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転生者たちがチートに酔いしれる世界で、俺だけは生身の知恵と和洋折衷呪術でラグナロクを阻止する  作者: あやと


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第25話 氷晶のパイプライン潜行

地下配管室の淀んだ空気は、旧校舎の底を這う冷気と混ざり合い、鉄錆と湿った泥の匂いを濃く漂わせている。

 賀茂の或は作業台の端に置いた古い測量地図から視線を外し、煤色の瞳をわずかに細めた。先ほど昏倒した管理機構のエージェントから強奪した小型の無線端末が、懐の奥で微かな電子音を伴って小さく震えている。端末の受話口からは、地表のバリケードや新校舎の中央ホールを駆け抜ける査察官たちの荒い足音と、切迫した暗号交信のノイズが途切れ途切れに漏れ伝わっていた。

 『――こちら特務第弐班、旧校舎区画の自動感知グリッドに微小な位相変動を検知。侵入者の動線は依然として地下の配水網へ繋がっている模様。繰り返す、直ちに包囲網を絞り込み、徹底的な掃討を――』

 無機質な電波の奔流は、管理機構の網がすでにこの地下空間の真上まで迫っている冷徹な現実を告げていた。

 或は右手首の厚いサラシの上から布切れをきつく締め直し、神経の深部を引っ掻くような鈍痛を奥歯で噛みしめた鉄錆の味で塗りつぶす。新校舎から旧図書館へ向かう地上の動線は、最高等級の緊急警戒令である「反逆の鐘」の号令の下、自動警戒ドローンとヴォルフガングの狂犬じみた気配によって完全に封鎖されていた。正面突破という選択肢は、自動回復の加護も膨大な魔力タンクも持たない生身の肉体にとって死を意味する。

 ゆえに、或が選ぶべき経路は一つにしかなかった。地表の網の目を完全に避けるための、泥と冷気に満ちた地下配管の迷路である。

 或は懐の奥から、あらかじめ用意しておいた特殊な和紙を取り出した。それは北欧のエルダー・ルーン文字における『イス(氷)』の縦一文字の破壊・固定刻印と、東洋の陰陽道における『水気封印』の呪文を幾重にも重ね合わせて書き殴った特製の偽装呪符であった。

 「……奴らが地上の廊下をいくら警戒しようが、冷気と水脈の循環を逆相でハッキングすれば、この地下の配管網そのものが格好の隠れ蓑になる」

 或は低いトーンで冷徹に呟き、その『イス(氷)』の呪符を自らの胸元へと力強く押し当てた。

 瞬間、周囲の温度が急速に奪われるような激しい悪寒が、或の皮膚を内側から刺し貫いた。呪符に込められた北欧の氷のルーンが、或の体温と微弱な生体磁場を周囲のコンクリートや地下水脈の冷たい位相へと強制的に同化させていく。自らの体温を強制的に引き下げ、魔力の放射を極限までゼロに近づけるこの偽装術は、術者自身の血流や呼吸のペースをも氷点下の澱みに縛り付ける過酷な代償を伴っていた。肺胞が凍り付くような強烈な息苦しさが胸の内に広がり、或の足元がわずかに揺らぐ。

 だが、その生理的な拒絶反応を或は意志の力でねじ伏せ、冷徹な計算回路だけを保ったまま旧校舎の奥へと続く錆びた鉄板のハッチを押し開けた。

 「或、本当にその体温の偽装だけであのドローンの赤外線網をかわせるというのかい。お前が途中で凍え死んだら、私がスラムへ持ち帰った監査ログの行方も全部おしまいだ」

 配管室の隅で一対の銀色の神楽鈴を布袋に収めながら、風祭鈴音が冷ややかな視線を或の背中へと投げかけた。その黒曜石の双眸には、極限状態にある相棒の無謀な選択に対するかすかな警戒と、それを止められない冷徹な事実への諦めが入り交じっていた。

