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転生者たちがチートに酔いしれる世界で、俺だけは生身の知恵と和洋折衷呪術でラグナロクを阻止する  作者: あやと


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第5話 錯綜する迷宮とすれ違い

烏丸小路スラム街から帝都中央大通りへと続く石畳の坂道には、逃げ惑う群衆が残していった落とし物が無造作に散らばっていた。賀茂の或は古びた陰陽寮制服の裾を翻し、レンガ造りの建物の角にその身を滑り込ませた。頭上でうねる黄泉比良坂の紫黒い裂け目は、夜空を抉るような圧倒的な質量をもって膨れ上がり、そこから零れ落ちる重い冷気が烏丸小路の暗渠から這い上がる湿った泥炭の臭いを凍りつかせている。


周囲の空気は、北欧神話の死の女神ヘラの眷属が放つ絶対零度の気圧階梯によって、目に見えるほどの白い霜の結晶へと変貌していた。大通りのあちこちで点滅する赤い警告灯の光が、凍てついたアスファルトの亀裂と、避難遅れた市民たちのパニックを照らし出している。情報収集に奔走する陰陽寮の雑兵や特異災害対策局の隊員たちが、無線機を片手に怒号を飛ばしながら走り去っていくその足音は、鉄の板を叩くような乾いた反響を残して夜気の中に消えていった。


賀茂の或は壁際に背中を預け、痛む肋骨の奥に息を押し込むようにして浅く呼吸を繰り返した。

右手首のサラシの下では、半神半魔の崩壊の名残である青黒い呪印が、帝都全域を網羅する魔導インフラの過負荷と共鳴して熱を帯びている。システム教会が張り巡らせた監視網は、今や北方の聖域拡張実験とヘレナの暴走波によって無数のノイズを撒き散らしており、組織の中枢は特区内で発生した異常事態の鎮圧に全リソースを奪われていた。その致命的な空白地帯こそが、システムを持たない生身の雑兵である或にとって、敵の監視をすり抜けて暴走の中心地へ肉薄するための唯一にして最大の隙であった。


「……連中が慌てふためいてシステムのログを追いかけている間に、こちらの泥臭い足場を固めておかなければな」


賀茂の或は低いトーンで呟きながら、懐から取り出した血塗られた逆相ルーン呪符の束を指先で検分した。

周囲の視線と自動センサーの網を欺くため、或は懐から素焼きの小さな灯火皿を取り出し、仕込んでおいた霊液の微光を頼りに微小な隠蔽結界の構築を急いだ。陰陽道の五行相生――木、火、土、金、水の循環構造をあえて逆相でねじり、周囲の空間から発せられる魔力の波長を同化させる。東洋の符術と北欧のエルダー・ルーン文字が織りなすその隠蔽結界は、華美な転生者のチート魔法とは異なり、周囲の環境に溶け込む地味な迷彩の膜にすぎない。しかし、その泥臭いまでの偽装精度こそが、過剰な魔力反応に反応する現代の魔導センサーの目を完璧に欺くための鉄則であった。


サラサラ、と乾燥した和紙の繊維が擦れ合う音が、冷え切った路地裏の静寂に溶け込む。

呪符を壁の隙間に打ち込み、微小なアンカーとして固定していくたびに、或の右腕の呪印からじわりと熱い疼きが這い上がり、神経の深部を引っ掻くような鈍痛を伴って脳裏に伝わった。システムに依存しない生身の肉体で、神話級の魔力が荒れ狂う境界領域の気圧に耐えるのは、想像を絶する負荷を伴う。だが、或はその痛みを奥歯で舌の側面を軽く噛みしめることで強引にねじ伏せ、鉄錆の味を頼りに現実感をつなぎ止めた。


