第4話:隠された遺品と死因の矛盾。ベッドの上の安楽椅子探偵
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労働は他人に任せ、自分は涼しい顔をして果実だけをいただく。
これこそが、知的生命体が到達すべき究極のニート・スタイルである。
ふかふかのベッドの上で、私は手触りの良いシルクの掛け布団にくるまりながら、至福の時を過ごしていた。
窓の外からは、初夏の暖かな日差しが差し込んでいる。微睡みを誘うような心地よい風が、少し色褪せた天蓋の布を優しく揺らしていた。
このまま永遠に昼寝を楽しみたいところだが、唯一の不満点といえば、私の視界の端で、相変わらず頭に錆びた包丁を突き立てた泥人形の霊が、恨めしそうにぷかぷかと浮遊していることくらいだ。
『……わたしの……おか、ね……』
『……かえして……』
「うるさいな。今、私に忠実な下僕……いや、家族たちがお前のへそくりを一生懸命掘り出しているところだ。お宝探しゲームと称して庭に派遣したんだから、もう少し大人しく待っていろ」
私はベッドに寝転がったまま、空中の泥人形に向かって小さく欠伸をした。
父・ギルバートと兄・エリクを庭の枯れ井戸へ向かわせてから、およそ一時間が経過していた。
もちろん、私はベッドの領域から一歩も動いていない。
前世で、現場に赴いては泥に塗れ、血の海を歩き、睡眠時間を削って過労死した私だ。今世では「安楽椅子探偵」ならぬ「ベッドの上の引きこもり探偵」を徹底する。謎解きも、証拠集めも、すべて他力本願で完結させるのだ。
(とはいえ、本当に見つかるのだろうか。あのフラッシュバックの光景が、数年前のものだとしたら、すでに犯人か別の誰かに掘り返されている可能性もあるが……)
私がそんな一抹の不安を抱き始めた、その時だった。
「レイラーーーッ!! レイラ、起きているかい!!」
ドタバタという騒々しい足音が廊下に響き渡り、バンッ! と勢いよく自室の扉が開け放たれた。
飛び込んできたのは、顔から服まで真っ黒な泥だらけになった父・ギルバートと、その後ろで肩で息をしている兄・エリクだった。さらに、騒ぎを聞きつけた母・エレノアまでが目を丸くして後ろに続いている。
「お、お父様……? そんなに泥んこになって、どうしたんですか?」
私は、完璧な五歳児の無邪気な表情を作り、小首を傾げてみせた。
ギルバートは興奮で顔を真っ赤にしながら、両手で大事そうに抱えていた『それ』を、ドスンと私のベッドの脇の床に置いた。
「出たんだよ! レイラの言っていた通り、枯れ井戸の横の樫の木の根元を深く掘ったら、これが出てきたんだ!!」
それは、全体が赤茶色に錆びついた、分厚い鉄製の小箱だった。
頑丈な南京錠が掛けられているが、経年劣化と土の湿気で、今にも朽ち果てそうになっている。
私の視界の端で、泥人形の霊が『ああっ!』という歓喜の念のようなものを発しながら、小箱の周囲を猛スピードで旋回し始めた。間違いない。これがあの男の執着の対象、『へそくり』だ。
「まあ! 本当に妖精さんがお宝の場所を教えてくれたのね! レイラはすごいわ!」
「すごいよ、レイラ。僕もまさか本当に見つかるとは思わなかった」
エレノアが両手で口を覆って感激し、エリクも荒い息を整えながら優しく微笑んだ。
よっしゃ、と私は心の中でガッツポーズをした。
これで我が家の財政難は解決し、私の安眠と引きこもりライフは守られる。
「でもね、レイラ。実は、驚くのはこれだけじゃないんだ」
ギルバートが、ふっと真剣な表情になり、声を潜めた。
「この箱を掘り出している時、すぐ隣の土の中から……人間の白骨死体が出てきたんだよ。おそらく、何年も前のものだろうね。今、お庭番のトムが町の衛兵を呼びに行っているところだ」
「えっ……人間の、骨……?」
私はわざとらしく怯えたふりをして、布団を口元まで引き上げた。
だが、私の脳内――法医学者・桐生玲司としての思考回路は、極めて冷静にフル回転を始めていた。
(やはり、そうか。犯人に遺体を持ち去られたわけではなく、あの場所で事切れて、長い年月をかけて土に埋もれたんだな。だが、それなら……『死因』に致命的な矛盾が生じるぞ?)
