6. 双子の王子と禁断のおやつ
機械からシュポシュポと蒸気が上がり、部屋の中に、なんとも香ばしくて甘い、抗いがたい匂いが立ち込め始めた。
――それは、ただの食欲ではない。もっと“本能”に近い何かだった。
「(わっ、フェリックス! すっごいいい匂いがする……! お腹空いてきちゃった)」
「(……チッ、確かに。だが騙されるなフィリップ。あんな得体の知れない女が作るものが、まともなはずが――)」
フェリックスの言葉が途切れる。
ベルが「できたー!」と声を上げ、機械から出てきた黄金色のクラッカーを幸せそうに掲げたからだ。
「よし、まずは毒見……じゃなくて味見ね。あーん……もぐもぐ。……んー! 馬ーい!!」
その瞬間、双子の王子たちの「ユニコーンの本能」が、本日二度目の警鐘を鳴らした。
「「(……ゴクリ)」」
静かな部屋に、二人の喉が鳴る音が重なって響く。
理性が「あんな怪しい女の作ったものなんて」と拒絶しても、ユニコーンの血が、その芳醇な人参の香りに、抗いようのない飢餓感を突きつけていた。
「ねぇ! それ僕にもちょうだい!」
「ちょ……フィリッ!」
「わああああああああああああ!!!!!!」
突然暗闇から飛び出してきた美少年に、私は心臓が口から飛び出るかと思うほどの叫び声を上げた。そのまま窓際まで座ったまま後ずさり、窓枠に後頭部を強打する。
「いっ……」
痛む後頭部をさすりながら、私は目の前に現れた高貴な双子を呆然と見上げた。夕闇に照らされた銀髪、そして赤紫と青紫の瞳……。
「うん……まー!!!!! なにこれ! 食べてみなよ兄さん!」
「フィリップ……毒味もなしに……。…………。なんだこれ……めちゃくちゃうまいじゃん」
(まさかこんなところで双子の王子様に遭遇するなんて! )
「ハッ! ちょ、ちょっと! それうちの愛馬のおやつなんです、返してください!」
慌てて手を伸ばすが、フィリップ様はひらりと身をかわして最後の一個を口に放り込んだ。
「これが馬のおやつだと…?お前は誰だ? なぜこんなところで料理をしている」
フェリックス様が冷ややかな瞳で私を射抜く。
「はぁ……私はベル・ルミエール。ルミエール男爵家の一人娘でございます。本日は発明の褒賞をいただきに参りまして、その、空き部屋だとお見受けしたので少々部屋ををお借りして……」
「ねぇねぇ、ベル! これもっと食べたい! もう無いの?」
フィリップ様が上目遣いで、子犬(いや、仔馬)のような瞳で私を見つめてくる。。……ぅ、可愛い。末っ子特有のあざとさが心に刺さる。
「……っ。では、お部屋でお召し上がりになれるように袋に詰め直しますね。材料はまだありますから……でも、食べすぎは禁物ですよ?」
「やった! ベル、優しいね」
「ところで、この魔道具はお前が作ったのか?」
フェリックス様が『ウマクナール』を不審そうに指差す。
(う~ん……これぐらいの調理用魔道具なら、バレても特に問題ないよね?)
「はい。私が設計しました」
「ふーん、変わったものを作るんだな。他にも何かあるのか?」
「よくぞ聞いてくださいました!」
馬活スイッチが入ってしまった。私はカバンから次々と試作品を取り出し、畳みかけるように説明を始める。
「こちらはさきほどポニたちにも使った、『超音波式・鬣トリートメント・スムーサー』! そしてこちらが、蹄の頑固な汚れを落としつつ磨き上げる『高速回転・蹄ピカピカ・ポリッシャー』です!」
「「!!!!!!」」
「な、なんで馬ばっかりなんだよ……」
「馬……そして、その至高の存在であるユニコーンを崇拝しているからです! あの気高き角、流れるような鬣、力強い蹄……それらを守り、磨き上げることは、私にとって神聖な儀式なのです!」
「「…………は?」」
私はそこから、いかにユニコーンが素晴らしいか、いかに今の彼らの「馬の姿」が芸術的であるかを、熱を込めて語り倒した。
(……こいつ、もしかして本気で言ってるのか?)
