第18話 「許されざる〝魔女〟」③
割れた空間。そこから現れたニーロは、空中に浮かびながらちらりと渦巻く炎に目をやる。何の気負いなくそれに手を伸ばせば、炎はうっすらと光を弾く何かに囲われ、瞬く間に小さくなって消えて行った。
その様を見てブリジットの脳裏に浮かんだのは、炎にバケツを被せた時の現象だ。確か、火が燃えるためには酸素が必要で、酸素が途切れると火は消えてしまう。
続けてニーロの視線が向かったのは、苦々しい顔で空を見上げていたキャシーだ。
キャシーは視線が合ったと認識するや否や、ようやく呆けている場合ではないと正気を取り戻した。
だが、それでは遅い。
キャシーがポケットに手を入れるのと同時に、キャシーの足元から蔦が伸び、一瞬の内に彼女を拘束する。
「炎よ巻き――むぐっ」
何がしかの魔道具を稼働させようとしたキャシーだが、その口もまた、伸びてきた蔦によって塞がれた。
ここまで一同を追い詰めていたキャシーがあっという間に制圧され、ブリジットは胸を撫で下ろし、レナは力が抜けたようにその場に座り込む。ただ一人ファーラだけは、「当然だ」とでも言うかのような表情でルネッタの治療を続けていた。
少しして、ニーロが地面に降り立つ。
「お師匠様!」
帰ってきてくれた嬉しさが堪えきれず、ブリジットはニーロの元に駆け寄った。まず何から話すべきか。頭の中が整理しきれない内に、彼女は師の真隣にやってくる。
「お師匠様、あのですね」
「お前は」
とにかく何か言葉にしたい、と考えがまとまらぬままブリジットは喋り出した。だが、それは直後口を開いたニーロに止められる。思わず上下の唇を張り付けたと同時に、ニーロの両拳がブリジットのこめかみに押し付けられた。
「随分と私の心臓を潰すことに執心のようだ……」
かつて聞いたことがない低い声と容赦のない仕置に、ブリジットは逃げるに逃げられず悶絶する。
「いっ、いた、痛い痛い、ご、ごめんなさいお師匠様痛いですごめんなさい!!」
必死で謝罪すれば、ニーロは疲れたようなため息をついて両拳を離した。解放されたブリジットは痛む両こめかみを慰めるように手を当てる。
「大まかな内容はファーラからの伝言で聞いている。全く、腐食の魔女の時といい、何故お前はそう向こう見ずなのだ。せめてファーラと先んじて合流していれば、ここまでの大立ち回りにならなかっただろうに」
叱る目つき。叱る語調。先程までの跳ね上がっていた心が急速に落ち着き、ブリジットはしょんぼりとしてうなだれた。
「……申し訳ありません、考えなしでした……」
あの瞬間、ルネッタが危機的状況にあると思ったあの瞬間、ブリジットは飛び出すことこそ最善だと思っていた。――思い込んでいた。
だが冷静になれば、確かにブリジットの行動は穴だらけだ。ファーラやレナがキャシーを疑っていたのであれば、もしかしたら彼女たちと先に合流していれば、もっといい結果になっていたかもしれない。――こんな風に、ルネッタが怪我をしない結果に。
「……あとからきて……えらそうに言ってんじゃないわよ……」
シンとしてしまった空気の中、口を開いたのは頬の赤みがだいぶ減ってきたルネッタだ。
まだ痛む頬を撫でながら、ルネッタはゆっくりと起き上がる。そして、視線を自分に向けているニーロをじろりと睨んだ。
「ブリジットがあたし達に合流した時、あたしはキャシーに騙されて魔女を取られる直前だったわ。ブリジットが来てくれたから、あたしは魔女のままでいられてるのよ。……あんたにとってはあたしが魔女なこともブリジットの選択も間違いかもしれないけど、あたしにとっては大正解の選択だわ」
喋っている最中口の端に垂れた血を拳で拭うルネッタ。視線はまだニーロを睨んでいるが、睨まれている当人は怪訝な顔をしている。
ルネッタの隣に座ったままのファーラは何か察したように、蔦に絡めた取られたままのキャシーを静かに睨んだ。
「そうなのか、それはすまない。そんなつもりで言ったのではなかったのだが……すまないついでにもうひとつ訂正してもいいだろうか?」
「何よ」
完全に傷が治っていないせいか、ルネッタの声にいつもの勢いはない。だが、視線だけは変わらずいつも通りだ。
口を開きかけたニーロは、しかしすぐにそれを閉じ、ルネッタに近付く。そして、警戒する彼女の前に片膝をつくと、両頬――片側は手の上――に優しく手を当てた。直後、柔らかい光が溢れる。
「……痛くない……」
「打ち身と切り傷くらいなら私でも治せる。勝手に触ってすまなかった。気になって話に集中出来なかったものでな」
手を引くと、ニーロは片膝をついたまま改めてルネッタを見据えた。
