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卒業放送⑤

 私がおかしいことは、分かっている。


 こんな黒い気味の悪い人間だった何かの中に混ざって授業を受けるなんて。そこまでして、しがみつきたいなんて現実的じゃない。


 普通の高校生らしく、なんて。


 もうとっくに、取り返しがつかないのに。


 私は――いつも勉強で二番手だった。一昨年、去年、そして今年。


 どれだけ頑張ってもいつも、平川君の次だった。


 だから彼がああなったとき……ちょっとだけ。ほんのちょっとだけ、ほっとした。


 いつも私の前に居続けた彼が、黒くなって。お母さんからもう、怒られなくて済むかもしれないって。


 だから。


 私が皆と一緒に、屋上で話し合って作戦を決めているのも。


 授業を受けているのも、そう見せかけようとしているのも結局。


 あの時の自分を、真っすぐに受け止めたくないからなのかな。



「香田さん……香田さん、大丈夫?」


 声を掛けると、しばらく俯いて黙り込んでいた香田さんは予想外に身体を震わせた。


「えっ……ご、ごめん。ちょっと、色々考えちゃって」


 大事な試みの前に心ここにあらずな様子は、彼女らしくはない。


 屋上で話していた全員がもう、鞄を持って正門に集まっているってのに。


 金村や他の先生も、予想通り僕たちを止める様子はない。僕たちを釣り堀の魚みたいに、泳がしている。


 あまり広くない正門の先には普通の日常がある。犬の散歩をしている爺さん。買い物袋を載せて走る自転車。横断歩道が青になったことを告げる聞き慣れた音。


 でも、僕たちが一か所に集まっているおかしな様子を、気に留めてくれる人はいない。


 声を掛けても、正門の向こうへは届かない。見えない境界がそこにあるようだ。


「もうすぐ、ホームルームが始まるぞ」


 スマートフォンをスピーカー状態にして皆に聞かせているクラスメートが、そう言った。通話の相手は、教室に置いたままにしている他のクラスメートのスマホだ。


 黒い奴らの同じような声が一度、一斉に重なりあった。それ以降、声も雑音も一切ない。金村が報連相を伝える間、そこにはあいつ以外誰も存在していないと勘違いするくらいに。


 黒い奴らしかいないのに報連相をしている金村の、静かで事務的な文言が続いていく。


 金村がホームルームの終わりを告げる。僕たちは今すぐにでも正門から出られるよう、放送が始まるのを待ち構えてた。


 この中から誰か一人が選ばれて、


『起立……礼』


 黒い奴らの声がそこで終わり、長い沈黙が訪れた。


『今日はないぞ。皆、気を付けて帰るように』


 それまでよりも大きな金村の声が響いて来た。教室に置いたスマホは勿論目に付かないよう、でも声は拾えるよう机の中に隠していたが、バレていたようだ。


 そしてその言葉の通り、あのくそったれた放送はどこまで待っても響いてこなかった。


「……手順は、今日の感じで良さそうだね。土曜と日曜日に放送がかかったことはないから、明日は絶対に放送がある。スマホの隠し場所、教室の状況を把握できる手段はもう少し考えないといけないけれど……屋上でもう少し、考えてみる」


 金村の言葉を払うように、香田さんが軽く手を叩いてからそう言った。


「今日は解散しよう。一緒に考えてもいいよって人は、屋上に来てくれると嬉しいな」


 数人のクラスメートが香田さんと一緒に屋上に向かう中、僕は正門から外を見つめた。


 武器に仕えそうなものの位置も、金村や他の先生に動きがなかったことも全部、香田さんに伝えてある。けど結局、どれだけ考えたって、明日は来てしまう。


 樫木の言葉が、少し頭の中に響いた。


 "来週さえ来なければ放送で呼ばれない。"


 そう言えば何であいつは、今日や明日より来週を気にしていたんだ?


