第20話:実技試験開幕! 劇薬チームの蹂躙劇
集団戦闘における「陣形」の構築とは、本来であれば高度な兵法や戦術的経験を必要とする複雑なロジックである。
だが、前世の法医学者であり、数多の死因と病態生理を解剖台の上で観察してきた私に言わせれば、戦闘とは詰まるところ「いかに効率よく相手の生体機能を機能不全に陥れるか」という作業工程に過ぎない。
呼吸器を潰すか、神経伝達を遮断するか、心脈の圧力を奪うか、あるいは過剰な刺激によって自律神経を崩壊させるか。それらを生体構造の最も脆い部分へ向けて、最小限のエネルギーで正確に叩き込むこと――それが、私という元監察医が導き出した「完全防衛の最適解」だった。
学園都市の北部に広がる、うす暗い原生林――『北部演習林』。
広大な敷地全体に、学園の防護結界が多重に張り巡らされたこの演習場こそが、第一回合同中間試験『地上VS地下・全面対抗演習』の決戦の舞台だった。
「ひゃっほーい! 大自然の中をベッドごと疾走するのは、最高に気持ちが良いですわね、お嬢様!」
「ココア、お願いだからもう少しピッチを落として頂戴……。木の枝がマイベッドの天蓋に引っかかるたびに、私の三半規管が三途の川の船酔いを体験しているわ」
私はふかふかの枕に顔を埋めたまま、ココアの肩の上で揺れるシルクベッドの中でうめいていた。
私の右側では、例の屍蝋化怨霊が「大賢者……、大賢者……」と怨念のメトロノームを刻み、左側のソファに収まったアメリアが「森の冷気がお姉様の白銀の髪を揺らすお姿……尊いですわ……っ」と熱烈な吐息を漏らしている。
寝不足の極限状態の中、私は『宵闇のナイトキャップ』を深く被り直した。
今回の試験ルールは至って明快だ。
両クラスの生徒には、胸に『脱落判定の魔術札』が1枚ずつ配られている。この札を破壊されるか、あるいは降参の意思を示すと、その場で強制転移結界が発動して演習林の外へ排出される。
全生徒の過半数が脱落するか、敵陣地の『本陣旗』を奪い取った側の勝利。そして、個人撃破数や貢献度によって最高得点を獲得した個人1位には、あの私の命の綱である『幻の最高級マンドラゴラ安眠枕』が授与される。
「フッ、いよいよだな、レイラ。見ろよ、あっちの木の上に、地上クラスの生意気なエリートどもが陣を張っているぜ。僕の【絶対言霊使い】の恐ろしさを、彼らの骨身に刻み込んでやろう!」
私たちの先頭を歩くレオンハルトが、真っ赤なシルクのマントを翻して、木の上の影を指差した。その後ろには、燕尾服の老執事が一寸の狂いもない足取りで控え、主人の背中を守っている。
「レオンハルト、言ったはずよ。イリスの囮に誘い込まれるまで、お前は一言も喋るんじゃないわ。魔力の無駄遣いは絶対禁止よ」
「う、うん、分かっているさ……。でも、少しは格好つけさせてくれたっていいじゃないか……」
「レイラ殿。木の上に潜む敵、計三名。いずれも第一区分の斥候のようですな。我が妖刀『村雨』が、彼らの頸動脈の温もりを感知して蠢いておりますぞ」
㠿藍色の着物を風になびかせたシデンが、腰の刀の鯉口をカチリと切る。
「シデンも落ち着きなさい。斬るのは皮一枚よ。肉まで切ったら血がついて私のベッドが汚れるわ。ルカ、準備はいいわね?」
「は、はい……っ! レイラさん! 僕、いつでも一番強い治癒魔法(毒殺爆撃)を撃てるように、脳内で『絶対に全員皆殺しにする』ってイメージを膨らませてます……っ!」
㠿包帯だらけのルカが、両手の拳を強く握りしめながら、危険すぎる瞳の光を輝かせていた。彼の【反転の薬師】は、彼の脳が殺意で満たされれば満たされるほど、対象に完璧な聖なる治癒と、それに伴う『急激な細胞の熱壊死(過剰拒絶反応)』をもたらす。完全に大量殺戮兵器のセッティングだ。
「ふ、ふえぇ……。僕、大きな木の陰で隠れてますぅ……」
㠿二メートルの巨躯を持つガウェインが、熊のぬいぐるみを抱きしめながら巨木の後ろに小さくなって縮こまり、緑髪のイリスが「ふにゃあ、森の中って、魔物さんの赤ちゃんの匂いがしていっぱい生まれそう……」と腕を擦っている。一番後ろからは、もはや気配すら消し去ったクロエが、自身の影の上に寝そべってスイスイと滑るように追随していた。
