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転生者たちがチートに酔いしれる世界で、俺だけは生身の知恵と和洋折衷呪術でラグナロクを阻止する  作者: あやと


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第10話 神楽鈴の響く夜

幾重にも入り組んだ烏丸小路スラム街の暗渠から、冷え切った泥炭の悪臭が這い上がってくる。賀茂の或は、血と泥にまみれた古びた陰陽寮の制服の裾を翻し、崩れかけたトタン屋根のバラックが密集する細い路地裏の影へと身を滑り込ませた。頭上でうねる黄泉比良坂の紫黒い裂け目は、先ほどの戦闘の余韻を断ち切るかのように一層冷たい瘴気を吐き出し、街路樹の葉の表面に薄い白霜を定着させている。或の右手首のサラシの下では、半神半魔の崩壊の名残である青黒い呪印がまだ微かな熱を帯びて脈打っていたが、その疼きを或は奥歯で舌の側面を軽く噛みしめることで冷徹に抑え込んだ。


交差点での激闘からどれほどの時間が経ったか。帝都第七特区の表通りでは、暴走したヘレナの残響とヴォルフガングの敗北によって転生者管理機構の警戒網が混乱の極みに達しているはずだった。しかし、その混乱の波がこの下層スラムの深部にまで届くことはない。この泥だらけの迷宮において、法やシステムといった高尚な理は一切通用せず、生き残るために頼れるのは自らの足音と手製の呪符の気配だけである。或は使い古した下駄の鼻緒を足の親指と人差し指の間にしっかりと挟み込み、夜気の中に消えゆく自らの足音を殺しながら、目的地であるスラム街の外れへと歩みを進めた。


烏丸小路スラム街の最果て、かつては配給所として使われていたコンクリート造りの平屋の廃屋が、冷たい月光の下で黒い影を落として佇んでいる。窓ガラスはすべて割れ落ち、鉄格子の錆び付いた隙間からは、澱んだ夜気と異界の湿った空気が絶えず出入りしていた。

賀茂の或はその廃屋の錆びたトタンの扉の前に立ち止まり、煤色の瞳を細めて周囲の空間を観察した。

空気の密度がわずかに歪んでいる。肉眼では捉えられないほどの微細な霊的結界の糸が、廃屋の入り口を塞ぐようにして幾重にも張り巡らされていた。それは転生者たちが好むような派手で高圧的なシステム魔力の障壁ではなく、古くからの東洋の陰陽道と北欧のエルダー・ルーンの破壊・拘束刻印を極めて緻密に組み合わせた、手際の良いネイティブ特有の防衛網であった。


「……ほう。このスラムの底で、これほど手際よく霊的罠を仕切る人間がまだ残っていたとはな」


賀茂の或は低い呟きを漏らしながら、懐から一枚の古びた破魔符を取り出した。指先でその表面をなぞると、五行の相生関係を示す微かな青白い光が薄暗い闇の中で明滅する。或は不用意に足を踏み入れることなく、罠の結節点となっている数本の糸の位相を瞬時に看破し、絶妙なタイミングで破魔符を空間の隙間へと滑り込ませた。

カチリ、と硬質な霊的スパークが乾いた音を立てて弾けた。張り詰めていた見えない結界の糸が、或の仕掛けた逆相の干渉によって綺麗にほどけ、廃屋の重い鉄の扉が音もなく内側へと開く。


「そこまでだ、無粋な訪問者。せっかく綺麗に編み上げた警告の網目を、そんな乱暴な手で解きほぐすなんて……少しは足元の慎みというものを覚えた方がいいんじゃないのかい」


暗がりの中から、鈴の音を思わせる冷ややかな少女の声が響いた。

廃屋の崩れかけた内部、月光が差し込む一角に、一人の生徒が佇んでいた。大和皇国の厳格な制服を纏いながらも、その着こなしはどこか独自の改造が施され、袖口や襟元には古い麻布と魔力遮断のための呪符が縫い付けられている。彼女の手には、銀色に鈍く光る一対の「神楽鈴」が握られており、その金属製の鈴玉が微かな手元の揺れによってチリリン、と乾いた高音を奏でていた。

風祭鈴音――学園内ではネイティブの生徒として目立たぬように振る舞いながら、その裏で独自の霊的ネットワークを築き上げている少女であった。彼女の黒髪は夜の闇に溶け込むように深く、その冷徹な双眸は目の前に立つ或の姿を値踏みするようにじっと見つめている。


