第10話:10歳の洗礼と、神話級の熱烈スカウト
睡眠。
それは、知的生命体に与えられた至高の娯楽であり、前世で過労死した私の魂を癒やす唯一にして絶対の救済である。
――あの領地での水死体事件から、三年という月日が流れていた。
私は十歳になった。外見はそのままに、順調に成長を遂げていた。絹糸のような白銀の髪は腰まで伸び、アメジストの瞳は微睡むたびに神秘的な光を湛えている。黙ってベッドに横たわっていれば、誰もが息を呑む深窓の令嬢だ。
そして事実、私はこの三年間、自室のふかふかのベッドを中心とした『半径数メートル以内』を絶対のテリトリーとし、優雅なる引きこもりニート生活を完璧なものへと昇華させていた。
その盤石なる引きこもり帝国の立役者となったのが、私が身につけている『三つのマジックアイテム』である。
「……ふぁあ。今日もよく寝た」
初夏の日差しが差し込む天蓋ベッドの上で、私は大きく伸びをした。
私の頭には、絹のように滑らかな手触りの、淡いラベンダー色をした『宵闇のナイトキャップ』が被せられている。
これは私が九歳の時、我が家の古い書庫に居着いていた未練霊を成仏させた際に手に入れたものだ。その霊の正体は、数百年前に過労と睡眠不足で狂い死んだ学者だった。前世の私と似たような死因に妙なシンパシーを感じた私は、ルウの嗅覚を駆使して彼の『隠された未発表論文』を本棚の裏から探し出し、無念を晴らしてやったのだ。
結果としてアイテム化したこの帽子は、【精神干渉遮断と絶対安眠】の効果を持つ。これを被って眠れば、低級な未練霊たちの怨嗟の声や気配といった『精神的なノイズ』を完全にシャットアウトできる。私の安眠を保証する、最強の防具である。
体を起こし、ナイトキャップを外すと、白銀の髪をまとめている『蒼流水の髪飾り』が、シャラリと涼やかな音を立てた。
三年前、詐欺師ザックの相棒だった水死体の男の未練が定着した、私の初めてのマジックアイテムだ。透き通るサファイアがあしらわれたこの髪飾りは、【物理障壁と自動防汚】という素晴らしい水属性の魔法効果を放っている。
周囲数ミリに見えない水の薄膜を展開し、泥跳ねやホコリを完全に弾く。つまり、毎日お風呂に入らなくても体が清潔に保たれるという、ズボラなニートにとっては神の如きアイテムだ。ちょっとした打撃や飛来物も受け流してくれる。
そして最後の一つ。私の細い右手の人差し指にはめられている、『毒見鳥の銀指輪』。
これは八歳の時、領主の館の厨房に居着いていた『毒殺された名もなき毒見役のメイド』の霊を片付けた際に手に入れたものだ。
華奢な銀の蔓が絡み合ったデザインの中央には、小さな赤い宝石が輝いている。この指輪は【毒物・危険物のパッシブ探知】の効果があり、半径数メートル以内に腐敗した食べ物や毒薬が存在すると、宝石がチリチリと熱を帯びて黒ずむ仕組みになっている。
おかげで私は、ベッドの上から一歩も動くことなく、暗殺や食中毒のリスクを完全に排除できるようになったのだ。
『ヒャハハハ! 相変わらずベッドの上でフル装備だな、ご主人様。ゲームの最終ボスでも、もう少し活動的だぜ?』
ベッドの足元の影から、使い魔である黒猫の精霊・ルウが顔を出し、黄金色の瞳を細めてニヤニヤと笑った。
「黙れ、駄猫。これが私の究極の完全防備だ。この三年間、お前と一緒に小銭稼ぎがてら未練霊を片付けてきたおかげで、私のシステム理解も進んだからな」
私は、自分の小さな手のひらを見つめ、ギュッと握り込んだ。
霊の未練を晴らし、その魂が光の粒子となって四散する際、その一部が私の体内に流れ込んでくる現象。この三年で何度も経験したことで、私の『ステータス』は着実に底上げされていた。
体内の魔力総量は格段に増え、霊を視認し、死者の感覚を追体験する五感共有の解像度も飛躍的に向上した。そして何より、前世の医学的見地から言えば『細胞内のミトコンドリアが活性化した』かのように、すぐに息切れしていた貧弱な体力が、人並みの幼女レベルにまでは回復していたのだ。
(リスクゼロで小銭を稼ぎ、経験値を溜めてステータスアップし、便利なマジックアイテムを充実させる。完全なる在宅ワークの完成だ。もう私を脅かすものなど、この世のどこにも――)
「レイラお嬢様ぁぁぁーーーッ!! お時間でございますよぉぉぉっ!!」
――ドゴォォォォンッ!!
