卒業放送⑦
どうせなら、写真には笑顔で映りたい。
少しでも格好良く、少しでも可愛く、あとスタイル良く、更に出来れば――。
カメラを向けられた時、撮られる人間って色々意識すると思う。だから写真に映された自分とのギャップって、どれだけ己に期待しているかだと思うんだ。
でも、去年の3-Dの卒業写真には。
「……なんだこれ……」
写っている生徒たちの顔を赤い〇で囲って、その中に。
済。
と赤い一文字だけが付けられていた。
それ専用の判子で押したのか、その一文字は妙に整っている。だから、頭が丸ごと取り換えられているみたいで薄気味悪い。
更に捲って、クラス一人一人の顔写真が載っているページに辿り着く。その顔にすら、一人ずつ丁寧に済が付けられていた。
済。済。済。その一文字が、きっちりと間隔を開けて続いていく。
これじゃあ、どんな人間が学校に居たのかも分からない。誰がどんな表情で卒業したのか分からない。ただ全員、何かが済まされたことだけが分かるその一文字が、不気味な余韻になって僕の背筋を這い上がっていく。
「もしかしてこの"済"ってついてる奴ら、黒いあいつらなんじゃないか?ほら、あいつらカメラでとっても普通の人間みたいに映るだろ?」
「……初めて、奴らだと良いなと思ったかも。これ以上この学校に他の呪いや不可思議でもあるなら、流石にやってらんない」
「お、珍しく弱気なことを言ってんな……ん?いや、つーか一人だけ"済"ってついてなくねーか?」
田中君がそう言いながら、ライトをその人物へと向けた。
確かにその一人だけ"済"が付いていない。けれどその代わりに他の写真から切り取って持ってきたように、顔の向きも、全身の大きさも、目線の向かう先も、何もかもが違和感だらけだった。
卒業写真のページに戻って、改めてチェックする。そこにもやっぱり、違和感だらけのその人物の姿があった。
「この人が人間のまま卒業できた生徒かも?」
「そうなのか?なら、何でこいつだけ合成みたいなんだよ。普通に写ればよくね?」
「いや、どちらかと言うと何で学校側がこんな処理をしてるんだろう。人間のまま卒業したことを、知られたくなかったとか?」
「じゃあ"済"をつけて誤魔化せばいい話なんじゃね?わざわざこのアルバムを見て、どいつが人間のまま卒業したのか確かめてるってんなら、分かりはするけどよぉ。なら、加工しなけりゃいいわけで……頭、痛くなってきた」
田中君は苦虫を噛み潰したような顔をしてから、一つ息を吐いた。割と鋭いけど、深く考えることは苦手だって、僕はこの二ヶ月で知っている。
他にも何か気になることはないか。僕が卒業写真やアルバムの内容をそうやって眺める間、彼はぶらぶらと近くを歩き回っていた。
埃が舞うから、ちょっと止めて欲しいんだけどな。
「……お前、そうして黙ってっと本当に金村を襲ったとか信じられねーよな。そう言えば初めて見た時の印象、ちょっと弱気でなよっとした奴、だったし」
「僕の田中君への第一印象は、頭めっちゃ金髪ベースのハイライトに染めてんじゃん、こわっ。だったね」
「暗闇の中でも、いい感じに明りぃだろ?」
自分の頭部に懐中電灯を向けながら、田中君はにっと笑った。
……何て言うか、彼はあんまり自分が黒くなることを恐れていない気がする。
3-Bで放送に呼ばれていない生徒は、僕らを除くと四人しかいなくなっていた。彼らは悲痛な面持ちを常に浮かべたまま、物言わぬ人形みたいになっている。
ただ順番が来てないだけの、黒くなっていないだけの、ただそれだけの――存在だ。
「……怖くねーのか?」
それは、僕が聞こうと思っていた事だった。だから心の中を見通されたみたいで、ちょっと驚いてしまう。
顔を上げると、田中君は真剣な面持ちで僕を見ていた。
「そういうわけじゃないけど」
怖い。怖くない。
どちらも、言葉にしたくなかった。自分の口から一度出て行った言葉は、取り返すことが出来ない。曖昧にして、ぐにゃぐにゃして誤魔化しているものを、現実の外気に晒して固めたくない。
怖くないのか、だって?
