第12話:名誉という名の地下監獄
建築学において、地下空間というものは常に特異なリスクを孕んでいる。
前世の現代日本であっても、地下室や密閉された洞窟の調査には、酸欠や有毒ガスの滞留、そして何より日光の遮断によるビタミンD欠乏症など、健康上のデメリットが数多く指摘されていた。
法医学者の視点から言えば、日光の届かない高湿度の環境は、死体の腐敗を遅らせる一方で『屍蝋』化を促す絶好の条件であり、およそ十歳の成長期の少女が健やかに過ごすための場所としては、最悪の部類に属する。
特級魔導馬車が静かに停止し、純白の扉が開かれた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、そんな私の不吉な医学的懸念を証明するかのような光景だった。
「お嬢様、到着いたしました! ここが国が誇る最高の学び舎、王立学園の特待生専用降車場ですわ!」
ココアがふわりとメイド服のスカートを翻し、私を馬車のステップから地上へとそっと降ろした。
見上げるほどの高さを持つ白亜の校舎。敷地内には魔導具によって常に最適な温度に保たれた噴水が広がり、行き交う少年少女たちは皆、仕立ての素晴らしい制服を身にまとっている。洗礼の儀を終えたばかりの十歳前後の子供たちだというのに、その佇まいからは貴族としての矜持と、神から授かった優秀な『職業』への絶対的な自信が満ち溢れていた。
「……はぁ。やっぱり、人が多すぎるわ。今からでも実家のベッドに帰りたい」
「何をおっしゃるのですか、お嬢様! 国費でエリクお兄様の治療を受けさせていただいているのですから、今日からは聖女として学園の皆様を物理で粉砕し、導いて差し上げねばなりません!」
「物理で粉砕したらそれはただの大量殺人なのよ、ココア」
私が小さく溜息をつくと、周囲の視線が一斉にこちらに集まるのが分かった。
腰まで伸びた白銀の髪に、神秘的な輝きを放つアメジストの瞳。そして王家から貸与された超豪華な純白の馬車。十歳にしてはあまりにも儚げで、かつ浮世離れした美貌を持つ私の姿は、周囲の生徒たちにとって格好の注目の的だったらしい。
「おい、見ろよ……あの馬車、王家の紋章が入っているぞ」
「まさか、あの噂の……建国以来、二人目の『死霊術師』か?」
「なんて可憐な方なんだ。まるで氷の妖精のようだ……」
ヒソヒソと囁かれる的外れな賛辞を、私は前世の社畜仕込みの完璧なポーカーフェイスで完全に無視した。
妖精でも聖女でもない。私はただ、ベッドの上で一生ゴロゴロしていたいだけの、怠惰を極めた元・三十代男だ。周囲の大勘違いは今に始まったことではないが、これほど大人数から品定めをされるのは精神的に酷く消耗する。
『……ご主人様、呑気にタルトの消化をしてる場合じゃねえぜ。ほら、足元を見てみなな』
私の影の中から、ルウの冷ややかな念話が響いた。
言われるまでもない。
私の足元――というよりは、この美しい学園の地下深くから、絶え間なく湧き上がってくる『異様な波動』を、私の内に眠る死の魔力がハッキリと捉えていた。
それは、三日前の馬車旅の終わりにルウが察知した通りのものだった。何十年、いや何百年もの間、密閉された空間で濃縮され、発酵し続けたような、ドロドロとした怨嗟の気配。前世で数日経過した凄惨な事件現場の扉を開けた瞬間に鼻腔を突く、あの生理的な嫌悪感を伴う『死の匂い』に酷く似ていた。
「これより、新入生のクラス発表を行います! 各員、提示された案内状に従い、指定の教室へ移動してください!」
㠿大聖堂前の広場で、拡声の魔導具を持った学園の職員が厳かに告げた。
生徒たちが一斉に手元の魔導書や案内状を確認し、動き始める。
地上にある陽の当たるエリート校舎――そこには『剣聖』や『大賢者』といった、誰が見ても花形のレア職業を授かった高位貴族の子息たちが、誇らしげに胸を張って歩いていく。
「さあ、レイラお嬢様! 私たちの教室はどちらでしょう! きっと地上で一番景色の良い、最高級の特等室に違いありませんわ!」
「……だといいけれどね」
