第十八話 兎角鹿
兎角鹿の生息地は森ではなかった。
街から少し離れた丘陵地帯。
背の低い草。
岩場。
そして所々に崖がある。
風も強い。
「鹿だろ?」
アッシュは肩を回した。
「逃げても追いつける」
ダグは鼻で笑う。
「追いつけねぇよ」
「何でだよ」
「だから依頼になってる」
それだけだった。
確かにそうだった。
ただの鹿なら農民でも追い払える。
わざわざ金を払って冒険者を呼ばない。
三人は丘を登る。
セイルは周囲を見る。
草の揺れ。
足跡。
糞。
獣道。
最近はそういう物が自然と目に入るようになっていた。
ダグの影響かもしれない。
「いた」
セイルが言った。
遠く。
丘の向こう。
一頭の兎角鹿。
長い耳。
細い脚。
額には短い角。
思ったより大きい。
「本当だ」
アッシュが剣を抜く。
そして走った。
「あ」
セイルが声を上げる。
遅かった。
兎角鹿の耳が動く。
こちらを見る。
次の瞬間。
走った。
速い。
一瞬だった。
草原を駆け抜ける。
あっという間に見えなくなった。
アッシュが立ち止まる。
「……」
沈黙。
ダグが笑った。
「だから言っただろ」
アッシュは悔しそうだった。
「今のは油断した」
「次も油断する」
「しねぇ」
「する」
即答だった。
アッシュが顔をしかめる。
ダグは続ける。
「あれは逃げるのが仕事だ」
「仕事?」
「そうだ」
ダグは頷く。
「お前は追うのが仕事じゃねぇ」
意味が分からなかった。
セイルも少し首を傾げる。
だがダグはそれ以上説明しなかった。
「見つけろ」
それだけ言った。
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再び歩き始める。
しばらくして。
セイルはまた兎角鹿を見つけた。
今度は崖の近くだった。
草を食べている。
警戒している様子はない。
距離も近い。
アッシュが口を開く。
「今度こそ――」
「待て」
セイルが止めた。
「何だよ」
「見て」
セイルは崖を見る。
風向き。
草の高さ。
岩の位置。
兎角鹿の耳。
目。
立ち位置。
全部見る。
兎角鹿は崖を背にしている。
いや。
正確には違う。
崖の向こう側が見えていない。
そこだけだった。
「見えてない」
セイルは呟く。
「何がだ」
「後ろ」
アッシュが見る。
よく分からない。
セイルは崖沿いを指差した。
「ここから回れる」
ダグが少し笑った。
「ほう」
初めて口を挟んだ。
「やってみろ」
アッシュが驚く。
「手伝わねぇのか?」
「手伝う必要あるか?」
ダグは酒瓶を傾けた。
完全に見物する気だった。
セイルは崖沿いを進む。
風は兎角鹿からこちらへ流れている。
匂いは届かない。
足音も届かない。
崖の影。
岩陰。
少しずつ移動する。
やがて。
兎角鹿の後方へ出た。
アッシュは離れた場所で待機している。
剣を構えていた。
セイルは地面の石を拾う。
深呼吸。
そして。
投げた。
石は岩へ当たる。
乾いた音。
カン。
兎角鹿が跳ねた。
耳が立つ。
振り返る。
セイルを見つける。
そして。
逃げた。
予想通り。
アッシュの方向へ。
草原を駆ける。
アッシュが飛び出した。
「おおおおっ!」
勢いだけは十分だった。
兎角鹿が驚く。
避ける。
だが遅い。
剣が閃く。
一撃。
兎角鹿が倒れた。
しばらく足を動かす。
そして静かになる。
討伐成功だった。
「よっしゃ!」
アッシュが拳を握る。
満面の笑みだった。
セイルも少し嬉しかった。
だが。
周囲を見る。
草原。
崖。
風。
他の足跡。
異変がないか確認する。
気付けばそうしていた。
爪ネズミ。
岩甲亀。
思い出す。
終わった後も終わっていない。
ダグがそんな事を言っていた気がする。
「何見てんだ?」
アッシュが聞いた。
「周囲」
「もう終わったぞ」
「多分」
アッシュは首を傾げた。
ダグが笑う。
「多分でいい」
そう言って兎角鹿へ近付いた。
角を見る。
傷を見る。
そして頷いた。
「合格だな」
「合格?」
アッシュが聞く。
ダグは二人を見る。
「セイルと戦えばお前が勝つ」
アッシュが胸を張る。
「当然だ」
「だろうな」
ダグはあっさり認めた。
そして。
「だが狩りなら違う」
アッシュが首を傾げる。
「二人合わせりゃ一人前だ」
風が吹いた。
しばらく誰も喋らなかった。
ダグは続ける。
「勿体ねぇな」
「何がだよ」
「なのに二人共、一人でやろうとする」
アッシュが黙る。
セイルも黙る。
反論できなかった。
橋の時。
詐欺の時。
今までの事が少し頭を過る。
ダグはそれ以上何も言わなかった。
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兎角鹿を担ぐ。
帰り道。
夕日が丘を赤く染めていた。
ダグが前を歩く。
アッシュが隣を歩く。
セイルは少し後ろから見ていた。
聞きたい事がある。
ずっと気になっていた事。
岩甲亀の時から。
セイルは少し考える。
そして口を開いた。
「ダグさん」
ダグが振り返る。
「一つ聞いていいですか」
夕日が眩しかった。




