第三十話 圧縮
翌日。
バドウィン魔法屋。
「今日は圧縮です」
エルザが言った。
アッシュの顔が明るくなる。
「強そうだな」
「強いです」
エルザは即答した。
アッシュは満足そうに頷く。
「ただし、高等技術です」
「出た」
レナが嫌そうな顔をした。
アッシュが意外そうに見る。
「お前でも苦手なのか?」
「苦手」
即答だった。
「へぇ」
「何その顔」
「いや、あるんだなって」
レナが軽く拳を握る。
アッシュは少しだけ後ろに下がった。
エルザはいつも通りだった。
「圧縮は才能より精神性が問われます」
「また心か」
アッシュが言う。
「また心です」
エルザは紙を一枚置いた。
そこに円を描く。
「増幅は魔力の量を増やす技術です」
円の外側に、さらに大きな円を描く。
「感情や意思によって魔力を大きくします」
「それは昨日やったな」
「はい」
エルザは頷いた。
「ですが増幅だけでは、魔力は広がります」
「広がる?」
「同じ量の水でも、桶に入れるのと霧状に撒くのでは密度が違うでしょう」
アッシュは少し考えた。
「分かるような、分からんような」
「多分分かってないね」
レナが言った。
「うるせぇ」
エルザは気にせず、円の外側から内側へ矢印を書く。
「圧縮とは、増えた魔力を押さえ込む技術です」
「押さえ込む?」
セイルが聞いた。
「正確には心で押さえ込みます」
エルザは言った。
「正の感情で増幅しながら、負の感情で押さえ付ける」
「その結果、魔力は広がれなくなる」
紙の円を指で叩く。
「すると密度だけが上がります」
「これが圧縮です」
レナが頷いた。
「だから嫌い」
「一つの気持ちだけじゃ駄目なんだよね」
「はい」
エルザは頷く。
「相反する心を同時に高めなくてはなりません」
「勇気と恐怖」
「希望と絶望」
「愛情と覚悟」
「理解したい気持ちと、理解できない現実」
セイルはその言葉に少し反応した。
理解したい。
理解できない。
どちらも自分の中にある。
「つまり」
アッシュが眉を寄せる。
「面倒ってことか」
「高等技術です」
「面倒なんだな」
「高等技術です」
エルザは譲らなかった。
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最初はアッシュだった。
「仲間を守りたい」
昨日、それで魔力は増えた。
今回も増える。
全身に魔力が広がる。
濃い。
分かりやすい。
エルザも頷いた。
「増幅は問題ありません」
アッシュは笑う。
「だろ」
「では押さえ込んでください」
「どうやって?」
「相反する心を使います」
アッシュは固まった。
「相反するって何だ」
レナが横から言う。
「守りたいなら、失いたくないとか?」
アッシュの顔が少し変わった。
「失いたくない」
その言葉を口にした瞬間、魔力が揺れた。
だがすぐに散る。
アッシュが息を吐いた。
「無理だ」
「何がですか」
エルザが聞く。
「嫌だろ」
短い言葉だった。
「そんなこと考えるの」
セイルはアッシュを見る。
橋の時。
岩甲亀の時。
旅の途中。
アッシュはいつも前へ出た。
怖がっていないと思っていた。
違ったのかもしれない。
アッシュは怖がる前に動くだけなのかもしれない。
エルザは少しだけ表情を和らげた。
「嫌なことも心の一部です」
「消す必要はありません」
「受け止めるだけでいい」
アッシュは黙った。
そしてもう一度目を閉じる。
仲間を守りたい。
失いたくない。
二つを同時に考える。
魔力が増える。
広がる。
そこで少しだけ止まる。
ほんの少し。
本当に少しだけ。
「今のは?」
アッシュが目を開けた。
エルザは頷いた。
「一瞬だけ成功しました」
「おお」
アッシュはすぐに明るくなる。
「やっぱ俺すごいな」
「一瞬です」
「一瞬でも成功だろ」
「一瞬です」
レナが笑った。
「でもすごいよ」
アッシュは嬉しそうだった。
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次はセイルだった。
目を閉じる。
理解したい。
魔力が動く。
目へ集まる。