私は手元に支給された、黒い革張りの重厚な案内状を開いた。
そこには、美しい金色の刺繍で、こう記されていた。
――【特待生クラス(第零区分):地下最深部・初代の聖域】。
「……は?」
私の口から、思わず素の困惑の声が漏れた。
第零区分。地下最深部。
㠿ただの地下室ではない。最深部、である。
「お、おおお……! 失礼いたします、レイラ・アルザス様ですね!?」
その時、豪華な白の法衣を身にまとった、学園の教頭らしき初老の男性が、何人もの従者を従えて慌ててこちらに駆け寄ってきた。
彼は私の前に来ると、まるで本物の聖女を拝むかのように、大袈裟に両手を広げて深く頭を下げた。
「お待ちしておりました! 陛下より、貴女様を最高の待遇でお迎えせよとの厳命を受けております! なんと喜ばしいことでしょう……今回の特待生クラスのために、我が学園は、数百年間封印されていた【初代死霊術師の聖域】を、そのまま教室として解放する許可をいただいたのです!」
㠿教頭は、感動のあまりその細い目を潤ませ、大仰に語り続ける。
「初代様が建国の折、数多の死霊を従え、王国の礎を築かれたという伝説の始まりの場所……! そこを二代目であるレイラ様がお使いになることこそ、まさに歴史の必然! 王家からの、これ以上ない最高名誉のプレゼントにございます!!」
「……あ、あら。それは、とても光栄なことですわね」
私は、引き攣りそうになる頬の筋肉を必死に制御し、可憐な十歳の令嬢としての完璧な営業スマイルを浮かべた。
心の中では、教頭の胸ぐらをつかんで前世の罵詈雑言を浴びせたい気分だった。
(最高名誉のプレゼントだと!? ふざけるな、要するにただのカビ臭くて薄暗い地下ダンジョンじゃないか! 何が歴史の必然だ、ただの隔離施設だろうが!)
国や学園のトップどもの魂胆は、法医学者としての冷徹な観察眼にかかれば一瞬で見透かせた。
死霊術師という、強力だが一歩間違えれば国家転覆すら不可能な危険職。それを地上の一般生徒たちと同じ場所に置くわけにはいかないのだ。だからこそ、初代の遺産という「最高の名誉」という華やかなオブラートで包み、強固な結界が張られた地下深奥のシェルターに私を放り込み、効率的に管理・観察しようとしている。
「さあ、こちらへ! 特待生の皆様を、聖域へとご案内いたします!」
㠿教頭の先導により、私とココアは、白亜の校舎の裏手にある、普段は誰も近づかないような重厚な鉄格子の扉の前へと導かれた。
他のレア職の生徒たちが、地上のガラス張りの美しい校舎へと入っていく中、私たちだけが、まるで罪人のように地下へと続く暗い階段を下りていく。そのシュールな落差に、私は内心で盛大に白目を剥いていた。
「うわぁ……! 階段がどこまでも続いていますね、お嬢様! ひんやりとしていて、夏はとっても涼しそうです!」
「……ココア、ポジティブなのは良いことだけど、これ、ただの監獄への階段にしか見えないわよ」
トテ、トテ、と、私たちの足音が、湿った石造りの階段に虚しく反響する。
下りていくにつれて、空気の質が明らかに変わっていった。
気温が急激に下がり、肌を刺すような冷気がドレスの隙間から侵入してくる。だが、それは単なる気温の低下ではない。法医学者として、数千の死体から発せられる「負のエネルギー」を解剖室で浴び続けてきた私だからこそ解る――純然たる『死気』の冷たさだ。
『……おいおい、ご主人様。こいつは冗談抜きでヤバいぜ。空気の中に、古い血の成分が完全に溶け込んでやがる。生前、数百年前にここでどんな凄惨な屠殺が行われたか、想像するだけで鳥肌が立つな』
影の中から、ルウが細い爪を私の影の縁に立てて囁く。
確かにルウの言う通りだ。壁の石材は、一見するとただの黒い岩に見えるが、法医学的な視点で見れば、かつて大量の血液が染み込み、それが何百年もかけて酸化・鉄化して黒ずんだものであることが容易に推測できた。
(初代死霊術師の聖域……。英雄なんて大層な名前で呼ばれているけれど、実態はただの巨大な人体実験場か、あるいは死体安置所だったんじゃないの、ここ?)
