卒業放送③
放送室での出来事から、もう三ヶ月。
僕たちのクラスはもう、僕たちの、とは呼べなくなっていた。あいつらのクラス、と言ったって間違いじゃなくなった。
クラスの半分が黒い何かになった今、出来ることなんてあるんだろうか?考えるだけで、無駄なんじゃないだろうか?
いっそ受け入れた方が、楽なんじゃないか?大体、ただの無力な高校生の僕に何ができるって言うんだ?
そうやって諦めようとしても、苛立ちは消えなかった。
何もそれは、黒い何かや金村や放送に限った話ではない。もうほとんど死んだみたいに日々を送るクラスメートたちにもだ。
友達、彼氏彼女、親しくなくても毎日一緒に授業を受けていた人たち。彼らがこうなって、何で顔を机の上に伏せるだけなんだ!?何で誰にも聞こえないように小さく恨み言を吐き出すだけで済ませるんだ!?
……僕が、放送室に行った結果は最悪だった。彼らが見た束の間の希望は、一瞬で残酷に殺された。クラスメートたちが無気力なのは、僕のせいも少しはあるかもしれない。
でも、仕方ないじゃないか。ああなるとは思わなかったんだから……。
「起立」
僕は立たなかった。その声が、人のものではないと知っているからだ。
同じタイミングで、黒い何かが一斉に立ち上がる。全員が同じみたいに、異様に揃った動きだった。
もう、誰が誰だったのか分からない。人間だったときに座っていた場所でしか、判断できない。
授業中にはノートを開き真っ新な一ページをぐちゃぐちゃに黒くして。
休憩時間のチャイムを聞くと椅子に座って前だけを向き続ける。
そして、必要なことだけを話す。
そう、今では話している。黒い何かの言葉は、いつからか意味が繋がるようになっていた。
いや……あれを"話す"とは、言いたくない。正しい言葉を、正しい時だけに発する機械だ。
はい。分かりました。ありがとうございます。
起立、礼、着席。起立、礼、着席……。
ははっ、随分とお利口でイライラする。起立の声に従わない僕の方が、悪い奴みたいじゃないか。
だから、分からない。放送室で遭遇した黒いやつはちゃんと話していた――確かな意思を持っていたような気がする。
クラスの黒いやつらもいつかそうなるのか?それとも姿が似ているだけで、別の何かなのか?
あれから何度か放送室へと足を運んでみたが、一度も扉は開かなかった。放送室に無断で入ったことで目を付けられてしまったから、噓をついて鍵を借りることも出来ない。おまけに、放送室近くにあった火災警報器は故障中の札が貼られて、実際に使えなくされている。
高校生一人を相手に、随分と手の込んだことだ。
僕は肩肘をついて、空いている手でスマートフォンを取り出した。いつも通り暇つぶし用の動画を探していると、不意に画面が誰かの影で暗くなった。
「ちょっといい?」
かなり久しぶりに休み時間に声を掛けられたので、僕は眉を顰めながら声の方へと顔を向けた。
「……何?」
綺麗に結ばれているおさげは、真面目そうな印象を一学期の初日から今日まで崩していない。声を掛けてきた人物、香田楓さんと僕の視線が交じると、彼女は眼鏡の奥の目を一瞬申し訳なさそうに伏せる。
「……そんなに怖い顔をしないでよ。みんな、あなたが悪いわけじゃないって分かってる。でも飯原君が、あいつは黒い奴らの仲間かもしれないから話しかけるな、って言ってたから……」
「ああ、先週の放送で飯原君が先にこいつらの仲間になったから、僕に話しかけたってことね」
僕は前の席に座る黒い何かを指さしながら、そう嫌味を言っていた。
本当は、そんなことが言いたいわけじゃなかったのに。
「それは……うん、そう。ごめんなさい」
「……いや、こっちもごめん」
ふっ、と全身から力が抜けた。ごめん、と言われたからでもあるけど。
こんなやり取りさえ、学校では久しぶりだったな。
「えっと、それで僕に何の用なの?」
「あ、うん。昼休み、屋上に来れられる?」
「屋上に……?」
僕が怪訝そうに首をかしげると、香田さんは、あっ、と小さく声を上げてぶんぶんと手を横に振った。
「違うよ!?カツアゲとかじゃないからね」
屋上への呼び戻しから最初に出て来る発想がカツアゲなのか……。意外と物騒だな、この人。