「……わかった。わかったからもう喋るな。息を吸え、ベル」
「はぁ、はぁ……。すみません、つい取り乱しました」
「変わってるね、ベル。なんでそんなに馬が好きなの?」
フィリップ様が不思議そうに首を傾げる。
「今まで、僕たちのことを『呪われた姿』だって言って、気味悪がったり同情したりする令嬢は山ほどいたけど。……そんなに嬉しそうに馬の姿を褒める奴、初めてだよ」
そう。王太子たちの呪いは、かつて国を追われた邪悪な魔女が、王家と側近にかけた呪い。特定の年齢になると、日の沈んでいる間だけ「獣の姿」に変えられてしまうという、忌まわしいものとして恐れられてきた。だが、なぜ魔女がそんな呪いをかけたのかは分からないままだ。
(……でも、私にとってはご褒美でしかないんだよね)
ふと見ると、フェリックス様が私の顔をじっと覗き込んでいた。
(……そういえば、こいつ。他の令嬢みたいな、媚を売るような嫌な『臭い』が全くしないな。むしろ――)
(……いや、“しない”どころじゃない)
(まるで――)
「ねぇ、ベル。今夜、そのブラシ……僕たちにも試してよ」
フィリップ様が、悪戯っぽく微笑んだ。
「フィリップ!」
「フェリ兄様だってこれ、試してみたいって思ったでしょ? さっきからスムーサーを食い入るように見てたもんね」
「フェリックス様……?」
「……まぁ、確かに……ハッ! いや、その魔道具が、馬用として本当に優れているのか確かめてやるという意味だ! 変な期待をするなよ!」
フェリックス様が顔を赤くして言い放ったその時、廊下から規則正しい足音が近づいてきた。
「フィリップ王子! フェリックス王子! どこにいらっしゃいますか!」
「やばい、ヴィンセントだ」
双子の顔色が変わる。フェリックス様が咄嗟に私の肩を掴み、部屋の大きなカーテンの裏へと押し込んだ。
「お前はここに隠れてろ。いいか、声を出すなよ」
カーテンが閉まった直後、扉が開いた。
「こちらにいらっしゃいましたか。セドリック様がお呼びですよ。……おや? なにやら香ばしい、いい匂いがしますが……」
宰相ヴィンセント様の、低く冷徹な声が響く。私はカーテンの裏で息を殺した。
「き、気のせい、気のせいだよヴィンセント! お腹が空いて幻臭でもしたんじゃない? 行こう、フェリックス!」
「あ、あぁ。兄上が待っているんだろう?」
足音が遠ざかり、部屋が静まり返る。すると、カーテン越しに小さな囁き声が聞こえた。
「ベル、夜になったら必ず庭園に来てね。約束だよ!」
フィリップ様の弾んだ声。私はしばらく待ってから、恐る恐るカーテンから這い出した。
(……危なかったー! でも、でもでもでも! 合法的に、しかも王子様直々のご指名でユニコーンに触れる権利を得ちゃったー!いいの!?こんなに順調でいいの!?すごい!嬉しい!)
――一方、王宮の別室。
「お前ら、またサボりやがって。主役がいなくては格好がつかないだろう」
待ち構えていたセドリックが、不機嫌そうに弟たちを睨みつけた。
「主役はセド兄様でしょ?令嬢とのダンスなんてつまんないし、みんな香水と下心が混ざったような変な臭いがするんだもん」
フィリップが口を尖らせれば、フェリックスも冷ややかに同意する。
「婚約者探しが急務なのは、兄様だけでしょ」
「黙れ。俺だって好きでやっているわけではない……」
セドリックが溜息をつき、椅子に背を預けた。……その時、彼の鋭い鼻が何かを捉えた。クンクン、と空気を嗅ぐ。
「……おい。お前ら、なんか美味そうな匂いがするぞ」
「えっ」
「そのポケットだ。何が入っている」
セドリックの視線が、フィリップの膨らんだポケットに突き刺さる。
「あげないよ! これは僕の――ベルがくれたやつなんだから!……あぁっ!」
セドリックは問答無用で弟のポケットから袋を奪い取った。中には、黄金色の小さなクラッカーが入っている。
「……菓子か?」
「殿下! 毒見も済んでいないものを口にしては……!」
ヴィンセントが叫ぶが、セドリックは止まらなかった。なぜか、本能が「これは安全だ」と告げていたからだ。一枚、口に放り込む。
「なんだ……これ」
セドリックの瞳が、驚愕に見開かれた。
「……お前らも食べてみろ」
王太子に促され、ヴィンセントと、隣に控えていた護衛騎士カスティエルが、それぞれ一枚ずつ口にする。
「「!!!!」」
二人は同時に絶句した。
口の中に広がるのは、人参本来の深い甘みと、それを引き立てる香ばしさ。そして、体の奥底から魔力がじんわりと温まるような不思議な感覚。
(……もう一枚、欲しい。止まらない)
怪しい薬……あるいは、何らかの禁忌の魔術でも使われているのかと思うほどの、圧倒的な完成度だった。
「これをどこで手に入れた」
セドリックの低い声が、部屋に響く。
「はぁ……。ルミエール家の男爵令嬢だよ」
セドリックとヴィンセントが、同時にピクリと反応した。フィリップが不満げに袋を奪い返す。
「さっき偶然、彼女がこれを作ってるところを目撃したの! 全く……僕のものだったのに……」
「ルミエール男爵の……あの助手か」
セドリックの脳裏に、ダンスの時の「花の蜜のような香り」が蘇る。
「兄様、彼女はこれを愛馬のおやつだと。しかも馬……特にユニコーンを崇拝しているって言ってたぞ」
「は?」
「他にも、色んな馬専用の魔道具を見せてくれたんだ。鬣をツヤツヤにする道具とか、蹄を磨くやつとか……」
あの馬小屋で見た、恍惚となる馬の表情。そして、自分たちの「正体」を崇拝しているという奇特な令嬢。
(……あの女、俺たちの呪われた姿を知っていて、あんなに嬉々として近づこうとしているのか?)
窓の外を見れば、太陽はすでに地平線の向こうへと沈み、王宮を深い藍色が包み込み始めていた。呪いの刻限。間もなく彼らは、人ならざる「獣」の姿へと変わる。
静寂が支配するはずの夜の庭園。そこに新たな波乱の足音が、確かに近づいていた。
――運命は、すでに彼女を中心に回り始めていた。