「無粋な歓迎に対しては、それ相応の挨拶を返すまでだ。……風祭、でよかったな」

賀茂の或は冷徹なトーンを崩さず、足を踏み入れて扉を静かに閉ざした。

「挨拶代わりにしては、いささか荒っぽいハッキングだったね、賀茂の或。……まさか、あの交差点でヘレナを自滅に追い込み、ヴォルフガングのガントレットにひびを入れた厄介者が、こんなボロボロの格好で私の隠れ家に転がり込んでくるとは思わなかったよ」


風祭鈴音は神楽鈴の柄を優雅に指先で回しながら、冷ややかな笑みをその唇に浮かべた。その表情の裏には、或の実力を認めつつも、決して油断を見せない警戒の色が隠されていない。鈴音の足元には、学園内の監視網や転生者管理機構のドローン端末から抜き取った霊的ログを投影するための古い魔導端末が転がっており、その画面は絶えず細かなノイズを明滅させていた。


「お前の仕掛けた結界の罠も、もう少し手際が良ければ俺の破魔符を弾き返せたはずだぞ。……まあいい、お前が裏で学園の監視網を幻惑するネットワークを弄んでいるという噂は、このスラムの底にも微かに漏れ伝わってきている。俺がここに来たのは、世間話をしにきたわけじゃない」


或は懐から麻の布袋を下ろし、血と泥に汚れた床の上にそっと置いた。

その所作には、一瞬たりとも隙がない。風祭鈴音は神楽鈴の音色をピタリと止め、冷ややかな笑みを引っ込めると、鋭い眼光で或の顔を直視した。


「用件ぐらい分かっているさ。転生者たちが敷いた学園内の厳戒態勢は、今回のヘレナの暴走のおかげで一時的に麻痺しているけれど、連中が体制を立て直せば、この烏丸小路の路地裏まで徹底的な掃討作戦が及ぶのは時間の問題だ。……だからこそ、あなたはこの私のところに足を運んだ。違うかい?」

「話が早いのは助かる。……転生者どもが上層でどんなに気宇壮大な神話を気取っていようが、連中が使っている監視網やシステムの中枢は帝都全体のインフラ配線と完全に直結している。そして、その配線の網目が一番手薄になる隙間は、他ならぬお前が毎日いじくっている学園の裏ネットワークの端末からしか叩けない」


或の言葉を聞いた鈴音は、ふっと息を漏らすように鼻で笑った。しかし、その瞳の奥には、或が提示した現実的な戦略に対する確かな手応えの色が浮かんでいた。鈴音は手に持っていた神楽鈴を床の上の木箱に軽く置き、足音を立てずに或へと歩み寄る。二人の間の空気が、ピリピリとした緊張感とともに引き締められていく。


「私に協力してほしい、そう言いたいわけだね。……だがね、賀茂の或。私たちがこうして地べたを這いずり回りながら転生者どもの隙をついているのは、お互いの友情ごっこをするためじゃない。私にとっても、あなたにとっても、相手は利用価値のある駒にすぎないのさ。……私があなたに協力することで、私にどんな見返りがあるというの?」


鈴音の問いかけには、ネイティブの生徒として理不尽なシステムに踏みにじられてきた者特有の、冷徹なまでの生存本能と計算高さが滲み出ていた。綺麗ごとなしで利害の一致だけで結びつこうとするその姿勢は、或にとっても非常に好都合であった。お互いに情けや馴れ合いに期待せず、ただ敵を打ち崩すための歯車として噛み合うことこそが、この泥だらけの世界で生き残るための唯一の確実な方法だからだ。


「見返りが必要か。……いいだろう。お前が学園の監視網をハッキングする際に最大の障害となっている、特異災害対策局の魔導センサーの周波数帯があるはずだ。あれを無効化するための『逆相ルーンのパッチ』の組み方を、俺がこの場で直接教えてやる。さらに、必要であれば、連中の自動警戒ドローンの魔力回路を内部から自壊させるための特製呪符の束も、この隠れ家でまとめて量産してやってもいい」


或のその提案に、鈴音の双眸がわずかに見開かれた。彼女が日々頭を悩ませていた監視網の核心的なボトルネックを、或が持っている独自のハッキング技術で完全にクリアできるという事実が、この少女にとってどれほど価値のあるものであるかは言うまでもない。鈴音はしばらくの間、じっと或の煤色の瞳を見つめ返していたが、やがて満足したように小さく息を吐き出し、その冷徹な笑みを再び浮かべた。