「勘弁してください、香田さん。僕は今日、五万円しか持ってきてないんです」
「ごめんなさい、やっぱりカツアゲです。ほんのりカツアゲをさせて下さい。気になっていたハードカバーが一冊あるんです」
「少し詩的なカツアゲだなぁ……」
ちょっと不謹慎だし、あんまり笑えるようなやり取りじゃない。でもそれは、今の教室にあんまりないものだ。
僕と香田さんのぎこちない笑いが、重なった。
「分かった。昼休みに屋上に行けばいいんだね。あ、でも、鍵は……?」
そう問うと、香田さんは人差し指を立てて自らの口に当てた。それから、小さな声で答える。
「持ってる。ううん、職員室からくすねてそのままにしているの。出来るだけ、黒くなった皆や先生には聞かれたくない話だから」
「……おぉ……」
思わず感心してしまう。大人しそうな印象だったのに、意外とやる時はやるようだ。
チャイムはそれからすぐに鳴った。香田さんは僕に小さく手を振って、自分の席へと戻っていく。
僕以外にも、まだ抗おうとしているクラスメートが居たんだ。
久しぶりに教科書を取り出して、ページを捲る。シャープペンシルは、滑らかにノートの上を走っていった。
香田さんに誘われてやってきた屋上には、ほとんどのクラスメートたちが集まっていた。
正直、あの中には入りにくい。仕方ないと分かってはいても、放送室で受けたあの憎しみの視線の数々は今でも頭の中で鮮明だ。
まぁ彼らもそうなんだろう。僕を見て目を細める人、逆に目を逸らす人。互いに、色んな意味で気まずいのは間違いない。
「あ、良かった。来てくれたんだ。こっちこっち」
だから香田さんが手招きしてくれたのは、本当に助かった。
屋上の扉を開けたまま立ち止まっていた僕はゆっくりとクラスメートたちの中に入っていく。と、不満そうな声と共に一人の生徒が僕の前に立ちはだかった。
「こいつを入れて良いのか?」
元々目つきが鋭く、あまり普段から態度も良くない田中君の刺すような視線に、僕は睨み返した。
こんなことが起こる前の僕なら、怖気づいてすごすごと下がっていたかもしれないな。
「そんなこと言わないでよ。この本当に理不尽な、地獄みたいな呪いを最初に何とかしようとしてくれたのが、彼でしょ?」
「それは……分かってっけどよ。だからムカつくっていうか……」
「えっと、これは何の集まりなの?」
香田さんと田中君のやり取りに、口を挟む。彼が僕にムカついているだとかそんなのはどうでもいい。それよりも、彼らが何をしようとしているのかを早く聞きたい。
田中君は軽く舌打ちをしたが、それ以上文句を言うつもりはないようだ。それを見て、香田さんが口を開いた。
「うん……ここに居る人たちだけの秘密だよ。誰にも、先生にも言っちゃ駄目」
「分かってる」
「良かった。あのね、私たちはあの放送中に、皆で一斉に学校の外に出てみようと思っているの」
「学校の外に?」
毒気を抜かれる言葉だった。僕はいつも、あの放送をどう止めるかを考えていたから。
なるほど、と納得しても、なんというか割り切れないモヤモヤがある。
今、自分はどんな顔をしているんだろう?
香田さんは僕を見ながら、説明を続ける。
「これまで私たちは、何度か他の方法も試してきたの。自分や家族のスマートフォン、家のパソコンに学校で起こる理不尽の情報や、学校に行きたくなくなるような警鐘を残してみたり。学校に警察や保護者が乗り込んでくるような嘘を書いたり話してみたり……でも、駄目だった」
「学校を出たら全部忘れるし、普通に授業を受けて、普通に友達と話している記憶が捏造されるから……たとえ自分が送った文章でも、何だこれ?自分が書いた覚えはない、言った覚えもないってなるだけだよね」
「そうそう。みんなで他にもたくさん試してみたけれど、結局私たちは学校に来ている。受験生だし、就職活動中の人もいる。気持ち悪い。不気味。そんなんじゃあ、学校に行かない、なんて学校の外に居る時の私たちや周囲の人は決断できない」
「俺は、入院が必要なくらいの大怪我を学校で負おうとしたぜ。骨折くらいじゃ駄目だから、もっときちーやつをな」
何故か唐突に、自慢げに田中君が言った。あれか、不良が武勇伝を語っている感じなのか?