私の安眠確保のために手に入れたマジックアイテム『宵闇のナイトキャップ』や『毒見鳥の銀指輪』が、地下からの強烈な気配に反応して、カバンの中でかすかにチリチリと熱を帯び始めている。これほどの防衛反応を示すということは、この先に待ち受けている空間が、どれほど異常であるかの証明だった。
「――さあ、到着いたしました。ここが、特待生クラス(第零区分)の教室にございます」
㠿長い階段を下りきった先、広大な地下の空洞が広がっていた。
その中央にそびえ立っていたのは、大人が五人並んでも見上げるほどに巨大な、漆黒の魔導扉だった。
扉の表面には、複雑に絡み合う鎖の意匠と、中央に不気味な『一対の逆さ十字』――初代死霊術師の紋章が深く刻まれており、周囲の空間を物理的に歪ませるほどの強大な魔術結界の波動を放っている。
「では、私はここまでで。中にはすでに、本日より皆様の担任となられる教官と、他のユニーク職業の生徒たちが揃っております。レイラ様、どうか我が王国の未来のため、その大いなる力をお振るいください!」
㠿教頭は、それだけ言うと、まるで呪われた場所から一刻も早く逃げ出したいかのような、見事な方向転換で階段を駆け上がっていった。
残されたのは、私と、巨大なトランクを抱えたココア。そして、影の中に潜むルウだけだ。
「……置いていかれたわね」
「意気地のない教頭先生ですね! さあ、お嬢様! 新しいお友達が待っていますわ! ドワーフの礼儀として、まずは挨拶代わりの力強いノックから失礼いたします!」
「待って、ココア。その細腕で本気のノックをしたら、この伝説の扉が物理的に粉砕されて私の弁償問題に――」
㠿私の制止の声よりも早く、ココアの小さな拳が、漆黒の魔導扉に向かって真っ直ぐに突き出された。
ドゴォォォォンッ!!!
㠿結界が張られていたはずの重厚な扉が、大砲でも直撃したかのような凄まじい大音響とともに、内側へと勢いよく弾け飛んだ。
舞い散る古い埃と、何百年もの間閉じ込められていた、冷たく、そして鼻を突くような『古い鉄(血)の匂い』の突風が、私の白銀の髪を乱暴に煽る。
開かれた――いや、物理で抉じ開けられた聖域の向こう側。
そこに広がっていたのは、黒い石材で囲まれた、まるで古代の円形闘技場のような異形の教室だった。
そして、突如として扉を破壊して侵入してきた私たちに向かって、その空間にいた『全ての視線』が一斉に突き刺さった。
「……あ?」
教室の最奥。教卓に両足を乗せ、死んだ魚のような目でこちらを睨みつけている、一人のやる気ゼロの男。
そして、それを取り囲むように座る、どこか退廃的で、しかし肌がヒリつくほどの異様な殺気と魔力を放つ、癖だらけの七人の少年少女たち。
私の前世の法医学者としての直感が、脳内でけたたましくアラートを鳴らし始める。
こいつらは全員、まともな人間じゃない。私と同じ、世界の理をバグらせる側の『劇薬』たちだ。
息を呑むような緊迫した静寂の中、私の、絶対に働きたくない学園生活の重い――いや、粉砕された扉の向こうの、デスマーチの幕が上がろうとしていた。