 或は振り返ることなく、ハッチの向こうに広がる闇へ片足を滑り込ませた。

 「心配するな。俺が持ち込んだ監査ログのデータは、お前がスラムの端末へ流した時点で分散している。……それに、俺がここで倒れるわけにはいかない理由ができた」

 「……理由、だと?」

 「あの一帯の旧図書館で、ヘレナの暴走波が学園全体の魔力インフラを内側から狂わせている。このままでは、奴が纏うヘラの神気が神代回廊の実験炉の裂け目と直結し、烏丸小路の路地ごとすべてが黄泉比良坂の底へ引きずり下ろされる。……あいつをあのまま放置すれば、俺たちの反逆ネットワークの基盤そのものが根こそぎ消え去るのさ」

 鈴音はそれ以上言葉を返さず、小さく鼻を鳴らして神楽鈴の柄を優雅に指先で転がした。

 「勝手にするがいいさ。……ただし、死ぬときは私の計算を狂わせないタイミングで頼むよ、或」

 鈴音のその冷ややかな送り出しの言葉を背中に聞きながら、或は錆びた鉄のハッチをそっと閉じ、完全に光の届かない地下配水網の深部へと身を滑り込ませた。


 地下配水網の中層は、鋳鉄製の巨大なパイプが複雑に交差する暗渠の迷路であった。頭上の天井板のすぐ裏側からは、管理機構が放出した索敵ドローンの駆動音である微高音の羽音が、シャーッ、シャーッという機械的な周期を刻みながら絶えず響き渡っている。ドローンの先端に備え付けられた赤外線センサーの赤い光が、配管の隙間や水面の淀みの上を舐めるようにして横切っていく。

 或は壁面に背中を密着させ、足音を完全に殺しながら冷たい暗渠の浅瀬を移動した。胸元に押し当てた『イス(氷)』の呪符が、周囲の水気を凍てつかせるような冷気を絶えず放ち続け、或の肉体の熱量を周囲の空間の背景温度へと溶かし込んでいく。

 だが、その偽装の代償は小さくなかった。体温の急激な低下により、或の指先の感覚はすでに麻痺し始めており、呼吸をするたびに肺の奥が凍り付くような鋭い痛みが走る。自動回復の加護を持たない生身の人間が、北欧神話の氷の理と陰陽道の水気封印を無理やり肉体に定着させているのだ。一歩間違えば、神経回路そのものが霜に覆われ、そのまま永久に動かなくなるという致命的なリスクが常に付きまとっていた。

 (……くそ、肺胞の緊張が限界に近づいているか。だが、ここで歩みを緩めれば、頭上の赤外線グリッドにわずかな生体磁場の揺らぎを拾われる)

 或は奥歯で舌の側面を強く噛み締め、口の中に広がる鉄錆の味を頼りに現実の感覚をつなぎ止めた。

 頭上で、ひときわ鋭い赤外線の光芒を放ちながら、管理機構の小型索敵ドローンが一機の旧式配管の継ぎ目をかすめるようにして通過していく。ドローンの機体から発せられる微弱な魔力波が、或の纏う位相の境界線すれすれを撫でた。

 冷気と水気の逆相干渉による隠蔽結界は、ドローンのセンサーが捉える熱源の波長を完全に欺瞞することに成功した。ドローンは不気味な電子音を鳴らしながらそのまま別の区画へと去り、或の頭上に新たな光の網が引かれることはなかった。

 (……よし、第一の検知網の回避は完了した。だが、ここから先の勾配は旧図書館の基礎構造に直結している。奴らの防衛配置の密度が一段階上がる区画だ)

 或は冷え切ったコンクリートの壁面に手をつきながら、さらに一段階低い地下水路の底へと身をかがめた。足元の水面には、旧図書館の最奥から漏れ出たヘレナの暴走による絶対零度の余波が微かに逆流しており、水底の泥の表面が薄いガラスのような氷の膜に覆われ始めている。

 その氷の膜を踏み砕かないよう、或は足の裏の荷重を極限まで均等に分散させながら、音もなく歩を進めた。


 どれほどの距離を潜行したのか、やがて或の視界の先に、頭上へ垂直に伸びる古い保守用の昇降タラップと、その上に嵌め込まれた重厚な鉄板の扉が見えてきた。

 その鉄板の隙間からは、微かに異様な冷気と、凍りついた古書の紙魚が発するような乾いた埃の匂いが漂い込んできている。旧図書館の直下――目的地の床下スペースに到達した証拠であった。