「でも、田中君は今ここに居るから……」
「ちっ、やっぱ面白くねぇ奴だな。そうだよ。三階から飛び降りてみたり、頭を壁にぶつけたりしたけど……駄目だった。くっそいてぇだけで、しばらく入院出来るほどの大怪我にはならねぇんだよ。捻挫になったり、たんこぶが出来るだけでな。ギャグ漫画の世界みてーだ」
それは言い得て妙だった。常識の通じない世界の中に、自分が居ることも含めて。
「警察、救急車、他にも色んなところに学校の中から電話をした。一度、警察が来たことがあったよね?」
そう言えば、放送室での出来事から少しして、警察がうちのクラスの様子を確認するように横切ったことがあった。あの頃僕は自分がしでかしたことばかり気にしていて余裕がなかったけれど、助けを求めるようにクラスメートたちが騒いでいた気がする。
「私は学校に来てくれた警察から事情聴取を受けて、全てを話したけれど全然取り合ってくれなかった。警察からは黒くなったクラスメートのみんなが、普通の高校生に見えていた。放送の録音とそれに続く私たちの悲鳴を聞いてもらったけれど、それだけでは何もできないと言われたり、合成音声じゃないかって逆に私が疑われるだけだったよ」
その時の事でも思い出したのか、香田さんはぎゅっと自らの腕を握り締めた。
僅かに香田さんの話が止まった間に、溜息が聞こえてきた。田中君が頭をがりがりと掻きながら、不満げに口を尖らせる。
「はぁ……香田、俺たちがやって来たこと全部をいちいち話すのか?この流れ、何回やったよ?もういいだろ。結局、色んな手段を使って駄目だったってことなんだからさ」
田中君がそう言った理由は多分、自分の自慢が終わって話せることがなくなったからなんだろうな。分かりやすい奴だ。
とは言え、彼の言葉には僕も賛成だった。結局、僕たちは誰も逃れられないまま高校に来ている。検証は大事だけれど、それは香田さんたちがきっと纏めているんだろうし。
「そうだね。学校の外に助けを求めても解決しない。学校の外で私たちに出来ることもきっとない。だから、学校の中で方法を探すしかない。それで、最初の話に戻るんだけれど」
「放送中に、皆で一斉に学校の外に出てみようって話?」
「うん。あの放送を聞かなくても――耳栓をしたり、出来るだけ3-Bから離れても黒くなった人は……いる。私たちはずっと、みんなで放送から逃れられる可能性を試してきた。分かったのは、放送を聞いたかどうか、学校内の場所がどうかはきっと関係ないってこと」
あぁ……僕は多分、一人で思い込んでいた。
クラスメートたちは完全に諦めていると思っていた。3-Bから放送の時間になって逃げたり、耳を塞いでただその時を待っているだけだと冷笑していた。
違ったんだ。黒くなった彼らの中にも、抗おうとした人たちがいた。
金村や学校から抵抗を隠すための偽装もあったかもしれない。
実際に僕は気がつけなかった。そもそも見ようとすら、していなかった。
沈黙が訪れる。香田さんは僕がしばらく黙っている理由を勘違いしたのか、また話し始めた。
「君も多分、成功する可能性が低いって思ってるよね。放送を聞いたかどうかは関係ないんだから。だから上手くいかないんじゃないかって。でも黒くなるその瞬間だけ、学校の外にいればどうなるのか……それは試して見る価値はあると思うの」
「何だか縄跳びみたいだ。縄という危険が足元に来た時にジャンプすれば、当たらない。また縄が回ってきても、その度に飛べばいい」
僕が何となく思い浮かんだことを言うと、香田さんはふふっと軽く笑った。
「面白い例えだね。でも、端的に言うとそういう事。だから全員で飛ぶ必要がある。縄が、誰を引っ掛けようとしているのか分からないから」
正直、悪くないと思った。何もしないまま、机に突っ伏しているよりは全然良い。
こうやって香田さんたちは、あの放送が起こす呪いを調べて来たんだろうな。
……ただモヤモヤは、やっぱり消えない。
僕は多分、あの放送自体を止めたいんだ。
だから、なのか。
それとも今ここに、縄を飛ぶべき"全員"がいないからなのか。
どちらなんだろう。
嫌なことに、拳を鳴らしながら口を開いた田中君の言葉の方が胸にすかっときた。
「っーか前々から言ってるけど、金村しめて色々吐かせりゃよくね?」
同じことを考えるクラスメートがいたのか。いや僕は、考えただけじゃなくて――。
……内申点とか先生への心象だとか、そんなのはもはや意味がない。あんな黒いものになるくらいなら大学に行けなくてもいいし、停学や退学になるならむしろ最高の結果だ。
でも、それはきっと無理だ。
放送室での出来事から、一ヶ月もしない頃だ。僕は金村が一人になったところを襲った。放課後、理科準備室に一人でいるところを後ろから殴り飛ばした。