「……アメリア、敵の配置と前線の状況は?」
「はい、お姉様。私の『禁書庫の鍵』による精神同期、完了いたしましたわ」
㠿アメリアが私のベッドの横で古い魔導書を開き、その美しい目の下の隈をピクリと動かした。彼女の頭脳には、この演習林の全地形と、地上クラス『第一区分』の全三十名の配置データが、地図のようにくっきりと展開されていた。
「地上クラスは、数に任せて三方向から我が第零区分を包囲する陣形をとっていますわ。中心で指揮を執っているのは、第一区分の次席である重騎士の男子生徒。彼は『自分の頑強な盾があれば地下の欠陥品どもなど一散に押し潰せる』と、脳内で大変浅薄な勝利の方程式を描いております」
「浅薄ね。典型的な『教科書通りの戦術しか知らない優等生』の思考パターンだわ。前世でもそういうマニュアル偏重の研修医は、想定外の症例に当たると一瞬でパニックを起こして誤診を起こしたものよ」
㠿私はクッションに顎を乗せたまま、冷徹な声で全員に最終指示を出した。
「作戦通り、中央の『狭間の谷』へ敵を誘導するわよ。イリス、苗床の魔獣を谷の左右に放ちになさい。敵に『あそこに地下クラスの罠がある』と誤認させ、逆に中央の狭い一本道へ誘導するのよ。人間は危険を回避しようとする時、最も安全に見える『準備された罠の道』へと無意識に足を踏み入れる習性があるわ」
「はぁい、お姉様ぁ。可愛い子たち、いってらっしゃぁい」
㠿イリスが袖をまくると、彼女の白い腕から数十匹の小さな粘液状の魔獣(スライム擬き)がポコポコと飛び出し、谷の左右の藪の中へと消えていった。
㠿――そして、演習開始を告げる学園の大鐘が、遥か上空からゴーンと響き渡った。
「かかったぞ! 地下クラスの欠陥品どもは、中央の谷に固まっている! 左右の藪には不気味な魔物が潜んでいるようだが、中央の一本道なら我が『第一区分』の重騎士部隊で一気に押し潰せる!」
㠿第一区分の指揮官である重騎士の少年が、大盾を構えて先頭に立ち、二十名以上のエリート生徒を引き連れて谷の狭い通路へと雪崩れ込んできた。彼らの胸には豪華な魔法甲冑が輝き、威風堂々とした正統派の軍勢そのものだった。
「おい、欠陥品ども! お前たちのリーダーの白銀のネクロマンサーを差し出せ! ベッドごと学園の外へ叩き出して――」
「今よ。レオンハルト」
㠿私の冷徹な呟きが、通信魔導具を通じて前線へと届いた。
「グランツの名において命ずる! 『僕の前を進むこの谷の者どもよ、その四肢の筋繊維は硬直して泥の如く固定されよ』!!」
㠿レオンハルトの絶対言霊の黄金の波が、谷の幅五メートルの狭い範囲にピンポイントで放射された。
㠿前話の指導通り、対象を「谷の内部」に限定し、命令を「筋繊維の硬直(麻痺)」に絞った省エネ運用の言霊。
「な……なにっ!? か、体が……足が動か……っ!?」
「バカな!? 魔法障壁を突き抜けて、直接身体の筋肉が固まって……っ!」
㠿先頭の重騎士部隊をはじめ、谷になだれ込んだ第一区分の生徒二十名以上が、まるで石像になったかのように、ガクガクと膝を折ってその場に硬直した。後ろから続いていた生徒たちも、前詰まりを起こして身動きが取れなくなる。
「シデン、無駄なく流しなさい」
「御意! 東方剣理――『一文字・漣』!」
㠿シデンが藍色の影となって飛び出した。
㠿彼は大振りなど一切しない。レオンハルトの言霊で硬直したエリート生徒たちの隙間をすり抜けながら、彼らの首筋の皮膚――鎖骨上窩の浅い位置にある外頸静脈の走行に沿って、妖刀『村雨』の切っ先で「チクリ」と針で突くような極小のかすり傷を正確につけていった。
「ひっ!? な、切られた……!? いや、皮一枚……血が数滴滲んだだけだぞ!?」
㠿生徒たちが嘲笑しようとした、まさにその瞬間。
「ルカ、最高の殺意(愛)を叩き込みなさい」
「い、いきます……っ! 死ね、死ね、全員跡形もなく滅びちゃえぇぇぇっ! ――『エリア・ハイ・ヒール』!!」
㠿ルカが両手を掲げ、戦場全体を包み込むような最上位の聖なる治癒の光を放った。
㠿本来なら、傷ついた味方を一瞬で全回復させる奇跡の光。
だが、シデンによって「皮膚を一枚傷つけられ、血中の微小な凝固系が活性化していた」第一区分の生徒たちにとって、その光は地獄の処刑宣告へと反転した。