「……くそ、やはりインフラのノイズが強すぎるか。このままでは結界の維持に使う霊力の消耗が早すぎる」


或の額に冷や汗がにじみ、煤色の瞳が鋭い光を帯びて微かに揺らぐ。

周囲の空間を支配するヘラの死の眷属の冷気が、隠蔽結界の外側からじりじりと壁の表面を凍らせていく。転生者たちが誇る自動回復や膨大な魔力タンクを持つ者たちであれば、このような環境負荷などステータスの数値で容易に相殺できるのだろう。しかし、或にはそんな甘ったれた特権など存在しない。一歩間違えば、自らが仕掛けた逆相ルーンの反発を受けて神経系が焼き切れ、この冷たい路地裏の泥の中で名もなき死体として転がるだけだ。


それにもかかわらず、或の足取りが止まることはなかった。

烏丸小路スラム街の片隅で両親を魔獣の影に奪われて以来、或が依り所にしてきたのは、神の慈悲でもなければシステムの加護でもない。自らの手で拾い集めた古文書の切れ端と、泥にまみれながら磨き上げた知恵だけだった。


或は壁の影から身を乗り出し、暴走の中心地へと続く大通りの様子を慎重に窺った。

視線の先、遥か前方の交差点周辺では、純白のゴシック風コートを纏ったヘレナ・フォン・エッダが、自らの制御を失った絶対零度のフィールドをさらに拡大させていた。彼女の背後からうねるように広がる漆黒の翼状の霊力牙が、周囲の街灯やコンクリートの構造物をバターのように切り裂き、空間そのものを凍てつかせていく。その圧倒的な破壊力の中心で、ヘレナ自身が自分のチートスキルの暴走に恐怖し、息を詰まらせて震えているのが、遠目からでもはっきりと見て取れた。


転生者管理機構の特務部隊や陰陽寮の機動隊は、その絶対零度の領域のあまりの冷気と死の眷属の圧力に恐れをなし、誰一人として近づこうとしない。彼らが築いたはずのバリケードの残骸は凍りつき、まるで打ち捨てられたガラクタのように大通りの端に転がっていた。


誰もが逃げ出し、誰もが近寄ろうとしないその不気味な空白地帯こそが、或が目指すべき暴走の中心地であった。


「……ざまあねえな。神様に選ばれた特権階級様が、自分の撒いた呪いのせいで自滅の淵に立たされているとはな」


或は冷徹な皮笑いとともに、麻の布袋に収めた木簡の束と呪符をしっかりと背負い直した。


吹き抜ける冷気が或の頬を鋭く切り裂き、古びた陰陽寮制服の布地を冷たく濡らした。足元のアスファルトには、北欧神話のルーン文字を模した氷の結晶が幾何学的な模様を描きながら不気味に這い広がっている。


或は身を潜めていたレンガ造りの建物の影から、さらに一歩、身を低くして前方の路地へと踏み出した。頭上でうねる黄泉比良坂の紫黒い裂け目は、まるで夜空そのものが口を開けたかのように重くうねり、そこから吐き出される澱んだ瘴気が烏丸小路から続くスラム街の悪臭を押し潰していく。大通りのあちこちで点滅を続ける赤色灯の光は、絶対零度の気圧階梯によってその輝きを徐々に奪われ、青白く濁った光の残骸へと変わりつつあった。


「……くそ、インフラのノイズが一段と強くなってきたな」


或は微かに歯噛みし、右手首に巻き直したサラシの上から青黒く脈打つ呪印を左手で強く押さえつけた。

北方の聖域拡張実験とヘレナの暴走波が重なったことで、帝都全域を網羅する魔導ネットワークは完全に悲鳴を上げている。管理機構の監視システムや自動センサーの網は、その膨大なエラーログの処理に追われて機能不全に陥っていた。しかし、それは同時に、或のような生身の人間が発する微弱な霊的波長すらも、一歩間違えば予測不能なシステムの残響に巻き込まれて焼き切られる危険性を孕んでいることを意味していた。


周囲の混乱に乗じて情報収集に奔走する陰陽寮の雑兵たちの姿が、遠方の交差点の向こうに見え隠れする。彼らは無線機を片手に「全区画の魔力回路に異常発生」「特務部隊へ緊急招集を要請」と怒号を飛ばし、恐怖に顔を引きつらせながら走り回っていた。彼らにとって、この異常事態はシステムがもたらした想定外のバグにすぎず、その根底にある神話の崩壊の足音に気づく者は誰もいない。システムに依存し、上層部から下されたマニュアル通りの対応にしか頭が回らない彼らの姿は、或の目にはただの操り人形の群れにしか映らなかった。