 僕の肩を、誰かが軽く押した。振り返ると、下校中の生徒が僕のことを迷惑そうに見て、早く前に進むよう指をさしてきた。


 そのまま、右足だけが少しだけ外に出て――


 はぁ……今日も疲れた。僕は肩を回して、溜息をついた。


 学校は嫌いじゃない。翔太と一緒に話す休み時間も、金村先生が授業の間に挟む意味のないうんちくもまぁ、悪くはない。


 でもやっぱり自室でPCを付けて、湯気の立つコーヒーカップを傍に置きながらシューティングゲームの画面を前にした時ほど、心躍るもんではない。


 大学生になったら絶対、バイトしてゲーミングPCを買って、親に怒られることなく心ゆくまでゲームを楽しみたい。父さんを説得で切れば、一人暮らしもありだよな。


 帰り道を進みながら僕は、大学生になってからやりたいことを思い浮かべていた。


 ……?


 おかしいな、何で僕は一人で帰っているんだろう。昨日も一昨日も横で大学生になったらこうしたいって喋っていた翔太は、どうして今日はいないんだっけ?


 あいつ、何か用事があったっけ?……まぁ、そんな日もあるか。


 翔太を探すように、何となく振り返る。小さくなった校舎は、いつも通りの姿で立っている。


 あそこにまだ、あいつは残っているんだろうか。


 だとしたら明日、何の用事で残っていたのか聞いてみないとな。


 もし、女子に呼び出されて告白されたんだよ、とかぬかして来たら一発小突いてやらないと。


 その時、いつもみたいに大げさに言い返してくるんだろうな。


 その光景を想像して、僕は小さく笑う。


 十一月の冷たい風が、微かに喉を冷やしていった。




「ごめんみんな。ちょっと、作戦を変えるね。正門に皆で集まるのは同じだけど、放送で呼ばれた人だけ外に出ることにしたんだ。私は……皆でってことを大事にしすぎていたみたい」


 翌日の昼休み、またしても屋上に集まった皆を前にして香田さんがそう言った。


「放送がまた始まって、他の人の名前を呼ぶかもしれない。最悪、名前を呼ばずに呪う相手を変えるかもしれない。そう思っていたんだけど、やっぱり金村先生たちに突然邪魔されることも考えないといけない」


「あいつらが妨害してくることは多分、無いと思うけど」


 僕が口を挟むと、香田さんは頷いて見せた。


「うん。でも、咄嗟の時に先生たちの妨害を止められるだけの人数を正門前に残しておかないと、何かあった時に対応できない。この話が聞かれている可能性があるから、尚更そう思ったんだ」


