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一話で死ぬ運命  作者: Alice
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第二話 普通の高校生には、事情が複雑すぎる

 翌朝。


 三上透は、人生で初めて、自宅のリビングに知らない女の子が二人いる状態で目を覚ました。


「……夢じゃないよな」


 洗面所の鏡を見ながら呟く。


 寝癖はひどい。


 目の下には薄い隈がある。


 そして、昨日の出来事は夢ではなかった。


 足場の崩落。


 シオリとコトハ。


 家に連れて帰ったこと。


 夏希が二人を泊めたこと。


 全部、現実だ。


「……どうしてこうなった」


 答えは出ない。


 透は顔を洗い、制服に着替えた。


 今日は学校がある。


 昨日の事故で多少疲れてはいるが、休むほどではない。授業に出て、課題を提出し、帰ってくる。


 それだけだ。


 自分の生活を、これ以上ややこしくする必要はない。


 リビングに入ると、夏希が朝食を並べていた。


「おはよー」


「おはよう。……あれ?」


 食卓には、夏希と透の分に加え、二人分の朝食が用意されていた。


 シオリは椅子に座り、湯気の立つ味噌汁を不思議そうに見つめている。


 コトハは窓際に立ち、外の様子をうかがっていた。


「おはようございます、透さん」


 シオリが笑顔で挨拶した。


「……おはよう」


 透は一瞬、返事に詰まった。


 昨日の疲れた様子からは想像できないほど、彼女は明るかった。


 もちろん、まだ顔色は少し悪い。だが、少なくとも、今にも倒れそうという感じではなかった。


「よく眠れた?」


「はい。久しぶりに、安心して眠れました」


「……そっか」


 その言葉に、透は少しだけ困った。


 久しぶり。


 つまり、今まで安心して眠れない状況にいたということだ。


 聞きたい。


 しかし、聞けば答えなければならない。


 透は話題を変えた。


「学校、行ってくるから」


「朝ご飯は?」


 夏希が尋ねた。


「食べる」


「じゃあ座る!」


「はいはい」


 透は椅子を引いた。


 食事中、シオリは何度も礼を言った。


 食事を用意してもらったこと。


 部屋を貸してもらったこと。


 服の汚れを落とすため、夏希が着替えを貸してくれたこと。


 そのたびに夏希は「気にしないで」と笑った。


 一方、コトハは必要最低限の言葉しか口にしなかった。


 それでも、出された食事はきちんと食べている。


 透は味噌汁を飲みながら、彼女たちの様子を見ていた。


 警戒心が強い。


 特にコトハは、何かが起きたらすぐ動けるようにしているようだった。


 座っていても背筋が伸び、窓や玄関の位置を把握している。


 ただの旅行者には見えない。


 いや、そもそも旅行者ではないのだろう。


「透」


 夏希に呼ばれ、透は顔を上げた。


「学校が終わったら、なるべく早く帰ってきなさいよ」


「なんで?」


「二人のこともあるし、家のことも相談したいから」


「……わかった」


 透は頷いた。


 そして、食事を終えると鞄を持ち、玄関へ向かった。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい!」


 夏希の声が背中に飛んでくる。


 シオリも手を振った。


「いってらっしゃい、透さん」


 透は小さく手を振り返した。


 扉を閉める。


 いつもと同じ通学路。


 いつもと同じ朝。


 ただ一つ違うのは、家に帰れば、昨日出会った二人がいるということだった。


     *


 学校では、昨日の事故の話題で持ちきりだった。


「見たか? あの足場の崩れ方」


「ニュースになってたぞ。怪我人は出たけど、死者はいなかったらしい」


「マジで危なかったよな」


 教室のあちこちで、そんな会話が聞こえる。


 透も何人かに昨日のことを尋ねられた。


「お前、あの近くにいたんだろ?」


「いたよ」


「大丈夫だった?」


「まあ、なんとか」


「すげえな。よく無事だったな」


 透は曖昧に笑った。


