉に張り付くように埃っぽく、鼻がむず痒くなるくらいにかび臭い。そんな不快な室内には鈍色の棚がずらりと並んでいて、またその中に無数のファイルがある。


 果てのない資料の数々に、僕はめまいがして来た。


「とりあえず卒業アルバムを保管している棚があるかどうか、確かめよう」


「おう。図書室でこんなに真剣に棚を見るなんて、俺も随分と真面目な生徒になったもんだ」


 田中君の冗談に手のひらを振って返すと、僕も懐中電灯を取り出してスイッチを入れた。


 ずっと不思議に思っていた。黒い奴らは、卒業式を迎えた後はどうなるんだろうって。放送室でも黒い奴らと会ったけれど、それは多分多くても十人前後で、クラス一人分には明らかに足りなかった。


 じゃあ学校は、あいつらをどうするんだろう?あのまま教室に座らせ続けるなんてことはないはずだ。


 卒業アルバムを見ただけで分かるとは思えない。でも、他に手掛かりないんだ。今日までに散々、田中君と色んなことを試してきたんだから。


「あったぞ!こっちに来い!」


 田中君の言葉を聞いて、僕はすぐに向かう。確かに彼がライトを照らす棚には、卒業アルバム保管と書かれたシールが貼られていた。

「で、どうすんだっけ?どれが呪いに選ばれたクラスとか、分かるのか?」


「いや?だから、全部中を確かめて手がかりがないか探さないと」


「マジかよ……俺、最近本なんて漫画しか読んでねーぞ」


「良かったね。あなたの人生に一番影響を与えた本は?って面接かなんかで聞かれたら、卒業アルバムって答えられるよ」


「……まぁ、そんな機会がありゃあ、そう答えてやってもいいけどな」


 僕たちは押し黙った。そして二人同時にアルバムに手を伸ばして、捲り始める。


 僕の懸念は、学校が放送に選ばれたクラスのアルバムを処分していないかだった。ただそれなら、この整然と年度別に並んだアルバムに空きが出来ることでもある。けれどざっと見たところ、アルバムに欠けはないようだ。


 そしてそれは意外と早く、見つかった。


「うあっ!?……何だ、こりゃ。気味悪ぃ」


 懐中電灯を田中君の方に向けると、暗がりの中で彼の頬が引き攣っていた。


 僕は田中君の隣に立って、それから彼が開いているページを覗き見た。

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