 確かに昨日足音を聞いたのは僕だ。話を聞かれている可能性があると言ったのも。でも結局、僕たちは妨害されることなく正門に集まれた。


 そう言うように僕が香田さんを見つめると、彼女は苦笑いを浮かべた。


「言いたいことは分かるよ。でも、金村先生は昨日放送がないことを知っているみたいだった。そして今日は必ず、放送がある。だから、最悪には備えるべきだと思うの」


 言いたいことは分かる。僕も同じだ。でも、嫌な予感は絶えない。


 昨日、階段の踊り場で意味不明なことをぶつぶつ言っていた樫木が、最初からいたみたいにこの集まりの中にいるからなのか。


「香田さんがいま提案したのは僕の、案なんだ。ど、どうかな。悪くないと思わない?」


 香田さんの隣にいるそいつがそう言って、昨日見せなかったような笑みを浮かべているからなのか。


 昨日会ったときよりも落ち着いているようでいて、なのに気味の悪さが増しているのが、粘つく液体みたいに引っ掛かった。


「俺は反対だな。なんか、気にくわねぇ。そんなにぽんぽんとやり方を変えていいのかよ?」


「ははっ。これだから、た、単細胞は。他の方法が見つかったら、すぐに比較して検討して修正する。こんなの、と、当然のことじゃないか」


「あ?殴るぞてめぇ。その身で"比較、検討、修正"とやらをやってみろや。無駄に考えるよりも賢い方法があるって、単細胞でも分かるだろうからよ」


 一発触発の重い雰囲気に、皆は押し黙った。僕も立場は同じだけど、昨日入ってきたばかりの奴がいきなり偉そうにしていると、やっぱり面白くないんだろうな。


 突き刺すような視線が、樫木に集まる。


「二人とも、ちょっと落ち着いて。樫木君、お願いだからもう少し言い方を考えて。それと田中君、いいかな」


 香田さんが田中君の肩を軽く叩いて、手招きして見せた。二人は屋上の隅の方で少し話し合ってから、田中君は仕方なさそうに大きく舌打ちをした後に戻って来た。


「今日お前が放送で呼ばれたら、最高なんだがな」


 吐き捨てるようにそう言って、樫木を睨みつける。その圧に押されて樫木が目を逸らすと、ふんと鼻を鳴らして田中君は背を向けた。


「……や、やっぱり馬鹿な奴らだな」


 ボソッと、近くにいる人に聞こえるか聞こえないかの声で樫木がそう呟く。


 剣吞な空気は最後まで変わらないまま、昼休みは終わりを迎えた。




 あの放送が始まったのは夏の盛りの頃で、半袖シャツに染みていく汗がとても鬱陶しかった。


 初冬の今、半袖で一日を過ごす生徒はほとんど居ない。だけどうちのクラスには今でも数人、腕をさらしたまま半袖で過ごすクラスメートがいる。わざわざ教室に半袖シャツを置いていて、放課後まで着ている。


 寒空の下で長く伸びる影の深さは、黒いあいつらほどではない。でもふと視線を落とした時に、その黒さを見て背筋が凍り付きそうになることがある。そんな時、自分があいつらと一緒じゃない確かな証が傍にあると、ほっとするんだ。


 半袖だけじゃない。人によってその証は違う。古びたアクセサリー、痕の残った傷、ちょっとした仕草。みんなどこかに、まだ自分が自分であるという証を持っていて、時々ふと確認している。


 今日も香田さんのおさげは綺麗に整っていた。今朝見掛けた時は違う髪型だったけど、何時間目に結い直したんだろう?


「どうしたの?私の髪に、何かついてる?」


 正門へとみんなで移動する中、僕の視線を感じたのか香田さんがそう問いかけて来た。


「え、えっと……リボンなんて付けてたっけって思って」


「ああ、これ?さっき、ちょっとね」


 香田さんはおさげに付けられた、真新しい紫色のリボンを軽く撫でた。


「先週、誕生日にお母さんから貰ったんだよね」


「誕生日プレゼントに……リボンを?」


「うん。あ、やっぱり高校生の娘の誕生日プレゼントにリボンっておかしいよね?」


 彼女は軽く笑いながらそう言ったけれど、僕にはおかしいのかどうか分からない。


 僕はゲームソフトやプリペイドカードが貰えれば嬉しいけど、香田さんは喜ばなさそうだ。


「後は参考書だよ?今更だし、もう嫌になるほどあるのにね。私の机も多分、食傷気味だよ」


「僕の机の上にある本は主に漫画だから、参考書なんていきなり置いたら僕の机は吐くかもね」


「ふふ。どっちの机も偏食家だね……でも」


 ふっと、眼鏡の奥の双眸が優しくなった。


「紫色は、私が一番好きな色なんだ」


「……そっか」


 そうして僕らは正門に集まった。コミュニケーションをとる事すら難しい、二人を除いて。


「皆、用紙は手に持っているよね?」


 香田さんの問いかけに、全員が頷いた。いや、樫木だけは頷かずにメモをじっと見つめている。昼休みとは別人のように、大人しく立ち尽くしている。


 よく分からない奴だ。


 僕は奴から意識を外して、手に握っていたA4用紙を広げた。そこに書かれている内容は"今日は学校で大規模点検があるため、すぐに帰宅してください"というものだ。校長の署名を騙って、校長が書いたように見せかけているこの用紙は、香田さんが情報の授業と休み時間中に作成したもののようだ。


 学校を出て、記憶が捏造された後の僕らはそのまま帰宅することが多い。それでも念のため、帰宅する理由を増やしておいた方が良いという考えなんだろう。


 いかにも慎重な香田さんらしい案だ。


 まぁ、外に出ても呪いが効くのなら無駄になってしまうけれど、無いよりはいい。


 内容をざっと見終わると、用紙の隅に余った空白がやけに目に付いた。


 ……放送に呼ばれた一人が外に出るこの作戦が成功したとして、毎週毎週これをやるのか?その成功を、ずっと続けられるのか?高校を卒業するその時まで、そうやって逃げるだけで済ませるのか?