 或はタラップの下に立ち止まり、胸元に当てていた『イス(氷)』の呪符をそっと引き剥がした。呪符が剥がれた瞬間、凍りついていた皮膚の表面に周囲の澱んだ空気が急激に押し寄せ、激しい悪寒と痺れが或の右腕を駆け抜けた。右手首のサラシの下で脈打つ青黒い呪印が、旧図書館の最奥から染み出すヘラの神気と共鳴するかのように、ピリピリとした不気味な熱を帯びて激しく疼き始める。

 「……っ、この反応……ヘレナの暴走が、旧図書館の基礎を完全に侵食し始めているな」

 或は低く呟きながら、痛む右手を左手で強く押さえ込み、昇降タラップの冷たい鉄のステップに足を掛けた。

 上の階からは、先ほどまでの静寂を切り裂くように、分厚い古書の書架が凍りつきながら崩れ落ちる乾いた破砕音と、少女の頭蓋を内側から引き裂くような微かなうめき声が、コンクリートの床板を伝って重く響き渡っていた。

 或はタラップの最上部へと静かに頭を突き出し、旧図書館の床下配管スペースから薄暗いフロアの様子を慎重に窺った。

 周囲の空間は、ヘレナが放った絶対零度のフィールドによって完全に白銀の氷の世界へと変貌しており、無数の分厚い専門書や魔導教本が粉々に砕け散った氷の結晶にまみれて散らばっている。その最奥の暗がりで、純白のゴシック風コートを泥と血で汚した少女が、頭を抱えて身を丸めている姿が微かに視認できた。

 (……あれが、暴走の只中にいるヘレナか。神話の器としての負荷に精神が耐え切れず、自壊寸前の状態だな)

 或は煤色の瞳を細め、懐の奥にしまい込んでいた最後の数枚の血塗られた逆相ルーン呪符にそっと指先を触れさせた。この凍てついた床下の空間から最奥の少女へ接近し、暴走するヘラの神気の位相を相剋の理で無理やり固定することができれば、烏丸小路スラムの路地ごと世界を凍りつかせる最悪の崩壊は辛うじて免れる。

 だが、その冷徹な計算の思考回路を断ち切るように、或の耳底を異質な音が突如として打ち据えた。

 それは管理機構のエージェントたちの軍靴の音でもなければ、索敵ドローンの羽音でもなかった。

 キイイ……という乾いた蝶番の摩擦音に続き、旧図書館の入り口付近の重い木製の扉が、何者かによってゆっくりと、しかし圧倒的な質量を伴って押し開けられたのだ。

 その扉の隙間から流れ込んできたのは、吹雪の冷気ではなく、地面を抉り取るような重々しい足音と、空間そのものを震わせる野獣の如き異様な闘気の奔流であった。


床下スペースの暗がりで息を殺していた賀茂の或は、頭上で響いたその重々しい足音を聞きつけた瞬間、背筋に走る悪寒を冷徹な意思でねじ伏せた。

 地表から吹き抜ける冷気の中に混じって漂ってきたのは、紛うことなき野獣の匂いと、鋼鉄の爪が床板を引っかくような不気味な金属音であった。新校舎から旧図書館へ至る動線は、最高等級の緊急警戒令「反逆の鐘」によって封鎖されているはずだった。しかし、その鉄の檻の規則など嘲笑うかのように、圧倒的な暴力の化身がこの静寂の墓場へと足を踏み入れている。

 (……あの狂犬か。新校舎での身元査察を切り上げ、ヘレナの暴走波の異変を嗅ぎつけてこの区画へ回り込んだか、あるいは……)

 或は煤色の瞳を微動だにさせず、昇降タラップの鉄板の隙間から天井板の向こうを凝視した。頭上のフロアでは、凍りついた古書の山を踏み砕くように、ガシャリ、ガシャリと重い軍靴の足音が確実に近づいてきている。その一歩ごとに、旧図書館の空間全体を支配していた絶対零度の冷気がさらに荒々しく波立ち、床板の隙間から吹き上げる霜の結晶が或の睫毛を白く染め上げていった。