「お父様……その骨の人、どうして死んじゃったの? 妖精さん、その人がお宝を隠したって言ってたけど……」
「うーん、衛兵が来ないと詳しいことは分からないが、おそらく『事故死』だろうね。頭の骨、後頭部のあたりが大きく陥没して割れていたんだ。きっと、夜中に井戸の縁に足を滑らせて、頭を強く打ってしまったんだよ。可哀想に」
ギルバートの言葉に、私はピタリと動きを止めた。
(……後頭部の陥没骨折? 事故死? バカな、あり得ない)
私の脳裏に、先ほどのフラッシュバックの強烈な感覚が蘇る。
背中の右側、肩甲骨の下から内臓を貫いた、鋭利な刃物の熱い痛み。
肺に血が溜まり、呼吸ができなくなるあの絶望的な窒息感。
あれは間違いなく、背後からの刺創による他殺だった。頭を打って死んだ人間の最期の感覚ではない。
(それに、この泥人形の霊は、頭に『包丁』が刺さった姿をしている。後頭部を強打したことが致命傷なら、凶器は鈍器のはず。なぜ刃物のイメージが具象化している?)
私はベッドの上で膝を抱え、じっと空中の泥人形を観察した。
死因の矛盾。
刺殺か、それとも転落による頭部打撲か。
この謎を解き明かさなければ、この霊の真の未練を完全に晴らすことはできないような気がした。
「ねえ、お父様。その骨の人、どんなお洋服を着ていたの? 妖精さん、その人のこと気にしてたから、教えてあげたいな」
私は、無邪気な子供の好奇心を装って、現場の状況をさらに聞き出すことにした。
「うーん……ボロボロだったけれど、黒い革の鎧を着ていたよ。ただ、背中の右側のあたりが、なぜか大きくパックリと裂けていたね。虫にでも食われたのかな?」
(ビンゴだ。やはり右の背中から刃物で刺されている。なら、なぜ父上は頭の陥没骨折が死因だと思ったんだ?)
「あとね、不思議だったのは靴なんだ。庭の土は黒くて柔らかい腐葉土なのに、その骨の人が履いていたブーツの底には、分厚い『赤土』がこびりついて固まっていたんだよ。この辺りで赤土といえば、町を越えた先にある『赤猪の森』くらいしかないのにね」
その瞬間、私の頭の中で、散らばっていた全てのピースがカチリと音を立てて繋がった。
(そうか……そういうことだったのか! これは、見事な時間差のトリックだ)
私は、興奮で震えそうになるのを必死に抑えながら、脳内で完璧な検死報告書を組み上げた。
第一の事実。この男が背中を刺された現場は、アルザス家の庭ではない。赤土のある『赤猪の森』だ。
第二の事実。フラッシュバックで私が感じた、口に広がる泥の味と、息ができない苦しみ。あれは、刺された直後のものではなく、屋敷の庭にたどり着いた『後』のものだ。
(おそらく、この男は森で仲間(犯人)に背後から刺された。右肺の下葉を貫通する重傷。通常ならそのまま死ぬところだが……人間の執念というものは恐ろしい。男は、盗んだ金への異常な執着心だけで立ち上がり、降りしきる雨の中で犯人を撒き、数キロ離れたこのアルザス家の庭まで逃げ延びたのだ)
緊張性気胸と胸腔内出血。呼吸困難に陥りながらも、男は庭の枯れ井戸の横に穴を掘り、この鉄の箱を隠した。
だが、そこで体力の限界が訪れた。
箱を埋め終わった直後、意識が混濁し、足をもつれさせて後ろへ倒れ込んだ。
その際、井戸の石組みの角に後頭部を激しく打ちつけ、頭蓋骨が陥没。そのまま泥濘の中に顔を突っ込み、窒息と出血性ショックの複合要因で息絶えたのだ。
(頭の陥没骨折は、殺人によるものではない。致命傷を負いながらも逃げ延びた結果の、二次的な損傷。そして、この霊の頭に刺さっている『包丁』のイメージは……)
私は、泥人形をじっと見つめた。
刃物の傷と、頭の損傷。
霊というものは、自分が死んだ瞬間の強烈なトラウマを具象化する。
背中を刺されたという『刃物』のイメージと、最後に頭を強打して死んだという『頭部への衝撃』が混ざり合い、結果として「頭に刃物が刺さった姿」という奇妙なディフォルメ霊として顕現したのだ。
「……ふふっ」
思わず、私の口から小さな笑い声が漏れた。
ベッドから一歩も降りることなく、現場の土も死体も見ずに、わずかな証言と医学的知識だけで完全犯罪(あるいは不運な事故の連鎖)の全貌を暴き出してしまった。