「では本題だ。私は君が魔女であることを『間違いだ』と思ったことはない。それを言ったら、男の身で魔女になっている私こそ『間違いだ』と言われてしまう。嫌いな相手に対して喧嘩腰なところは如何なものかと思うが、君の根の性格は善人だ。否定の必要性は感じない」
はっきりと告げられた内容に、ルネッタはポカンとして目と口を開く。「え」「だって」と小さい声でもごもご言う彼女に、ため息をついたのはファーラだ。
「ほら、これ貸してやるから使えですよ」
差し出されたのは嘘探知の魔道具。ルネッタはそれを受け取ると、両手で握りしめて見つめた。ごくりと喉が鳴る。
本当は、不安がちなルネッタはこの魔道具がずっと欲しかった。不安を少しでも減らしたかったのだ。だが、キャシーが「そんなのに頼るのは心が卑しい証拠だよ」と止めてきたので、持つことが出来なかった。
いざ使うとなると、少しばかり緊張する。
ちらりとニーロに視線をやった。目が合ったニーロは、構わない、というようにこくりと頷く。
もう一度喉を鳴らし、ルネッタはクリスタルの中にニーロを映した。
「ほ、本当は、あたしに魔女やめさせたいって思ってるでしょ? 魔法を使えない魔女なんて魔女じゃないもんね」
「いいや。私が魔女であるべきではないと思う相手は、他者を慮る気持ちを一切持てない者だ。――ルネッタ、君は私を含め嫌いな人間が多く、先程も言ったようにそういう相手に対する態度は悪いと言えるだろう。それでも、苦しんでいる相手に薬を用意しようとすぐに思えるのは君の美点だ。魔法に関しては、魔力が動かせたのなら遠くない内に使えるようになるだろう」
ルネッタの不安を払うように、ニーロはゆっくりと、はっきりと、質問の答えを口にする。その言葉を受けても、ルネッタの手の中のクリスタルに色は差さない。
一瞬魔道具が動いているか疑ったルネッタだったが、クリスタルの中で先程まではなかった光が動いていることを確認し、未稼働はありえないということを察した。
クリスタルを見つめて固まるルネッタに、様子を眺めていたファーラは呆れたように口を開く。
「お前もしかして誰かさんから、『ニーロ様はルネッタのこと全然認めてないわよ』とか『魔女として失格だって言ってたわよ』、みたいなこと言われてませんでした?」
指摘に、ルネッタは弾かれたようにファーラに視線をやる。何故分かった、と言いたげな視線に、ファーラはあからさまに呆れた声を上げた。
「は~~~~~、やっぱりですかーー。お前それ絶対他の人でもやられてますよ。ありませんでした? 仲良くしてたと思っていた人が陰口言ってたよー、みたいに告げ口してくるの」
誰が、と言わずとも、対象は分かり切っている。
ルネッタは小さく小さく「ある」と答えた。視線は下がったままだ。対象に敢えて「向けない」のか、単純に「向けられない」のかは、ファーラには判断しかねる。
「ま、じゃあそういうことですよ。ていうか、『魔女やめろ』なんてお父さんが一番言われて一番傷付いてきたのに、そうあっさりと言う訳ないって話ですよね」
やれやれ、といった様子を見せられ、ルネッタは「でもっ」と反駁した。
「やっぱりブリジットが来てくれてなかったら困るわよ! だって魔女って1回しかなれないんでしょ!? あのままキャシーに奪われてたら、例え魔女になったキャシーをどうにか出来てもあたしは魔女を奪われたままじゃない!」
耐えがたい、といった調子で叫ぶルネッタ。だが、そんな彼女を見る目はブリジット以外全員どこか呆れた調子だ。
「……だからちゃんと勉強しなさいって言ったのよ……」
額に手を当てながら、レナがすっかり疲れ切った声音で呟く。その言葉で、流石のルネッタも自身の発言がおかしかったことに気付いた。
「まさか……」
「もしかして、魔女が1回しか継承出来ないって嘘ですか!?」
言葉を無くしたルネッタの代わりに驚いたのは、同じ知識を同じタイミングで得たばかりのブリジットだ。彼女の反応に、2人が誰から知識を得たのかをニーロ達はすぐに察する。
「魔女の継承に回数の限度はない。実際、師匠から魔女を継いだ弟子が、プレッシャーに耐え兼ね師匠に魔女を戻した、というケースも存在している」
ニーロが明確に否定すると、ブリジットとルネッタは同時にお互いの顔に目をやった。あの苦労は一体何だったのか。互いに言葉にせずとも、浮かんだ疲労を見れば言いたいことは伝わってくる。
「……私もお勉強頑張りますから、お互い頑張りましょうね、ルネッタ様……」
「…………ん」
力なく誓い合うブリジットとルネッタ。ニーロとレナは同じような表情で「いいことだ」と頷き、ファーラは2人のためのテキストの準備を心に決めた。
「あ、そういえば」
ふと思い出したように、ブリジットはファーラに視線をやる。
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