 無事だったのは事実だ。


 ただ、すごいことをしたわけではない。


 むしろ、何もできなかった。


 誰かを助けたわけでもないし、危険を回避するために特別な判断をしたわけでもない。


 ただ、運よく生き残った。


 それだけだ。


 授業中も、透の意識は何度か昨日の出来事に引き戻された。


 あの瞬間、もし自分が一歩踏み出していたら。


 もし、シオリたちがいなかったら。


 もし、あの足場が落ちるのが一秒早かったら。


 考えても意味はない。


 わかっている。


 それでも、頭の片隅に引っかかっていた。


 昼休み、透は購買でコロッケパンを買った。


 新作の焼きそばパンは売り切れていた。


「……まあ、いいか」


 食べられればいい。


 透は窓際の席でパンをかじった。


 友人たちは昨日の事故の話から、いつの間にかクラスの女子の話へ移っていた。


 誰と誰が付き合いそうだとか、誰が誰を好きらしいとか。


 透は適当に相槌を打ちながら、話を聞き流していた。


 誰かの恋愛事情は、平和な証拠なのかもしれない。


 それはそれで、悪いことではない。


 ただ、昨日の出来事を経験したばかりの透には、少し遠い世界の話に感じられた。


 恋が始まるかもしれない少年少女。


 明日も普通に学校へ来て、友達と話し、笑い、悩む人々。


 そういう日常が続くことを、疑っていない人たち。


 透だって、昨日まではそうだった。


 何も起きないことが当たり前だと思っていた。


 その当たり前が、いかに簡単に崩れるのか。


 昨日、身をもって知った。


 だからといって、何かが変わったわけではない。


 透は普通の高校生だ。


 特別な力も、危険を察知する才能も、世界の裏側を見抜く知識もない。


 目の前で起きたことに驚き、怖がり、迷い、あとから考える。


 それが自分だった。


     *


 放課後。


 透が帰宅すると、玄関から味噌汁の匂いが漂ってきた。


「ただいまー」


「おかえり!」


 夏希の声が返ってくる。


 リビングでは、シオリが洗濯物を畳んでいた。


「おかえりなさい、透さん」


「……何してるの?」


「お手伝いです。夏希さんに、何かできることはないか聞いたら、洗濯物をお願いされて」


「そ、そうなんだ」


 透は少し戸惑った。


 居候しているのだから、何かしようと思うのは自然なのかもしれない。


 それでも、昨日まで見ず知らずだった人が自宅の洗濯物を畳んでいる光景には、まだ慣れなかった。


 コトハはリビングの隅で、借りた服の袖を整えていた。


「……あのさ」


 透は二人に声をかけた。


「これから、どうするつもり?」


 シオリの手が止まった。


 コトハも顔を上げる。


「帰る場所がないんだよね?」


「……はい」


「それなら、警察とか、相談できるところに行ったほうがいいんじゃないかな」


 透としては、もっともな提案のつもりだった。


 家にずっと置いておくわけにはいかない。


 自分は学生だし、夏希も大学がある。


 見ず知らずの人を二人、いつまでも保護できるほど余裕があるわけではない。


 だが、シオリは困ったように微笑んだ。


「……ごめんなさい。今は、まだ」


「どうして?」


「それは……」


 シオリは言葉を探すように視線を落とした。


 代わりに、コトハが口を開いた。


「私たちには、私たちの事情があります。あなたたちに迷惑をかけるつもりはありません」


「いや、迷惑っていうか……」


「わかっています。でも、今すぐには動けないんです」


 コトハの声には、譲れない何かがあった。


 透はそれ以上、言葉を続けられなかった。


 事情がある。


 そのことは理解できる。


 ただ、それだけでは納得できないのも事実だった。


「……少なくとも、いつまでもここにいられるわけじゃないから」


「はい。わかっています」


 シオリは静かに頷いた。


 透は自室へ向かった。


 扉を閉める直前、シオリとコトハが小声で話しているのが聞こえた。


「……まだ、見つかってないよね」


「わからない。油断しないで」


「うん」


 透は足を止めた。


 見つかっていない。


 誰に?


 何を?