 こんな理不尽なんて正されるべきだ!学校に、先生に、あの放送に、間違っていると思い知らせてやりたくないのか!?


 ……自分でも、嫌になる。失敗して欲しいなんて思わないけど、それでも僕は違う方法を探している。あの放送に一発ぶちかませる方法を。僕を無視できなくなるような方法を。


「ホームルーム、始まったぞ!」


 教室に置いたスマホと通話しているクラスメートの一人がそう言った。


 昨日はあっさり金村にバレたから、今日は教室に隠しているスマホの数を三台に増やしたようだ。一人が皆に聞こえるようにスピーカー状態にして、残りの二人が耳元で直に聞いている。


 僕らの早まる心音とは対照的に、淡々とホームルームが進んでいく。スマホが繋げているのは、別の世界みたいだ。


『起立……礼』


 正門に、ふぅぅ、と重い息が重なって流れた。数秒先には、3-Bの誰かが死刑宣告を受けるのだ。


「3年B組の」


 きた。


「香田楓さん。3年B組の香田楓さん」


 みんなが同時に、香田さんを見た。


 香田さんは胸の前で右手を握り締め、少し荒く息を吐く。ショックを受けているのは、明らかだった。


 それでも彼女は一歩、前へ進み出た。


「大丈夫」


 それは僕らに言ったのか、それとも自分を安心させるために言ったのか。


「お祝いがありますので」


 更に、一歩。学校の外に出る、ぎりぎりのところまで。


「至急来て」


「大丈夫!!」


 また強く言い残して、遂に香田さんは外に出た。


「ください」


 僕らは一言も喋らずに、固唾をのんで見守った。


 おさげが揺れる。手に持った用紙を見つめる。香田さんは香田さんのまま外で、少し立ち止まっていた。


 黒くなる様子はない。放送もあれ以降流れない。


 成功……したのか?


 学校の中に残った僕らは互いに顔を見合わせた。全員、何度も頷いている。中にはガッツポーズをしている人もいた。


 いつもならとっくに黒くなっているはずだ。でも香田さんは、外を進み始めた。


 やったんだ。成功、したんだ。


 学校の中に居る僕たちの声は、いま外に居る彼女には届かないだろう。緊張が緩み、代わりに歓喜の声が次々と自然に飛び出してくる。


 きっと僕は、皆と同じようには喜んでいない。でも、この声をまとめ役の香田さんに届けられないのは、素直に残念だ。でも来週彼女が学校で会った時に、伝えればいい。


 一陣の寒風が吹く。それさえも吹き飛ばすような熱気の中、微かに僕はその音を聞いた。


 プルル、と電話を掛ける時の聞き慣れた音を。


 そして声を。


「ええっと、樫木君?うちのクラスの?どうして、私の電話番号を知って――」


「ああああああああぁぁぁああ!!痛いいぃいぃぃい!!うぅ……お、お願いだ。クラスの奴に殴られたんだ!助けてくれ、香田さん!!」


 突然大声を上げながら倒れた樫木を、僕たちは怪訝に見下ろした。けれどすぐに、彼から距離をとって離れていく。


 みんな、樫木が黒くなるのかもしれないとゾッとしたんだろう。


 でも、そんな様子はない。ただ、叫び続ける。


「教室だ!頼むよ香田さん。戻って来て、僕を助けてくれよおっ!!」


 ――こいつ!!


 反射的に僕は樫木に向かって突っ込んだ。足を振り上げて、スマホを持っている手を蹴り上げる。


「いぎぃぃいぃい!!」


 腹の底から出た本当の悲鳴。薄っぺらい演技が剥がれた樫木はだけど、歪に笑った。黒い奴らのと同じくらい、気持ち悪い笑顔で。


「あっ、香田さん……!?」


 誰かがそう言って、僕は正門へと振り返った。


 彼女が僕だったら、そうしなかったかもしれない。でも彼女は、彼女だから――


 僕たちの静止の声は、無情にも届かない。正門ぎりぎりのところで体で止めようと走り出したクラスメートもいたが、間に合わない。


 走って戻って来た香田さんの左足が、学校の中を踏みしめる。


 そのおさげから、紫色のリボンがぽとりと地面に落ちた。

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