第10話「再会と絶望」
領地が壊滅の危機に瀕していることなど露知らず、魔の森の塔では相変わらず静かで穏やかな時間が流れていた。
リゼットの魔法の腕は日に日に上達し、今ではクロードの補助なしでも、複雑な防御結界や強力な攻撃魔法を自在に操れるようになっていた。
ある日の午後、リゼットが温室で花の手入れをしていると、突然、塔全体を揺るがすような低い地鳴りが響いた。
「……何?」
リゼットが窓から下を覗き込むと、森の木々が不自然に揺れ、無数の鳥たちが一斉に空へ逃げ去っていくのが見えた。
ただならぬ気配を感じ取り、彼女は急いで最上階の訓練室へと向かった。
そこには、すでにクロードが厳しい表情で立っており、宙に展開した巨大な魔法陣を通して森の広範囲を視覚化していた。
「クロード様、外の様子が……」
「ああ。森の南側の魔脈が暴走している。その影響で、瘴気に当てられた魔物どもが大量に発生し、森の境界を越えようとしている」
彼が指さした魔法陣の映像には、黒い波のようにうごめく魔物の大群が、森を抜けて人間の居住区へと押し寄せていく様子が映し出されていた。
その方角は、間違いなくリゼットの故郷であるヴァレンティア領だった。
「そんな……」
リゼットは息を呑み、両手で口を覆った。
自分を虐げ、捨てた家族や元婚約者がいる場所。
だが、そこに住む罪のない領民たちや、町で細々と暮らしていた人々の顔が次々と脳裏に浮かんだ。
「リゼット」
クロードが静かに彼女の名を呼んだ。
彼の藍色の瞳は、リゼットの心の揺れを正確に見透かしていた。
「お前が助けたいと思うなら、俺も力を貸す。だが、あそこはお前を不要だと切り捨てた場所だ。見捨てるという選択もある」
彼の言葉に、リゼットは強く首を横に振った。
「彼らを許したわけではありません。でも、関係のない人々が傷つくのを、黙って見ていることはできません」
「……お前らしいな」
クロードはふっと口角を上げ、彼女の頭をポンと撫でた。
その時、塔の入り口に設置された防御結界が、外部からの干渉を知らせる低い警戒音を鳴らした。
「……どうやら、助けを求めに来た愚か者がいるようだ」
クロードは冷ややかな声で言い、指を鳴らした。
空中の魔方陣の映像が切り替わり、塔の入り口付近の様子が映し出される。
そこにいたのは、泥と血にまみれ、息も絶え絶えになっているレオンとマリアンヌ、そして数人の護衛の騎士たちだった。
彼らは多くの犠牲を払いながら何とか魔物の群れを潜り抜け、伝説の魔法使いの塔までたどり着いたのだ。
「開けてくれ! 世界最強の魔法使い殿! どうか、我が領地をお救いください!」
レオンが塔の扉を必死に叩きながら叫んでいる。
マリアンヌも泣き崩れながら、後ろに隠れるように震えていた。
クロードは冷酷な目でその映像を見下ろし、小さく舌打ちをした。
「厚かましい連中だ。あのまま森の肥やしにしてやってもいいが……」
「クロード様」
リゼットが彼の袖を軽く引いた。
彼女の目は静かで、かつての怯えた少女の面影はどこにもなかった。
「私が行きます。彼らと、決着をつけなければなりませんから」
クロードは彼女の真っ直ぐな視線を受け止め、ゆっくりと頷いた。
「わかった。だが、俺の後ろから離れるなよ」
彼はそう言うと、リゼットの手をしっかりと握り、空間転移の魔法を発動させた。
一瞬の浮遊感の後、二人は塔の入り口の重厚な扉の前に立っていた。
突如として空間が歪み、現れた黒衣の長身の男と、その横に立つ見慣れぬ美しい少女に、レオンたちは驚いて後ずさった。
クロードの放つ圧倒的な威圧感と、肌を刺すような冷たい魔力に、騎士たちは思わず膝をつきそうになる。
「あ、あなたが……伝説の魔法使い殿ですか!」
レオンがすがるような目でクロードを見上げた。
しかし、彼の視線はすぐに、クロードの隣に立つ少女へと引き寄せられた。
滑らかな暗青色の豪華な外套をまとい、透き通るような肌と、静かで力強い意志を宿した瞳を持つ、息を呑むほど美しい少女。
彼女の全身からは、圧倒的で純度の高い魔力が静かに立ち昇っている。
レオンも、マリアンヌも、その少女が誰であるかに気づくまでに数秒の時間を要した。
「……リ、リゼット……? 嘘だ、なぜお前がここに……!」
レオンの声は裏返り、震えていた。
マリアンヌは信じられないものを見るように目を見開き、口をパクパクとさせている。
無能だと見下し、ボロ布のように捨てたはずの少女が、世界最強の魔法使いの隣で、誰よりも高貴で美しい姿で立っていたのだから。




