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卒業放送②

 学級委員長が黒く溶ける人型になってから、授業やホームルームの号令は持ち回りになっていた。


 金村先生……いや、金村が平然とホームルームの始まりを告げると、僕は着席の声に従わずに教室から飛び出した。


 金村とすれ違う一瞬、しょうがない奴と接するように呆れの混じった溜息が聞こえてきたのは苛立ったけど、やつは追っては来なかった。


 目的は、放送室だ。


 今日まで僕は動けなかった。翔太が黒くなった、その時にさえ。なのに、今どうして自分がこんなことをしているのか、はっきりとは分からない。


 そんなの、関係あるか?理不尽に向かって怒りをぶつけることの何が悪いんだ?


 放送室の前に辿り着いた僕は、少しだけ落ち着いて一つ息を吸い込んだ。汗ばんだ手が、ぬるっと金属の取手を滑る。冷たくて固い、嫌な感触だった。


 放送はまだ始まっていない。けれど、元凶はすでに中に居るかもしれない。いや、居なくても良い。逆に、この中で待ち構えてやる。


 息を吐いてドアを開こうと手に力を籠める。だけど、びくともしない。


 ガチャ、ガチャ。ガチャガチャガチャガチャ。


 くそっ、何で開かないんだよ!


 ……ああ、鍵か。


「はは」


 急に笑いが込上げて来る。何でか可笑しくって、仕方ない。


 けれど込上げて来た笑いは、すぐに喉の中で凍り付いた。


 たった三回。それでも忘れようのない声が、放送室の中から聞こえてくる。


 今すぐにでも、四回目が告げられるかもしれない。その名前は僕かもしれない。すぐにでも手が顔が全身が、翔太とそっくりに溶けていくかもしれない。


 この中に、全ての元凶がいる。こんな理不尽な仕組みを作り出した、殺したくなるほどの相手が。


 それでも、分厚い扉に体当たりなんてするもんじゃない。ドラマみたいに扉がぶち破れたりはしないのだと、僕は身をもって知った。


 他に何か、何か扉を開ける方法はないのか!?


 ふと、火災警報器の赤さが視界に入った。


 これだ!


 身を焦がす感情のままに、火事を知らせるボタンを押し込んだ。


 けたたましい音が校舎中に鳴り響く。静かだった近くの教室が一気にざわめいたけど、誰も出てこなかった。


 僕も何度か経験している。誤作動や悪戯をする生徒のせいで、火事でもないのに火災警報器が鳴ることがあった。だからか、生徒たちが警報を聞いてすぐに教室から出ることは意外と少ない。先生が確認し、放送で訂正されることがほとんどだからだ。


 火災だと信じれば、この中にいる元凶は放送室から出て来るだろう。そうでなくとも、先生が放送室を開けに来るはずだ。


 ……こんなの、ほとんど後から考えた勝手な理由だ。でも、この状況で他にどんな手段があるっていうんだ?


 欲しい物を親にねだる子供のように、僕は放送室の扉を睨みつけた。


 ほどなくカチャ、っと。乾いた音と共に呆気なく扉は開いた。


 息を呑む。


 こんなにあっさり開くとは考えていなかった。歓迎しているみたいに開き切った放送室には、電気がついていない。カーテンを閉めているにしても、放送室の暗闇は黒い絵の具で塗りつぶされているかと思うくらいに深かった。


 そこから、何かに見られているような気がする。生暖かく不快な、雨上がりの夏風のようなじっとりとした視線で。


 でも、何もない。軽く覗き込んだだけでは、闇しか見えない。


 はっきりとしているのは唯一、放送の声だけだ。


「3年B組の和田仁さん。三年B組の」


 咄嗟に放送室の中へと踏み入る。和田君は僕の友達ではないけれどクラスメートだ。このまま何もしないのは、見殺しにするのと一緒だ。


 何か、この放送を止める手段はないのか!?何で、どこに何があるのかさえ分からないほど暗いんだ……!?


 壁際を手探りで探っていると、右腕が何か固い物に触れた。きっと明かりのスイッチだ。


 ようやく見つけた打開の手段を、僕は勢いよく押し込んだ。


 ぬるっと、変な感触がした。放置され続けた藻だらけのプールの水に、手をつっ込んだような嫌悪感。


 蛍光灯が明かりをもたらす。暗闇が、嘘のように取り払われて。


「ひっ!」


 勝手に、心臓から声が飛び出した。


 囲まれていた。


 いっそあのまま、先の見えない暗黒であってくれればよかった。その方が全然マシだった。


 息を止めた。悲鳴を必死に抑えた。出来るだけ体を縮こまらせた。


 そうするしかなかった。黒い何かが、僕を囲んでいる。僕の指先が、あのねちゃねちゃとした液体を掠めている。


 どうしよう。どうしよう。どうしよう!?


「ああ。君も」


 それは、僕の声ではなかった。くぐもっていたけれど、この状況にふさわしくない、とても自然な声だった。


「僕は残された。僕らも残される。ここから、卒業出来ないものだから」


 嬉しいような、悲しいような、そんな感情が滲んだ声が嫌に耳に障る。


「だから探し続けるんだ。一緒の友達を。壇上が迎えに来るまで」


 黒い何かが喋ることは、もう十分知っている。でも、内容に意味がない言葉にしかならないはずだ。


 翔太だって、そうだったから。


 この声が、僕を囲んでいるやつの声だとは信じたくない。


 何でこいつらだけ、普通の人間みたいに喋りやがるんだ!?だったら翔太にだって、そうさせてくれよ!