「……交渉成立だね。あなたのその泥臭いハッキング技術の腕前は、あの交差点での一件で十分に証明されている。これ以上ない好条件と言っていい」


風祭鈴音はそう言うと、手元にあった古い測量地図の切れ端と、精巧に削り出された木製の鍵――学園の管理棟および古い生徒会棟の裏口を解錠するためのマスターキーの模造品を、或の目の前の床へと滑らせた。冷たい月光がその木製の鍵の表面に刻まれた微細なエルダー・ルーンの刻印を青白く照らし出す。


「それが、学園の旧生徒会棟へと通じる隠された合流経路のマスターキーだ。表向きのセキュリティシステムは転生者たちの権限で固められているけれど、その裏の保守用配線は昔のネイティブたちが遺した古い呪術回路と繋がっている。私の神楽鈴の周波数干渉術をそのキーと組み合わせれば、どんなに厳重な監視網であっても、まるで存在しないかのようにすり抜けて内部へ潜入することができるはずさ」


賀茂の或は床に落ちたマスターキーの模造品を拾い上げ、指先でその重みと刻印の精度を確かめた。冷たい木肌の感触が、或の生身の指先を通じて確かな現実感として伝わってくる。システムの虚偽に満ちた特権階級の城壁に、生身の人間が穴を開けるための最初のマスターキーが、今こうして静かに或の手に渡った。


「上出来だ。これだけの精度があれば、連中の自動センサーを完全に欺くことができる」

或はキーを懐の麻の布袋へと丁寧にしまい込み、冷徹なトーンでそう告げた。しかし、風祭鈴音の表情には、マスターキーを手に入れたことに対する安堵の色ではなく、むしろさらに深い闇を覗き込むような不穏な影がかすかに漂っていた。鈴音は神楽鈴を再び手に取り、チリリと小さく鳴らしながら、窓の外に広がる烏丸小路の闇を見据えた。


「……一つだけ忠告しておくよ、賀茂の或。私たちが手に入れたそのマスターキーで潜入する学園の底には、あなたが想像している以上に深い闇が眠っている。表向きは転生者たちが生徒会を牛耳って一般生徒から魔力ポイントを搾取しているだけの退屈な権力闘争にみえるけれど、その裏の地下層には、神格化同盟の中枢が隠し続けている『神代回廊の実験炉』の本当の接続口がある。……あれは、単なる生徒会役員の不正なんてレベルのものじゃない。この帝都そのものを丸ごと別の位相へ引きずり下ろすための、もっとおぞましい仕掛けの一部なのさ」


鈴音のその言葉を聞いた瞬間、或の脳裏を悪夢――両親を飲み込んだ黄泉比良坂の裂け目の底の光景と、自分の右手首の呪印の疼きが激しく掠めた。しかし、或はその動揺を微塵も表に出さず、煤色の瞳の光をさらに鋭く研ぎ澄ませた。神々の遊戯場として作られたこの大和皇国の理そのものを根底からひっくり返すための戦いは、まさに今、この廃屋の影から始まろうとしていた。


「おぞましい仕掛けだろうとなんだろうと関係ない。連中がどれほど巨大な神話を振りかざしていようが、その足元を支えているのがこの泥だらけの現実の地面である以上、俺たちがやるべきことはただ一つだ。――回路の根本をハッキングし、その甘ったれた幻想をすべて粉々に引き裂くだけさ」


賀茂の或の低い断言に、風祭鈴音は満足げに頷いた。

不条理なシステムと神話の暴力に抗う者同士の最初の隠密同盟が、音もなく、しかし確固たる意志をもってこの烏丸小路スラム街の片隅で結ばれた。


或は風祭鈴音との最終的な連絡手順を確認すると、懐の呪符の束をもう一度しっかりと確かめ、音もなく廃屋の鉄の扉を開けて夜の闇へと再び姿を消した。冷たい月光が烏丸小路の路地裏を青白く照らし出す中、或は次なる学園内部への本格的な浸透作戦に向け、静かに歩を進めていく。


――そして、その夜の深まりとともに、学園の裏ネットワークの端末や生徒会棟の暗がりに仕込まれた無数の魔導配線には、或が仕込んだ微小なエラーの芽が、誰にも気づかれないまま静かに胎動を開始していた。翌朝の朝礼の鐘が鳴り響く時、生徒会幹部たちの端末が一斉に不気味なノイズ音を奏で始めるその予兆が、静かなる反逆の幕開けとして、冷たい夜気の中でひそやかに息を潜めていた。


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