私が悦に入っていたまさにその瞬間。
分厚いオーク材で作られた自室の扉が、攻城兵器でも直撃したかのような轟音とともに木っ端微塵に吹き飛んだ。
「ぎゃあああっ!? テ、テロか!?」
「おはようございます、お嬢様! 本日は十歳のお誕生日、誠におめでとうございます! さあ、急いでお着替えを! 一生に一度の『洗礼の儀』のお時間です!」
舞い散る木屑と土煙の中から現れたのは、満面の笑みを浮かべた我が最強のバディにして最大の物理的脅威、ドワーフの怪力メイド・ココアだった。
クラシカルなメイド服に身を包んだ可憐なビスクドールのような外見は三年前から一切変わっていないが、彼女の背中に背負われた『戦鎚』は、さらに巨大で凶悪なものに新調されていた。
「こ、ココア! お前、毎度毎度ドアを物理で粉砕して入ってくるのはやめろと言っているだろうが! 私の静かな朝を返せ!」
「ふふっ、お嬢様は相変わらず元気いっぱいで可愛らしいですね! ですが、今日ばかりはベッドでゴロゴロしているわけにはまいりません。王都から特使様もお見えになる、格式高い教会での儀式なのですから!」
ココアは私の抗議など全く意に介さず、ズンズンとベッドに近づいてくる。
そして、私の襟首を掴むのではなく、今回はなんと『ベッドのマットレスごと』片手でヒョイッと持ち上げたのだ。
「うわぁぁぁっ!? 浮いた! ベッドごと浮いた!? やめろ、私のテリトリーごと強制連行するな!」
「さあ、お嬢様! 馬車が待っております! 輝かしい未来へ向かって、出発進行です!!」
私はマットレスにしがみつきながら、なす術なく部屋から運び出されていった。
足元の影の中では、ルウが『ヒャハハハ! 極上の空の旅だな!』と腹を抱えて笑い転げている。
十歳の誕生日。それは、この世界に生きる全ての子供たちが、神から与えられた己の『職業』を告げられる、運命の洗礼の儀の日であった。
* * *
王都からほど近い、格式高い大教会。
ステンドグラスから色とりどりの光が差し込む厳かな大聖堂には、近隣の貴族や裕福な平民の子供たちが集まり、熱気と緊張感に包まれていた。
祭壇の奥には、神託を告げる巨大な水晶球が鎮座しており、その傍らには教会の高位神官だけでなく、今回はなぜか王家の紋章が入った豪奢なマントを羽織る『王直属の特使』までが同席していた。
「……はぁ。人混みは嫌いだ。うるさいし、何より無駄なエネルギーを使う」
私は、ココアに無理やり着せられた最高級の純白のドレスに身を包み、大聖堂の隅で憂鬱なため息をついていた。
私の圧倒的な美貌(自分で言うのもなんだが、アルビノのような白銀の髪とアメジストの瞳は異常に目立つ)のせいで、周囲の貴族の少年たちがチラチラとこちらを見ては頬を赤らめている。非常に鬱陶しい。
「レイラ、緊張しているのかい? 大丈夫、お前ならきっと素晴らしい職業を授かるはずだよ」
少し離れた保護者席から、青白い顔をした兄のエリクが、優しい笑顔で手を振ってくれている。
三年前から私とルウが裏で稼いだ金のおかげで、エリクには高価なポーションを与え続けることができた。おかげで今は、こうして外出できる程度には心疾患の症状が安定している。だが、根本的な完治には至っていない。中世レベルの魔法医療では、これが限界なのだ。
(……とはいえ、私自身の職業は何でもいい。目立たず、安全で、家から一歩も出なくて済む仕事。そうだ、『村人』とか『錬金術師』あたりがいいな。それなら堂々と家でゴロゴロできる)
私は、頭の蒼流水の髪飾りをいじりながら、心の中で完璧な人生設計(ニート計画)を練っていた。
「――次。レイラ・アルザス令嬢。前へ」
神官の厳かな声が響き、私の名前が呼ばれた。
私は優雅な足取りで(ドレスの裾を踏まないように慎重に)祭壇へと進み出た。
王直属の特使が、興味深そうに私を見下ろしている。
「さあ、神の導きに身を委ね、水晶に手を触れなさい」
神官に促され、私はそっと両手を差し出した。
ひんやりとした水晶球の表面に、私の小さな手のひらが触れる。
その瞬間だった。
――ドクンッ!!
