第二話 見えるものと見えないもの
翌朝。
ティアはセイルの家の前に立っていた。
昨日から何となく落ち着かない。
王都。
使節団。
聖女。
考えれば考えるほど不安になる。
だから。
とりあえずセイルに会いたかった。
コンコン。
扉を叩く。
返事はない。
もう一度叩く。
やはり返事はない。
「あれ?」
首を傾げていると、中からセイルの母親が顔を出した。
「あらティアちゃん」
「おはようございます」
「セイルなら朝早くから出ていったわよ」
「こんな朝から?」
「何か調べるとか言ってたわねぇ」
ティアは嫌な予感がした。
昨日の橋。
セイルの表情。
そして最後の言葉。
『なんか変だな』
「……」
一度家へ帰るか。
それとも探しに行くか。
迷っていると。
「聖女様!」
声を掛けられた。
パン屋のおばちゃんだった。
「おはようございます……」
「聖女様に焼きたて持ってきたよ!」
パンを押し付けられる。
「いや、お金は」
「いいのいいの!」
さらに。
「聖女様!」
今度は果物屋。
「これ持っていきな!」
さらに。
「聖女様!」
今度は肉屋。
ティアは笑顔を作りながら受け取った。
みんな優しい。
みんな笑顔だ。
でも。
少しだけ笑顔に疲れていた。
今までティアだったのに。
これからは聖女様。
なんだか遠くに行ってしまう気がした。
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その頃。
セイルは橋の下にいた。
橋の横から川岸へ降りる。
最初はただの坂道だが、途中から道は消える。
大きな岩。
滑りやすい石。
足を置く場所を選ばなければならない。
「……」
見上げる。
橋。
思ったより高い。
川面から十メートル近くはあるだろうか。
下には岩が転がっている。
もし落ちれば。
無事では済まない。
セイルは橋脚へ近付いた。
昨日気になった場所。
石と石の境目。
その一つに細いひびが入っていた。
「やっぱり」
しゃがみ込む。
ひび。
石のわずかなズレ。
橋の中央へ続く継ぎ目。
そして上から落ちてきた砂。
繋がっている気がした。
橋を見上げる。
ひび。
中央部。
砂。
何度も視線が往復する。
だが。
分からない。
危険なのか。
危険じゃないのか。
橋の専門家ではない。
ただ。
嫌な感じだけが消えなかった。
その時。
「おーい!」
聞き慣れた声。
振り返る。
赤髪を揺らしながらアッシュが岩場を軽快に降りてきていた。
その後ろではティアが恐る恐る岩場を進んでいた。
「やっぱりここにいた」
ティアが少しだけ安心した顔をする。
「何してるんだ?」
アッシュが聞く。
セイルは橋脚を指差した。
「これ」
アッシュが覗き込む。
「どれ?」
「ひび」
「見えねぇ」
即答だった。
セイルは少しだけ呆れた。
「そこ」
「どこ」
「そこ」
「だからどこだよ」
ティアが苦笑する。
ようやくひびを見つけたアッシュは首を傾げた。
「で?」
「橋がおかしい気がする」
「落ちるのか?」
「分からない」
セイルは正直に答えた。
「でも危ない気がする」
アッシュは数秒考えた。
そして。
「じゃあ村長に言おう」
セイルは思わずアッシュを見た。
「いいのか?」
「何が?」
「お前見えてないだろ」
「見えてない」
アッシュは豪快な笑顔を見せる。
「でもセイルが言うなら何かあるんだろ」
ティアが驚いた顔をした。
「分かったの?」
「全然」
アッシュは即答した。
「でもセイルだからな、昔からそういうの当てるし」
それだけだった。
セイルは少し黙る。
よく分からない。
橋が崩落する確信はない。
説明もできない。
なのにアッシュは信じている。
その理由が理解できなかった。
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三人は村長の家へ向かい、事情を説明する。
村長は渋い顔をしながら橋へ向かった。
しばらくして。
村長は橋脚を見上げる。
ひびを見る。
石を見る。
「確かにひびはあるな」
セイルは少しだけ安心した。
だが。
村長の次の言葉は予想通りだった。
「じゃが橋にひびくらい入る」
「でも」
「補修は必要じゃろう」
村長は頷いた。
「使節団が帰ったら職人を呼ぼう」
セイルは言葉に詰まった。
それは正しい。
確かに正しい。
だが。
「使節団が通るのは…」
「危険じゃと言うのか?」
村長が聞く。
「……」
答えられない。
危険な気がする。
だが証明はできない。
村長はため息を吐いた。
「王都から王命で教会と騎士団が来るんじゃ」
静かな声だった。
「橋を封鎖するには理由が足りん、下手したら王命に背く反逆者じゃ」
それも正しい。
村長は悪くない。
誰も悪くない。
それでも。
胸の奥の嫌な感覚だけが消えなかった。
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帰り際。
セイルはもう一度橋を見た。
夕日が石橋を赤く染めている。
風が吹く。
パラッ。
どこかで砂が落ちた。
気のせいかもしれない。
本当に小さな音だった。
セイルは橋を見る。
川を見る。
岩を見る。
そして小さく呟いた。
「大丈夫かな」
誰にも聞こえなかった。
ただ。
その不安だけが少しずつ大きくなっていた。