(……せいぜい上の命令に従って走り回るがいい。その足元がすでに砕け散っていることも知らずにな)


或は冷笑を浮かべ、周囲の視線を巧みに欺くために仕込んでおいた微小な隠蔽結界の出力をわずかに調整した。

東洋の五行相生――木生火、火生土、土生金、金生水、水生木の循環の理をあえて逆相でねじり、周囲の空間から漂う魔力の残響と自らの生体磁場を完全に同化させる。この泥臭い偽装術は、高価な魔導センサーや転生者たちの探知魔法の網をすり抜けるために、或がスラムの暗がりで何年もの歳月をかけて磨き上げてきた唯一無二の技術だった。


建物の影伝いに身を滑らせ、或は一歩ずつ、確実に暴走の中心地へと近づいていく。


冷え切った大気の中に、金属が激しく軋むような耳障りな電子音が断続的に響いていた。賀茂の或は、視線の先にある廃墟同然の雑居ビルの外壁に身を張り付け、浅く短い呼吸を繰り返しながら周囲の様子を観察した。先ほどまで慌ただしく駆け抜けていた陰陽寮の雑兵たちの足音は遠ざかり、代わりに、上空でうねる黄泉比良坂の紫黒い裂け目から吐き出される重圧が、地表の空気をさらに押し下げるようにして重くのしかかっている。


或の視界の端には、管理機構が放置していったバリケードの残骸が転がっていた。そこから漏れ出している青白い魔導アークの光が、凍てついたアスファルトの上に不気味な影の群れを落としている。


「……くそ、インフラのノイズがこれほど激しければ、少しでも霊力の制御を誤ればこちらの隠蔽結界ごと位置が割れるか」


或は低い呟きを漏らしながら、右手首のサラシを左手の指先で力強く巻き直した。その下で脈打つ青黒い呪印は、帝都全域を揺るがす魔導ネットワークの乱れと共鳴し、まるで生き物のように熱を帯びて或の皮膚を焦がすような痛みを放ち続けている。しかし、その痛覚こそが、或の意識を現実の輪郭にしっかりと繋ぎ止めるための唯一の楔であった。


周囲の環境は、すでに人間が平穏に暮らすための領域を完全に逸脱していた。道路の白線や標識の表面は分厚い霜に覆われ、街路樹の枝は北欧神話のルーン文字を刻み込まれたかのように異様な角度で凍りつき、触れれば一瞬で粉々に砕け散るほどの絶対零度の気圧階梯に包まれている。転生者たちが誇る華美なシステム都市の表皮は剥ぎ取られ、その下層に眠っていた古の神話の泥が、今や現実の都市構造そのものを内側から呑み込もうとしていた。


或は懐から麻の布袋を取り出し、指先を滑らせて中から一枚の血塗られた逆相ルーン呪符をつまみ出した。

微かに青白い光を放つその和紙の表面には、東洋の五行相生相克の理と、北欧の古き破壊のルーンが複雑に絡み合うようにして焼き付いている。或はこの呪符を、先ほどから路地裏のあちこちに打ち込んできた「反転結界のアンカー」へと微弱な魔力の糸で繋ぎ合わせていた。仮にこの中央大通りの境界領域で、暴走するヘレナの死の眷属の波動や特務部隊の魔導砲撃が放たれたとしても、この泥臭く張り巡らされた呪符の網がそのエネルギーのベクトルを分散させ、或の身を直撃する致命的な衝撃を相殺するための緩衝地帯となる。