そこまではできる。
昨日より安定していた。
「では圧縮してください」
エルザが言う。
セイルは考える。
理解したい。
その反対。
理解したくない。
違う。
それではない。
理解できない。
その言葉が浮かぶ。
自分は人を理解したい。
だが全て理解できるわけではない。
ティアのことも。
アッシュのことも。
レナのことも。
ダグのことも。
オズワルドのことも。
見えても分からないことはある。
聞いても分からないことはある。
それでも理解したい。
その二つを同時に考えた。
魔力が揺れる。
目へ集まった魔力が少しだけ濃くなる。
視界が暗いまま、感覚だけが鋭くなった。
だがすぐに崩れた。
「……難しいです」
セイルは目を開ける。
エルザが頷く。
「当然です」
「ただ、方向は合っています」
「理解したい」
「理解できない」
「その両方を受け止めることです」
セイルは頷いた。
分かったとは言えない。
だが、分かりたいとは思った。
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最後はレナだった。
「やっぱりやるの?」
「講師役でしょう」
エルザが言う。
「たまには見本を見せてください」
「できるかなぁ」
レナはそう言いながらも立ち上がる。
手を前へ出す。
魔力が集まる。
速い。
綺麗だった。
手の周りに淡い光が浮かぶ。
「増幅は問題ありません」
エルザが言う。
「うん」
「では圧縮を」
レナの表情が少しだけ変わる。
いつもの笑顔は残っている。
だが何かが違った。
「幸せになりたい」
小さく呟いた。
魔力が増える。
明るく、軽く、広がるような魔力だった。
そこで止まる。
止まったまま。
動かない。
「もう一つです」
エルザが言う。
レナは黙った。
「何ですか」
「分かんない」
「分かっているはずです」
レナは笑った。
「厳しいなぁ」
それでも次の言葉は出なかった。
魔力が散る。
レナは手を下ろした。
「駄目だった」
軽い口調だった。
だが。
セイルには少しだけ違って見えた。
笑っている。
いつも通りに。
でも目元だけ、少し違った。
エルザは何も言わなかった。
レナも何も言わなかった。
アッシュは気付いていないようだった。
セイルだけが、その違いを見ていた。
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帰り道。
アッシュが大きく伸びをした。
「圧縮、面倒だな」
「面倒だね」
レナが答える。
声はいつも通りだった。
「でも強いんだろ」
「強い」
レナが答える。
「ならやるしかねぇな」
アッシュは簡単に言った。
レナが笑う。
「ほんと単純」
「単純で悪いか」
「悪くないよ」
レナはそう言った。
少しだけ静かな声だった。
セイルは横を見る。
夕日が街を赤く染めている。
レナの金髪も赤く見えた。
短く切られた髪が風で揺れる。
楽しそうに笑っている。
いつも通りだった。
明るくて。
前向きで。
何でも楽しそうにするレナだった。
そのはずだった。
だが。
少しだけ違った。
笑顔なのに。
目だけが笑っていない。
そんな大袈裟なものではない。
本当に少しだけ。
何かを隠しているような。
何かを諦めているような。
そんな違和感だった。
セイルは言葉にできなかった。
見えている。
だが理解できない。
その時だった。
「ねぇ」
レナが言った。
「はい」
レナは少し空を見上げた。
夕日に照らされた横顔は綺麗だった。
年上らしい余裕がある。
いつも笑っている。
何でも受け入れてくれそうな顔だった。
「幸せってさ」
そこで止まる。
アッシュも振り返る。
レナは少しだけ目を細めた。
そして笑う。
いつもの笑顔だった。
「いや、何でもない」
「そうですか」
「うん」
レナは前を向く。
風が吹く。
金色の髪が揺れる。
その背中は軽そうだった。
自由そうだった。
だけど。
何故か少しだけ。
寂しそうにも見えた。
「また今度ね」
セイルは頷いた。
理解したい。
でも、まだ理解できない。
その両方が、自分の中に残っていた。