「そっか」
当然、怖いよ。
あんな体の線が黒く溶けていて、自分の意思がないように従順な受け答えだけをする奴らになるなんて。
翔太が黒い何かになった時。香田さんが黒い何かになった時。僕は努めて冷静でいようとしたけれど、本当は心の底から震えあがった。
だけどこのまま、何もやり返せないまま、諦めてああなりたくはない。
現実的に考えれば、なんて。僕たちの状況を考えれば馬鹿みたいな言葉だと思う。でも卒業まで残り一か月と少しで、あの放送を止めてその代償を払わせるなんて、ちょっと……難しいかもしれない。
だからせめて一度でも、何か一つでも僕たちが感じた恐怖や絶望をあのくそったれの放送に味わわせないと。
何よりもまず、自分自身のためだけど。それが翔太や香田さんや、もう黒くなってしまったクラスメートたちへの、僕なりの餞だ。
それ以上は何も聞いてこない田中君の横で、僕は卒業アルバムを保管している棚に手を伸ばして他のアルバムを手に取った。
――去年だけじゃない。一昨年の卒業アルバムにも、顔に済が付いた卒業写真が載ったアルバムがある。一昨々年も、更にその前も。
決まってきっちり、一クラス分。
まさか本当に毎年、あの放送は行われているのか?今年、僕たちのクラスが選ばれたのは、運が悪かったってことなのか?
そんなくじ引きみたいに毎年、一クラスがあの放送の犠牲に選ばれるのか?
かつん。かつん。
その時、ドアの外から誰かの足音が聞こえて来た。
「ライトを消して」
僕が静かに、けれどはっきりそう言うと、田中君は素早く懐中電灯のスイッチを押した。
月明かりが、室内に舞い散る埃を照らし出す。入り口から見えないように、隅にある棚と棚の間に屈みこんで隠れた僕たちの呼吸音が、静けさの中ではやたら重く大きく聞こえる。
ぎぃぃぃ……っと、錆びた扉が開く耳障りな音がした。
「おい、誰かいるのか……?窓から少し明かりが漏れていたけど、ま、まさか幽霊の仕業じゃないだろうな……?」
聞いたことがあるような、ないような声だった。授業で聞いたことのあるような声じゃない。もうまともに授業を受けていないといっても、それくらいは分かる。
あまり意識していないところで、ふと耳に飛び込んで来る声。
"用務員か?"
田中君がスマホのメモにそう書いて、見せて来た。画面の光量を最低まで下げているようだけど、周りの暗さよりは少し明るくて僕はちょっと気が気でない。
でも、確かにメモの通りだ。登下校時に時々すれ違って、挨拶を交わしたことのある声だった。
"見つかりそうになったら、軽くとっちめて何か聞き出そうぜ"
田中君を見つめると、彼は握った拳を虚空に向かって静かに突き出した。
僕は、小さく頷いた。これまで僕たちの抵抗を止めて来たのは金村を初めとした先生たちだ。もしやって来たのが先生だったら躊躇いなく、頷けたのに。
でも用務員が何も知らないって確信はないし、何より僕たちにはもう猶予がない。
どうしようもない巨大な敵に対して拳をがむしゃらに振るう時、近くにいる誰かに当たることもあるんだ。
だから……仕方がない。
カチッ、と音がして天井から光が一気に広がっていった。同時に僕たちの影が棚をはみ出して、伸びていく。
「……!?誰だ!?」
弾けるように田中君が飛び出した。僕も、すぐに続く。
だけど、出来ることはなかった。
中年の用務員さんは、瞬く間に田中君によって組み伏せられる。体格差があって不意をついたとはいっても、見事な手際だった。
「わりぃな。質問に答えてもらうぜ」
「くそっ、この泥棒がっ……ん?その制服、この学校の……お前ら、うちの生徒か?」
「最悪なことにな。けど、そんなことはどうでもいいんだよ。あんたはただ、質問に答えてくれりゃいい」
「今すぐにどくんだ。今なら、反省文だけで済ませてやれる。暴力なんて振るったら、最悪、停学や退学だってあるんだぞ!」
停学や退学?