 そんな胸の中の叫びさえ言葉に出来ない。


 けれど、僕を囲んでいたやつらは消えていた。


 瞬きを一度した、僅かな間に。夢みたいに。


 でもあれは間違いなく現実だ。指に残った気持ちの悪い感触が、消えない。


 しばらく様子を窺う。張り裂けそうな心臓の鼓動がようやく少し収まってきて、そして僕はどうしてここに来たのかを思い出した。


 必死になっていて放送を最後まで聞けていないけれど、和田くんは僕が手間取っている間にきっと、もう……。


「あっ!やっぱ、ここに居たのか」


 聞こえて来た声の方へ、用心しながら振り返る。僕を囲んでいた黒い何かが、また現れたと思ったんだ。


 でも違っていた。その声の先には見知った人が、いや人たちが居た。


「……みんな?どうして、ここに?」


 放送室の扉の前に、幾人ものクラスメートがいた。誰も彼もが、しばらく見せたことがないような表情を浮かべている。


 僕が浮かべているものとはきっと、正反対の表情だ。


「どうしてって、当り前だろ?この放送を止めてくれた恩人に、お礼を言いに来たんだよ。感謝、感謝!」


 ちょっとおどけたように手を擦り合せながら、和田くんがそう言って進み出て来た。


 どこも黒くない。お調子者な和田君そのままだった。


「……いや、そうじゃないな。本当に、ありがとう。あんな黒い気味の悪いものになるんじゃないかって、俺は泣きそうだったんだ。でも、放送が急に止まってさ」


 何を、言っているんだ?


 僕は何もしていない。


「お前、教室から突然出て行っただろ?だからみんなもしかしたらって、放送室に行ってみようってなって」


「いや、ちが『失礼しました』」


 皆、固まった。笑顔のまま神経を抜かれたみたいに、固まった。


「放送を再開します。3年B組の和田仁さん」


 和田君が僕を見た。驚きで丸まった瞳で、僕だけを見ている。そしてすぐに、僕だけを恨んでいるように。


 悲鳴は聞き慣れたつもりだったけれど、放送室内は狭くて体にまで響く。


 和田君だけじゃない。クラスメートたちも同じだ。同じように、僕を見て叫んでいる。


「一度止めたんだろ!!早く止めろよっ!!」「お前、俺たちをからかってんのか!?ふざけるのはよせよ!」「何で、何でこんなことが許されるのよぅっ!!」


 僕じゃ……ないだろ。悪いのは、金村やこの放送だろ!


 そんな風に言い返すことも出来ず、僕は放送機器を見つめた。


 色々なスイッチやスライダーがあるこれって、なんて名前なんだっけ?


 ぼんやりとそう考えながら、鈍色の機材のスイッチやスライダーを滅茶苦茶に弄りまわす。


 止まる様子はない。


 そうなんだろうなとは思っていた。僕はただ、見たくなかっただけだ。


 和田君を。


 クラスメートを。


 僕に向かって、馬鹿みたいに当たり散らす奴らを。


 これならまだ、暗闇の中に居た方がマシだった。


「少し遅れましたがお祝いがありますので」


「どけよっ!」


 強い衝撃を受けて、僕は床に転がった。痛めた肩を押さえながら上を見上げると、僕を突き飛ばした和田君が機材を何度も強く叩いている。


 彼の拳から流れ落ちた少量の血が、床を濡らす。


 ……彼の血なら、赤よりも黒の方がお似合いだと思った。


「至急来てください」


「……」


 放送が終わると、和田君は力なく血塗れの腕を降ろした。


 それから僕に振り向いて、唇を動かした。憎しみはきっと、どこにもないように見えた。


「あ……ごめ……」


 けれど、言い終わる前にその唇は、何かを受けいれたように弧を描いていく。


 最後まで残ったのは、平川君と同じあの笑顔だった。


 そうして和田君は黒くなって、四っつめとなってしまった。


 クラスメートが力なくくずおれていく。揃いも揃って似たように。


 かつ、かつ、かつ。


 そんな状況をかき乱すような、力強い足音がやって来た。


「おっ、終わってたか。おいたはこれくらいにしてくれよな」


 全てを分かっていたみたいに、穏やかな声。なのに、やれやれとでも言いたげに頭を掻いて見せるその行動が、どこか気持ち悪かった。


 声の主である金村は躊躇いなく放送室に入ってきて、それから急に何かを思いついたみたいに口を丸めた。


「そうだ、どうせならみんなに聞いてもらうか。放送用のスイッチは……っと」


 カチッと音がしてから、マイクを軽く叩く。問題ないと判断したのか金村は、一度スイッチを切ってハンカチを取り出すと、マイクを丁寧に拭いていった。


 こんな状況で平然とそんなことをしている金村に対して、誰も、何も言えない。言う気力もない。僕だけが壁にもたれても、その様子から目を離さなかった。


「それじゃあ、クラスメートみんなで和田を祝おう!いいか皆、いつものようにお祝いをして、拍手もするんだぞ」


 カチッ、とスイッチが再度押される音が空しく響き渡る。


「和田、おめでとう!」


 ほとんど誰も続かない。続けない。まばらな拍手だけが虚しく反響する。


 再度スイッチを切った金村は溜息をついた。それから、和田君だったものを掴んだ。


「なら、和田に頼むか。和田。お前の答辞を全校生徒に聞いてもらおう。成績が良いし、お前ならもう出来るよな?」


 ……金村に背中だった場所に手をつっ込まれたそれが何と言ったのか、僕には理解出来ない。


 なのに近くの教室から、感心したような響きの声が聞こえてくる。


 それが、苛立たしかった。

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