 (――ここで見つかれば終わる。自動回復の加護も、膨大な魔力タンクも持たないこの生身の肉体では、あのガントレットの牙の一撃を受ければ即座に肉片と化す)

 或は右手首の厚いサラシの上から布切れをさらに強く締め直し、神経の深部でうずく青黒い呪印の熱を抑え込んだ。サラシの下に隠された禁忌の回路が、ヴォルフガングの放つ野性的な闘気のプレッシャーに反応して、まるで警告を発するようにジリジリと脈打っている。

 だが、或の脳裏で冷徹に回転する計算回路は、恐怖に足をすくわれるどころか、逆に周囲の環境を利用した幾重もの脱出動線と迎撃のトラップ地点を瞬時に組み立て始めていた。この床下スペースは、かつて旧図書館が建造された初期の段階から放置された古い配線と、冷却水路のメンテナンス用の狭い空間にすぎない。しかし、その古びたインフラの根底には、或がこれまでの潜行の途中で仕込んできた細い霊的糸の網目と、地下水脈へ直結する保守用の排水管が複雑に縫い合わされている。

 或は懐の奥へそっと手を伸ばし、最後の予備として残してあった小ぶりの木製呪具と、血塗られた逆相ルーン呪符の束の感触を指先で確かめた。

 頭上の足音が、まさに旧図書館の中央付近でぴたりと止まった。

 「――フン、相変わらず冷え切った空気だぜ。おい、そこに転がっている崩れかけた人形よ。お前がどんなにその不気味な氷の城壁を築こうが、俺のフェンリルの牙の前ではただの薄氷と同じだということがまだわからないのか」

 天井の隙間から漏れ聞こえてきたのは、ヴォルフガング・リッター特有の、嘲笑を含んだ獰猛な唸り声であった。その低いトーンの声は、壁面の凍りついたコンクリートを震わせ、或が隠れる床下の空間にまで生々しく反響して届く。

 「……ガハハ、どうした? さっきまでの威勢のいい死の眷属の鳴き声はどこへ行った。雑種が差し入れたみすぼらしい毛布の包みでも抱きしめて、このまま凍え死ぬつもりかよ」

 ヴォルフガングの荒々しい足音が、さらにヘレナのうずくまる最奥の暗がりへと近づいていく。凍りついた書架の残骸が踏み砕かれる乾いた破砕音が、旧図書館の冷たい空気を鋭く切り裂いた。

 (……いいぞ。あの狂犬の意識は完全にヘレナの暴走と、目の前の獲物に向いている。俺の床下の気配に割いている注意の割合は、今は最小限まで削がれている)

 或は煤色の瞳を細め、手元の昇降タラップの鉄板をそっと押し下げるための準備を整えた。今すぐこの床下から飛び出して正面から挑む愚行を犯す者はいない。しかし、ヘレナがこのままヴォルフガングの圧倒的な暴力に蹂躙され、その内側に巣食う死の女神ヘラの神気が完全に覚醒してしまえば、烏丸小路スラムの路地ごと世界が崩壊するという因果の連鎖が確定する。それを防ぐためには、あの狂犬の足元をすくい、致命的な致命傷を負わせるのではなく、その注意を完全に別の位相へと引き剥がすための「一点のノイズ」を仕込む必要があった。

 或は息を極限まで細くコントロールし、右手首の痛みを奥歯で噛みしめた鉄錆の味で塗りつぶしながら、床板の継ぎ目に一本の木製呪具をそっと差し入けた。その表面には、東洋の「火」の相生と北欧の「ハガラス」の破壊刻印を逆相で組み合わせた特製の攪乱呪符が巻き付けられている。

 (――待て。まだだ。奴がヘレナに最後の一撃を叩き込もうと踏み込んだその瞬間、この地下水脈の保守回線から逆相の霊的スパークを叩き込む)

 或は冷徹なまでの静けさの中で、指先を呪符の起爆ノードに添え、頭上で展開される死闘の気配と不気味な静寂のバランスを細心の注意を払って測り続けた。吹雪の音が遠ざかる旧図書館の底で、生身の人間と神話の獣が交錯する境界線は、いまや一触即発の極限の緊張感に包まれていた。


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