思わずちょっと、失笑してしまった。
「そうしてくれるなら、願ってもないことなんですけどね」
僕はそう言いながら、学校史保管室の入り口を背にした。一つは、用務員さんが田中君の拘束から逃れた時にすぐに逃げられないように。もう一つは、やって来るだろう先生や他の用務員が扉を開けるのを邪魔できるように。
「願ってもない?……まさか特別クラス、いや、三年B組の生徒か?」
「お、やっぱ知ってるっぽいぜ。特別クラスって言い方は初めて聞いたが、それが学校が俺らに付けてるラベルか?お上品な呼び方だな」
この二ヶ月の間、田中君と一緒に先生を拘束して情報を吐かせようと計画したこともある。
だけど僕たちの行動は筒抜けになっているのか、先生たちが人目の付かないところで一人になることはほとんどなく、かと言って隙を突かずに実力行使だなんて現実的じゃない。
今日を逃せばチャンスはもうない。上手く学校史保管室に侵入出来て、さらに情報を持っていそうな学校関係者を偶然とは言え拘束出来た。
今ここで何か、探り出さないと。
僕は壁に手を伸ばしてスイッチを押し込み、明かりを消した。
「先に言っておきます。僕たちは退学や停学にはなりません。その理由は、分かってますよね?だから、特別クラスについて知っていることを重要なものから順に、全て話してください」
言葉遣いは丁寧だけど、自分が思ったよりもずっと険のある声が僕の口を通っていった。
「吸うか?」
翌日、ちょっと赤くなった頬を擦っている僕に、田中君がタバコの箱を突き出してきた。
押し寄せて来た先生たちは、僕だけじゃなく彼だってもみくちゃにした。なのに、彼だけ全然平気そうだ。
ちょっと、ズルい。
僕が首を横に振ると、田中君は肩を竦めて地面に座り込んだ。
部活棟の裏。昼頃には太陽を遮って大きく伸びる影。そこが、僕たちの今の居場所だ。
厚着に包まれた両腕を擦る。春の陽気は風の中でほのかに産声を上げていたけれど、まだ少しだけ遠い。
「結局、放送室しかないのかもな」
田中君の言葉に、僕は頷いて返す。
昨夜、僕たちが用務員さんから聞けた話はあまりない。夜遅くなのに先生たちの対応が早かったのはまぁ、想定していたけれど、そもそも彼が知っていることがそう多くなかった。
毎年、誕生日の間隔を考えて生徒を振り分けたクラスが一つあること。それを特別クラスと呼んでいること。毎年、特別クラスが放送に選ばれていること。18歳を迎えた生徒が放送の対象になること。この学校の放送部は実は生徒が一人も所属していなくて、先生たちが代わりに昼休みや連絡の放送をしていること。
そして僕が一度侵入してから、先生たちが放送室を特に厳重に見張っていること。
幾つかは先生たちが話しているのを聞いただけ、とも言っていたから、用務員さんが吐いたことが全部合っているかも分からない。前進はしたけれど、タイムリミットを考えれば微々たるものだ。
結局、放送を止められるような、やり返せるような情報は何もなかった。
でも少しだけ、スカッとした。これまで僕たちの抵抗は全て、この学校の手のひらの上ですよ、みたいな態度だった。何をしても子供がやることだからと流され、どう抗えば放送やこの学校が慌てるのか、雲を掴むみたいに分からなかった。
でも昨日遂に先生たちは、僕や田中君を殴りつけた。本気じゃなかっただろうけど、それでも。
生まれた小さな沈黙を、田中君の声が打ち破った。
「一昨年さ、親父を殴ったんだよ」
「えっ、いきなりなに?」