 聞き返そうかと思ったが、やめた。


 今は、知らないほうがいい気がした。


 根拠はない。


 ただの直感だった。


     *


 その夜、透はなかなか眠れなかった。


 部屋の明かりを消しても、目を閉じると今日までの出来事が浮かんでくる。


 崩れた足場。


 シオリの表情。


 コトハの警戒。


 そして、二人が口にした「見つかっていない」という言葉。


 透は寝返りを打った。


 考えすぎだ。


 他人の事情を勝手に想像しても仕方がない。


 それに、明日も学校がある。


 朝起きて、朝食を食べ、授業を受けて、帰ってくる。


 それだけだ。


 それだけのはずだった。


 翌朝。


 透がリビングに降りると、シオリが一人で窓の外を見ていた。


「おはよう」


 透が声をかけると、彼女は振り向いた。


「おはようございます」


 いつもと同じ笑顔。


 けれど、その目には寝不足の色があった。


「眠れなかった?」


「……少しだけ」


「何かあった?」


「ううん。大丈夫」


 シオリはそう言って、視線を逸らした。


 透は追及しなかった。


 代わりに、冷蔵庫から水を取り出した。


 そのとき、シオリが小さく言った。


「透さん」


「ん?」


「これから、少しだけ時間をもらえますか?」


「……何?」


「渡したいものがあるんです」


 透は首を傾げた。


 シオリは、手の中に小さな黒い物体を握っていた。


 石のようにも、金属の塊のようにも見える。


 光をほとんど反射しない、奇妙な黒色。


 大きさは親指の先ほどしかない。


「それ、何?」


「……私にも、よくわからないんです」


 シオリは困ったように笑った。


「でも、もしかしたら、あなたの助けになるかもしれない」


 透は黒い物体を見つめた。


 嫌な予感がした。


 こういうとき、漫画や小説なら、謎のアイテムを受け取った人間は特別な力に目覚めるのだろう。


 しかし、透はそういう展開を信じていなかった。


 知らない物体には、知らない危険がある。


 不用意に触るべきではない。


「……それ、危険なものじゃないよね?」


「わかりません」


「わからないんだ……」


「ごめんなさい」


 シオリは素直に頭を下げた。


 透は額を押さえた。


 昨日から、わからないことが増え続けている。


 そして、どうやら今日もその流れは止まらないらしい。


     *


 シオリは、黒い物体を手のひらに載せたまま、少しだけ視線を落とした。


「これ、もともとは私がいた場所で見つけたものなんです」


「いた場所って……」


「ごめんなさい。詳しくは話せません」


「……そっか」


 透はため息をついた。


 無理に聞き出すつもりはなかった。


 ただ、正体のわからない物を渡されるのは困る。


「どうして僕に?」


「あなたは、昨日、私たちを助けてくれました」


「助けたっていうか、家に連れて帰っただけだよ」


「それでも、です」


 シオリは真剣な表情で言った。


「私たちは今、追われています。あなたたちにまで迷惑をかけることになるかもしれません」


「……追われてる?」


 シオリは口を閉じた。


 言いすぎた、という顔だった。


 透は少しだけ眉を寄せた。


「やっぱり、誰かに追われてるんだ」


「……はい」


「それなら、なおさら警察に――」


「それができないんです」


 シオリの声が、ほんの少しだけ強くなった。


 彼女はすぐに表情を緩めたが、その一瞬の必死さは透にも伝わった。


「……ごめんなさい。今は、それだけはできないんです」


 透は黙った。


 彼女が何かを隠していることは明らかだった。


 だが、理由がわからない以上、これ以上踏み込んでも意味はない。


「……わかった。受け取るかどうかは、少し考えさせて」


「はい」


 シオリは頷いた。


 そのとき、玄関のほうから夏希の声が聞こえた。


「透ー! そろそろ出ないと遅刻するわよ!」


「わかってる!」


 透は鞄をつかみ、玄関へ向かった。


 シオリは黒い物体を握り直した。


 渡すべきなのか。


 本当に、彼の助けになるのか。


 自分にもわからなかった。


 ただ、これを持っていた場所では、何かがおかしかった。


 ■■■■■で管理されていた記録。


 説明のない■■分類。


 そして、あの場所から逃げるとき、なぜか自分の手元に残っていた小さな黒い塊。


 シオリは、それが何なのか知らない。


 ただ、追っ手がこれを探していることだけは知っていた。


 そして、彼らがこれを取り戻そうとする理由も、まだわからなかった。


 それでも。


 透が巻き込まれる可能性があるのなら、何も持たせずに送り出すわけにはいかなかった。


 シオリは黒い物体を見つめた。


 その表面には、傷一つなかった。

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