㠿【反転の薬師】のバグ効果によって、ルカの放った凄まじい治癒の波動は、生徒たちの傷口から侵入し、全細胞の代謝速度を通常の数万倍へと「過剰励起」させたのだ。
「がっ……、あ……あぁぁぁぁぁっ!? あ、熱い! 細胞が、身体の中が燃えるように熱いぁぁぁっ!?」
「な、なんだこの感覚はぁぁ!? 傷が治るどころか、汗が一瞬で蒸発して……口の中がカラカラに……っ!?」
㠿細胞の超高速度の過剰反応による、論理的な『急激な脱水と高熱ショック』。
傷口の細胞が爆発的に再生と分解を繰り返した結果、生徒たちの体温が一瞬で四十度を超え、全身の水分が激しい発汗と熱分解によって奪われ、強烈な立ちくらみと脱力感が彼らを襲った。
「降伏……っ! 降伏する! 魔術札を壊してくれぇぇぇっ!」
「助けてくれ! 喉が、喉が渇いて死んでしまうぅぅっ!」
㠿プライドの高かった地上クラスのエリートたちが、涙と鼻水を流しながら、己の胸の魔術札を悲鳴と共に自ら叩き割っていった。
パン! パン! パン! と、転移結界の青い光が谷の中で連続して炸裂し、第一区分の生徒たちが次々と演習林の外へと強制排出されていく。
㠿さらに、後方で混乱していた残りの生徒たちも、イリスの苗床の肉壁に退路を塞がれ、影から音もなく現れたクロエの短剣によって胸の魔術札を正確に突かれ、一瞬で全滅した。
㠿――戦闘開始から、わずか三分。
㠿地上クラス『第一区分』の主力二十五名が、一歩も動かないベッドの上の少女の指示によって、文字通り「無傷で、かつ完膚なきまでにトラウマを植え付けられて」全滅(システム完封)したのである。
「す、凄すぎる……! 僕たち、地上クラスの軍勢を……たった三分で全滅させちゃったよ……!」
㠿レオンハルトが自身の手を見つめ、武者震いに身体を濡らしていた。
「ふむ。これぞ至高の剣理と薬理の融合。白銀の主の采配、まさに神の領域なり」
㠿シデンが刀を収め、感嘆の息を漏らす。
㠿他のクラスメイトたちも、演習林の静寂の中で、再びベッドに深く頭を沈めた私を見て、崇拝を越えた神聖な眼差しを送っていた。彼らの胸には、「このレイラ・アルザスという引きこもりの天才についていけば、どんな不条理も踏み潰せる」という、絶対的な勝利の確信が刻み込まれていたのだ。
(よし……。これで個人撃破数と貢献度のスコアは、我が第零区分が独占ね。あの『マンドラゴラ安眠枕』は、もう私のものよ……!)
㠿私はクッションの中で、密かに勝利の笑みを浮かべていた。これで今夜から、周囲の怨念や熱視線を100%カットした、至高の不労所得安眠ライフが手に入る。
㠿――だが、私が安熱の余韻に浸ろうとした、まさにその時だった。
『……おい、お嬢ちゃん。浮かれてる場合じゃねえぞ』
㠿影の中から顔を出したルウが、鼻をヒクヒクと大きく動かし、演習林のさらに深い奥地――第一区分の本陣がある方向に向かって、低く毛を逆立てた。
「……何よ、ルウ。邪魔しないで頂戴。私は今、最高級枕の柔らかさを脳内でシミュレーションしている最中なのだけど」
『違う! この森の風の上流からだ……。さっきの生徒どもが放った生体魔力の臭いとは違う、とんでもなく不快な【合成された人工毒薬】と、腐敗した【魔物の血の匂い】が混ざり合って漂ってきやがる!』
㠿ルウの言葉に、私の前世の監察医としての細胞が、弾かれたように覚醒した。
㠿私はベッドから半身を起こし、アメリアに合図を送った。
アメリアも異変に気づいたのか、顔色をさらに蒼白にしながら、古い魔導書をめくった。
「お、お姉様……っ! 演習林の最奥……第一区分の本陣の周りに展開されていた野生の魔物たちの生体反応が……一瞬で、すべて『消絶』いたしました……っ! 何者かが、不自然な高濃度の魔薬を使って、魔物たちを強制的に死に至らしめています……!」
「……不自然な魔薬による、魔物の不審死(大量死)?」
㠿私の、ベッドの上からの平穏な学園ニート生活。
最高級安眠枕を手に入れるための単純な中間試験は、演習林の奥に潜む「学園の裏の不穏な薬物密売組織」の影と、大賢者の不気味な試みによって、再び法医学ミステリーの濁流へと引きずり込まれようとしていた。