脈絡のない言葉に、僕は眉を顰めながら田中君を見ると、彼はタバコをふかしながらぼんやりと前を見つめていた。
「すげー真面目な親父でさ。勉強しろ勉強しろ、くそ鬱陶しいんだよ。お前の将来のためだ。いま俺を恨んでも数年後には感謝することになる。ちゃんとした人間になって、素直に生きろ。そんな言葉を、耳が爆発しそうなくらい聞かされてきたもんだ」
「う、うん」
何を言っているんだろう、田中君は。二人で行動するようになってからも、個人的なことはほとんど話さなかったのに。
「で、一昨年のある夜、女に絡んでいる酔っ払いの後ろ姿を見つけたんだよ。スーツは皺だらけで、ぐでんぐでんになって声も言葉も滅茶苦茶だった。女が止めてくださいって何度も言ってもその酔っ払いは激昂するばかりで、ついには手を上げようとした」
「その酔っ払いが、田中君のお父さんだった、とか?」
田中君は、携帯用の灰皿の中に吸殻を落としながら頷いた。僕から顔を背けて吐き出された煙は、ゆっくりと空気の中に溶けていく。
「そう。咄嗟に力ずくで止めて、暴れるから軽く殴った。そこで、そいつが親父だと気付いたんだ。普段とは違うクソみてぇな姿で、見下げ果てたけどな。でも交番に連れていかれた時、親父は警察に、知らない奴がいきなり理由なく殴ってきたと言いやがった」
ぎりっと歯を鳴らして、田中君が再び口を開いた。
「俺を見て、言いやがった」
「えぇ……それは……何と言えばいいか……」
「酔っぱらっていて俺だと分からなかったのか、知らないふりをしたのか……今でも分からねぇ。親父に絡まれていた女は逃げていて、結局俺が悪いみたいになった。まぁ、殴っちまった落ち度も確かにあったがよぉ。けど次の日の朝には何事もなかったように、そんな金髪で学校に行くのかと怒鳴ってきやがった」
はっ、と一度吐き捨てるように笑って続ける。
「どうせなら、酔っ払ってたときにもっと殴っときゃよかったぜ。それ以来、絶対に許せねーんだ。立派な顔をして、偉そうに人に注意ばかりして、そのくせ裏では真逆なことをしている奴らが」
それまで焦点が定まらなかった田中君の瞳が僕に向けられる。何か決意を固めたように、その目は力強かった。
「俺さ、どうしてまだ自分の名前を呼ばれねぇのか、多分気付いちまった。でもよ」
再び、タバコを僕に向かって差し出す。
「それを言う前に、一つ付き合ってくれ。どうせなら最後に、一花咲かせようぜ。くそったれたこの学校に、少しでも思い知らせてやるんだ。放送室の扉を力ずくで、ぶち破るんだ」
「……吸ったことないんだけど」
「じゃあこれで最初だな」
僕が提案を受けると信じて疑わないような言葉は、今の僕たちの置かれている状況には合わないほどに晴れやかだった。
それは当たっている。もう手掛かりがあるかもしれない場所は、放送室しかない。時間もない。
初めて突入したときには黒い奴らに遭遇したり、和田君が黒くなったり、クラスメートたちに嫌な視線を向けられたり、最悪なことしかなかったけれど。
彼となら、それよりはマシな結果になるかもしれない。
僕は自分の意思でタバコを一本受け取った。
田中君が差し出してくれたライターの火で、先端を焙る。
「ああ、わりぃな。一口だけでいいからよ」
僕がむせたのを見て、田中君が言った。
けれど僕は首を振って返す。
「いや。最後まで吸うよ。これが、最初で最後の一本だ」
言い終わると同時に、強い風が部活棟裏を吹き抜けた。思わずタバコを噛み締めてしまうと、舌先に強烈な苦味が走る。
それでも風に煽られたタバコの先端は、赤く輝き続けていた。




