第4話「初めての温もり」
クロードの塔での生活は、リゼットにとって驚きの連続だった。
塔の内部は外見から想像するよりもはるかに広く、幾層にも重なる円形のフロアは、無数の書物が天井まで高く積まれた図書室、薬草の匂いが充満する研究室、そして生活のための空間などに分かれていた。
壁には常に適度な温度と光を保つ魔法が掛けられ、外の厳しい寒さや暗さを全く感じさせない。
リゼットに与えられた役割は、主に食事の用意と簡単な掃除だった。
クロードは魔法の研究には熱心だが、生活能力は皆無に等しく、食事は保存食をかじる程度、部屋の片付けにもまったく無頓着だったのだ。
「……また、こんなに散らかして」
図書室の床に山積みにされた古書の山を前に、リゼットは小さくつぶやいた。
彼女は丁寧に本を拾い上げ、背表紙の埃を布で優しく拭き取ると、元の棚へと順番に並べていく。
ヴァレンティア家で長年、使用人以下の扱いを受け、屋根裏の掃除や厨房の手伝いをさせられていた経験が、ここへ来て大いに役立っていた。
むしろ、誰かに怒鳴られることも、冷たい視線を浴びることもないこの生活は、彼女にとって夢のように穏やかで平和なものだった。
掃除を終えると、彼女は厨房へと向かった。
石造りの竈に火を熾し、冷蔵の魔法が掛けられた保管庫から新鮮な野菜と肉を取り出す。
リゼットの手つきは手慣れており、硬い根菜も包丁でリズミカルに切り分けていく。
大きな鍋に具材を入れ、じっくりと煮込み始めると、やがて食欲をそそる香ばしい匂いが塔の中に漂い始めた。
作業の手を止めることなく、パン生地をこねてオーブンに入れ、サラダの準備を整える。
食事の支度が整う頃、不機嫌そうな顔をしたクロードが図書室から姿を現した。
「……何だ、この匂いは」
彼は顔をしかめながら厨房に入ってきたが、テーブルの上に並べられた湯気を立てるシチューと、焼きたてのパンを見ると、わずかに動きを止めた。
「食事の用意ができました。クロード様、どうぞ」
リゼットが椅子を引いて促すと、彼は無言のまま席につき、スプーンを手に取った。
警戒するようにシチューを一口すくい、口へ運ぶ。
その瞬間、彼の端正な顔にほんのわずかな驚きの色が浮かんだ。
口の中に広がる肉の旨味と、野菜の自然な甘み。
それは、彼が普段口にしている無味乾燥な保存食とは比べ物にならないほど、温かく複雑な味わいだった。
クロードは次々とスプーンを動かし、あっという間に皿を空にしてしまった。
パンも手でちぎり、シチューの残りを綺麗に拭き取って口に入れる。
「……悪くない」
短くそれだけ言うと、彼は満足そうに息を吐いた。
リゼットはほっと胸をなで下ろし、空になった皿を片付け始めた。
「これからは、三食すべてお前が作れ。俺は研究で忙しい」
「はい、喜んで」
リゼットが微笑むと、クロードは少し居心地が悪そうに視線を逸らした。
午後になると、いよいよ魔法の訓練が始まった。
塔の最上階にある、周囲がガラス張りになった広い空間。
床には複雑な幾何学模様の魔法陣が刻まれている。
クロードは腕を組み、厳しい表情でリゼットの前に立った。
「いいか。お前の魔力は膨大だが、全く制御されていない。まずは、その魔力を自分の意志で引き出し、形にする感覚を掴むことだ」
彼は手のひらを上に向け、そこに小さな炎の球を浮かび上がらせた。
チロチロと揺らめく炎は、熱を放ちながらも完全に彼のコントロール下にある。
「目をつぶれ。そして、自分の中心にある熱を探り当てろ。それを指先に集めるイメージを持つんだ」
リゼットは言われた通りに目を閉じ、深く息を吸い込んだ。
今まで意識したこともなかった、自分の中の何か。
静寂の中で意識を研ぎ澄ますと、胸の奥底に、かすかな熱の塊があるのを感じた。
それはまるで、分厚い氷の下で静かに燃え続けていた小さな火種のようだった。
彼女はその熱を意識し、ゆっくりと右手の指先へと引き上げていくイメージを描いた。
指先がじわじわと温かくなり、周囲の空気がかすかに震えるのを感じる。
「目を開けろ」
クロードの声にはっと目を開けると、彼女の指先には、淡く透明な光の球が浮かんでいた。
炎のような熱さはなく、ただ純粋な光だけがそこにある。
自分の手から生み出されたその美しい光に、リゼットは息を呑んだ。
「……これが、私の魔力」
「そうだ。その感覚を忘れるな」
クロードは満足そうに頷き、光の球を見つめた。
その光は、薄暗い部屋を優しく照らし出していた。
自分が持っているものを初めて形にできた喜びで、リゼットの胸はいっぱいになった。
それは、彼女がこれまでの人生で感じたことのない、静かだが確かな達成感だった。