「……派手な魔法で空間ごと吹き飛ばすことしか頭にない連中には、こういう地味な足場の補強という発想すら湧きまいよ」


或は冷徹な笑みを唇の端に浮かべ、手製の呪符を再びしっかりと麻の布袋の奥底へと収めた。


烏丸小路スラム街の最底辺で生まれ育ち、ゴミ溜めのような路地裏で壊れた木偶人形や古文書の切れ端を拾い集めて遊んでいた幼少期の日々が、或の脳裏をかすかにかすめた。きれいな玩具や、転生者たちが手にする発光する電子端末など触れたこともなかった。だが、あの冷たく泥にまみれた空間の中で、一枚のボロ切れの和紙を折り畳んで小さな式神を作る作業だけが、或にとっての世界との唯一の繋がりだった。システムという名の不条理な暴力が空から降ってくるはるか以前から、人間は自らの手で汗と血を流し、泥をこねて生き抜くための知恵を紡いできたのだ。それを「下級の虫けら」の一言で切り捨て、すべてをシステムとチートスキルの遊園地にしてしまった者たちに対し、或の胸の奥で燻る敵意の炎は、冷徹なまでの静けさを伴って燃え盛っていた。


足元を流れる下水の暗渠からは、不気味なうめき声のような低い地響きが伝わってくる。

或は腰を落とし、崩れかけたコンクリートの塀に身を隠しながら、さらに前方の交差点へと続く路地の影を縫うようにして一歩ずつ前進した。


視線の先、遥か前方の広大な交差点の中央では、純白のゴシック風コートを纏ったヘレナ・フォン・エッダが、なおもコントロールを失った絶対零度のフィールドを周囲へと撒き散らし続けている。彼女の背後でうねる漆黒の翼状の霊力牙は、周囲のビルの外壁を抉り取り、まるで凍りついたガラス細片のようにアスファルトの破片を宙へと舞い上がらせていた。その圧倒的な神気の奔流の前に、いかなる転生者や特務部隊の者たちも近づくことができず、ただ遠巻きにその暴走の余波に怯えながら身を縮こまらせている。


ヘレナ自身もまた、自分が引き起こした破滅的なスキルの暴走に呑み込まれ、純白のコートを血まみれの氷の結晶に汚されながら、その場に膝をつきかけていた。彼女の唇は恐怖と寒さで青紫色に変色し、かつての選民思想に満ちた高飛車な表情はすでに完全に消え去り、そこにあるのはただの「見捨てられた一人の少女」の絶望だけだった。


だが、或はその姿に同情を覚えることはなかった。

彼女が面白半分で振り回したチートスキルの余波で、どれだけの烏丸小路のスラムの住民が家を失い、冷たい泥水の中で命を落としてきたか。その事実を知る或にとって、自らの力に自滅しかけているヘレナの姿は、不条理なシステムそのものが自らの足元をすくい上げられている滑稽な縮図にすぎなかった。


「……勝手に自滅してくれる分には好都合だが、その暴走がこれ以上拡大すれば、烏丸小路の路地裏ごとすべてが黄泉比良坂の底へ引きずり込まれる」


或は低いトーンで呟き、自らの歩みをさらに慎重に、しかし確実な足取りで前へと進めた。


周囲の建物の窓ガラスに映る或の姿は、煤けた陰陽寮制服の袖を引きちぎり、無数の逆相ルーン呪符を仕込んだ麻の布袋を背負った、泥まみれの雑兵のそれにすぎない。しかし、その煤色の瞳の奥に宿る光は、周囲の凍てつく闇を切り裂くような鋭利な刃の輝きを帯びていた。


或は建物の角を回り込み、暴走するヘレナの気配が放つ圧倒的な冷気の波動が直接肌を刺す境界線の手前で、身をひそめるように足を止めた。これより先は、転生者たちが恐れて誰一人として近づこうとしない、死の眷属の領域――すなわち、システムの自動防衛網すらも凍りついて沈黙する、完全な空白地帯である。


或は右手首のサラシをもう一度きつく締め直し、懐から最後の一枚となる特製の木製呪具を引き抜いた。

その表面には、先ほどまでの冷気とは異なる、自らの血肉に刻まれた神殺しの呪詛と微かに共鳴する熱い脈動が伝わってきている。或は息を潜め、その凍てついた境界線の内側へと視線を据え、静かに次の機を待ち構えた。


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