安楽椅子探偵、ここに極まれり、である。
「レイラ? どうしたの、急に笑って」
エリクが不思議そうに私を覗き込む。
私は慌てて表情を引き締め、可愛らしい声を出した。
「ううん、なんでもないの! それよりお父様、その箱、開けてみて!」
「おっと、そうだったね。鍵はかかっているが、ここまで錆びていれば……」
ギルバートが、暖炉の横に置いてあった火かき棒を南京錠の隙間にねじ込み、テコの原理で力を込める。
ガキンッ! という鈍い音とともに、赤錆にまみれた錠前が砕け散った。
ギルバートが、ゆっくりと重い鉄の蓋を持ち上げる。
「こ、これは……!!」
部屋の中にいた全員が、息を呑んだ。
箱の中にぎっしりと詰まっていたのは、眩いばかりの光を放つ金貨の山と、大粒の宝石があしらわれた豪奢な首飾りや指輪の数々だった。
軽く見積もっても、アルザス家の借金を全額返済し、エリクの薬を何年分も買えるほどの莫大な財宝だ。
「し、信じられない……。我が家の庭に、こんな凄まじい宝が眠っていたなんて……」
ギルバートとエレノアは、あまりの衝撃にへたり込み、抱き合って涙を流し始めた。エリクもまた、信じられないものを見るような目で金貨の輝きを見つめている。
私は、そんな家族の歓喜の輪からそっと視線を外し、空中で呆然と箱の中身を見つめている泥人形の霊に語りかけた。
もちろん、声には出さず、心の中でのみ。
(おい、泥人形。聞こえるか。お前は、仲間に背中を刺された時、『金が奪われる』と絶望して死んだよな。だが、お前の推理は間違っていたぞ)
泥人形の霊が、ビクッと反応して私を見る。
(お前は、刺されながらも執念で逃げ切り、見事にこの財宝を隠し通したんだ。お前を裏切った憎き仲間は、結局お前のへそくりを見つけることができず、一銭も手に入れられなかった。つまり……金を守り抜いた、お前の『完全勝利』だ)
『……あ……』
脳内に響いていた、泥人形の怨嗟の呻きが止まった。
己の金が奪われていなかったという事実。
裏切り者の思惑を打ち砕き、最期まで宝を守り抜いたという真実。
法医学のメスが切り開いた真実が、霊の心にこびりついていた深い未練の泥を、洗い流していく。
『……おれの……かち……かね……まもった……』
泥人形の体から、陰惨でねっとりとした気配が急速に薄れていく。
私の周りを漂っていた不快な空気が、まるで嘘のように澄んでいくのが分かった。
(おお、未練が消えた。これでようやくゆっくり眠れるぞ……ん?)
私はベッドの上で首を傾げた。
霊は未練がなくなれば、煙のようにふっと消え去って天に昇るものだと思っていた。しかし、目の前の泥人形の様子がおかしい。
ボロボロと、体を構成していた黒いモヤの泥が剥がれ落ちていくのだが、それは消滅するのではなく、さらに高密度の『魔力の塊』として、空中でギュッと凝縮され始めたのだ。
(……なんだ? 消えるんじゃないのか? 何が起きている?)
全くの未知の現象に、私は目を丸くした。
凝縮された漆黒の魔力は、やがてソフトボールほどの大きさの、しなやかな曲線を持つシルエットを形成した。
ピンと立った二つの耳。長くしなやかな尻尾。
それは、どう見ても『黒猫』の姿だった。
影のように真っ黒な猫のシルエットに、パチリと、黄金色に輝く二つの目が開く。
そして、その黒猫は空中でクルリと一回転すると、音もなく私のふかふかのベッドの上、ちょうど私の足元に着地した。
『……ふぁ〜あ。いやぁ、お嬢ちゃんのおかげで、長年の胸のつかえがスッキリ取れたぜ。ありがとな』
脳内に直接響く念話ではない。
その黒猫は、ニヤリと生意気な笑みを浮かべながら、はっきりと人間の言葉で私に話しかけてきたのだ。
「…………は?」
私は、前世を含めても未だかつて出したことのないような、間抜けな声を漏らした。
ベッドの上の安楽椅子探偵。
その華麗なる初めての事件解決の結末は、「未練を晴らした霊が消え去る」という私の予想を大きく裏切り、思いもよらない生意気な『喋る黒猫』の誕生という、予測不能な異常事態を引き起こしていた。




