第7話「甘やかしの日常」
厳しい冬の寒さが森を閉ざす中、塔の内部はいつも温かな空気に満たされていた。
外の静寂とは対照的に、厨房からは小気味よい包丁の音と、鍋がことことと煮える柔らかな音が響いている。
リゼットが塔での生活を始めて数ヶ月。
彼女の手料理はすっかりクロードの胃袋を掴み、彼にとって欠かせないものとなっていた。
今日の夕食は、森で採れた香草をたっぷり使った鶏肉の香草焼きと、濃厚なチーズを絡めた温野菜のサラダだ。
火加減を調整し終えたリゼットが額の汗を拭っていると、静かな足音と共にクロードが厨房に現れた。
「……いい匂いだ」
図書室にこもりきりだったはずの彼が、いつになく早い時間に姿を見せたことにリゼットは少し驚いた。
「もう少しで焼き上がります。図書室の整理は終わったのですか?」
「いや、集中が切れた。お前がここで音を立てているからだ」
文句を言うような口調とは裏腹に、彼の顔には険しさがなく、むしろリラックスした様子でテーブルの席についた。
彼は肘をつき、忙しく立ち働くリゼットの背中を藍色の瞳で静かに追っている。
その視線には、かつての冷たさは微塵もなく、無防備なほどの穏やかさが宿っていた。
食事がテーブルに並べられると、彼はすぐにフォークを手に取った。
香草の爽やかな香りと鶏肉の肉汁が口の中に広がり、彼は満足そうに目を細めた。
「……美味い」
「ありがとうございます。今日は少し焼き加減を工夫してみました」
リゼットが向かいの席に座って微笑むと、クロードは少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
最近の彼は、リゼットに対して驚くほど甘くなっていた。
食事の味を褒めるのはもちろんのこと、彼女が少しでも重い荷物を持とうとすれば無言で奪い取り、高い場所の掃除をしていれば魔法で代わりに片付けてしまう。
最初は「俺の視界をうろつくな」と言っていたはずの男が、今ではリゼットが少しでも視界から消えると、露骨に不機嫌な顔をして探しに来るのだ。
「リゼット。明日からしばらく、家事は俺が魔法でやる。お前は休め」
「え? でも、私、疲れていませんし、お料理を作るのは好きですから」
突然の提案にリゼットが目をぱちくりさせると、クロードは眉間にしわを寄せた。
「昨日の夜、咳をしていただろう。少し休ませないと、また倒れる」
「あれは、少し空気が乾燥していただけで……」
「いいから休め。これは師匠としての命令だ」
有無を言わせない強い口調だが、その奥にある過剰なまでの心配性を感じ取り、リゼットは思わず小さく吹き出してしまった。
侯爵家にいた頃は、熱を出して倒れても「怠けている」と鞭で打たれたものだ。
それが今では、一度の咳でここまで心配される。
その落差に、彼女は胸の奥がくすぐったくなるような温かさを感じた。
「わかりました。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
「……最初からそう言えばいい」
クロードはそっぽを向きながらも、耳の端をわずかに赤くしていた。
翌日から、本当にクロードによる過保護な「休養」が始まった。
朝起きると、すでに部屋は適温に保たれ、着替えの服は魔法で温められていた。
食事の時間は、彼が不器用ながらも魔法を使って用意した簡単な料理が並び、リゼットが少しでも動こうとすると「座っていろ」と制止される。
「クロード様、さすがに一日中座っているだけでは、逆に体が痛くなってしまいます」
見かねたリゼットが図書室で本を読んでいる彼に抗議すると、彼は本から顔を上げ、少し思案する素振りを見せた。
「そうか。では、少し体を動かすか」
彼は立ち上がり、リゼットの手を取った。
連れて行かれたのは、最上階の訓練室ではなく、塔のさらに上にあるガラス張りの温室だった。
そこには、外の雪景色とは無縁の、色とりどりの花々が咲き乱れていた。
「ここは……」
「俺が趣味で作った場所だ。ここでなら、少し歩き回っても寒くないだろう」
彼が指を鳴らすと、温室の中央に置かれた白いテーブルに、湯気を立てる紅茶と小さな焼き菓子が魔法で用意された。
リゼットは花の香りに包まれながら、用意された席についた。
向かいに座ったクロードは、彼女が紅茶を口にするのをじっと見守っている。
「……美味しいです」
「そうか」
ただそれだけのやり取りだが、二人の間には絶対的な安心感と、静かで穏やかな時間が流れていた。
リゼットはティーカップを両手で包み込みながら、彼を見つめた。
「クロード様は、なぜ私にここまで優しくしてくださるのですか?」
その問いに、クロードは紅茶のカップを置く手を少しだけ止めた。
藍色の瞳がリゼットを真っ直ぐに捉える。
「……お前が、それを当然のように受け取らないからだろうな」
彼は視線を花壇へと移し、静かに言葉を続けた。
「俺は、他人が俺の力や知識を利用しようとするのが嫌で、この森に引きこもった。だが、お前は違う。お前は俺から何かを奪おうとするどころか、常に俺に何かを与えようとする」
「私は、何も……」
「いいや。お前が淹れる茶も、作る食事も、その静かな足音でさえ、今の俺には必要なものだ」
彼の言葉は、あまりにも率直で、嘘偽りがないことが伝わってきた。
リゼットは頬が熱くなるのを感じ、深くうつむいた。
誰かに必要とされる喜びが、胸の奥で静かに、けれど確実に満ちていくのを感じていた。