私の心臓が、大きく跳ねた。
まるで、強烈な未練霊に触れて五感共有が発動した時のような、莫大なエネルギーの奔流が体内に逆流してくる感覚。
いや、違う。これは私の中から外へと溢れ出しているのだ。
「な、なんだこれは……!?」
神官が悲鳴のような声を上げた。
私が触れた水晶球の中心から、眩いばかりの『黄金の光』と、全てを飲み込むような『漆黒の闇』が、螺旋を描きながら爆発的に噴出したのだ。
光と闇の柱が教会の天井を突き抜け、大聖堂全体が昼と夜が混ざり合ったような異様な空間へと変貌する。
「こ、この波動は……! まさか、まさか!!」
王直属の特使が、玉座から弾かれたように立ち上がり、目を血走らせて水晶球を見つめた。
やがて、光と闇の奔流が収まると、水晶球の表面に神託の文字がくっきりと浮かび上がった。
――【死霊術師】。
神官が、震える声でその文字を読み上げた瞬間。
大聖堂に集まっていた数百人の貴族や聖職者たちが、一瞬の静寂ののち、耳をつんざくような大歓声と驚愕の悲鳴を同時に上げた。
「し、死霊術師だと!? 嘘だろう、あの伝説の神話職が!?」
「建国の英雄である、初代様以来だぞ! 歴史上、たった二人目の奇跡だ!!」
「おおおっ……! 神よ、我らが王国に再び『救国の英雄』を遣わされたのですね!!」
周囲の熱狂的な叫び声を聞きながら、私は水晶球の前で、一人静かに白目を剥いていた。
(……終わった)
前世で法医学者として、数え切れないほどの死体と向き合ってきた私の魂。
そして今世で、強力な未練霊を引き寄せ、その感覚を追体験し、魔力として吸収し続けてきた特異体質。
考えてみれば、私がその職業を引き当てるのは必然だったのかもしれない。
だが、問題はその職業に対する『この世界の認識』だ。
忌み嫌われる悪の魔法使い? 迫害されて日陰で生きる? それなら大歓迎だ。誰も私に期待などせず、私は一生ベッドの上で迫害(という名のニート生活)を享受できたはずだ。
しかし現実は、全くの逆だった。
初代ネクロマンサー。
それは、数百年前にたった一人で敵国の大軍をアンデッドの軍勢で壊滅させ、この王国を救ったとされる『建国の英雄』である。
つまり、死霊術師とは、この国において『絶対に国が手放さない、超ウルトラ超激レアの救国神話職』に他ならなかったのだ。
「レイラ・アルザス令嬢!!」
ダダンッ! と、王直属の特使が私の目の前に飛び降り、私の両手をガシリと強く握りしめた。
その目は、宝の山を見つけた亡者のようにギラギラと血走っている。
「素晴らしい! なんという奇跡! 陛下もさぞお喜びになられることでしょう! さあ、今すぐ王都へ向かう準備を! あなたは『王立学園』への特待生としての入学が決定いたしました!」
「えっ、いや、私は家で……」
「もちろん、アルザス家への支援は国が全面的に保証いたします! 莫大な支度金、借金の一括返済! そして何より……あなたの大切なお兄様、エリク殿への『国家最高峰の優先治療権』をお約束いたしましょう!!」
特使の提示した条件に、私はピタリと動きを止めた。
(……エリク兄様への、国家最高峰の治療……?)
私の脳裏に、いつも青白い顔をして、それでも私のために優しく微笑んでくれる兄の姿が浮かんだ。
今のアルザス家の財力と、市井の魔法薬では、彼の命を繋ぎ止めるのが精一杯だ。だが、国が抱える最高位の神官たちのヒールを恒久的に受けられれば、彼の心疾患は完全に治るかもしれない。
だが、それは同時に、私にとって『絶対逃亡不可の契約書(デスマーチの始まり)』を意味していた。
国費で学園に入り、国費で兄の命を救われる。
そんな恩を着せられれば、私は将来、国のための軍事力や労働力として、骨の髄まで搾取されることになる。
前世の過労死ルートの再来。睡眠不足。終わりのない激務。
さようなら、私のふかふかのベッド。さようなら、私の究極のニート生活。
「……うぅっ……ひぐっ……」
確約された『過労死ロード』という絶望的な未来を想像し、私の大きなアメジストの瞳から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
働きたくない。怖い。絶対に嫌だ。
だが、兄の命を天秤にかけられれば、前世で人の命を救うために奔走した医学者の端くれとして、断れるはずがなかった。
「……謹んで、お受け……いたします……」
私はポロポロと涙を流し、唇を噛み締めながら、か細い声で承諾した。
その瞬間。
大聖堂の中が、水を打ったように静まり返り――直後、爆発的な感動の嗚咽に包まれた。
「おおおっ……! 見ましたか、あの涙を!」
「自分の平穏な未来を捨て、家族のために、そして国のために自らを捧げる覚悟の涙……!」
「なんという美しさ、なんという慈悲深さ! アルザス家の令嬢は、死を司る職に就きながらも、その心は真の『聖女』なのだぁぁぁっ!!」
貴族たちも、特使も、そして保護者席のギルバートとエレノアまでもが、顔をくしゃくしゃにして大号泣している。
ココアに至っては、「我らが聖女レイラ様、万歳!!」と叫びながら、天井に向かって戦鎚を振り回していた。
(違う! 私はただ、働きたくなくて絶望しているだけだ! お前ら、眼科か精神科に行けぇぇぇぇっ!!)
私の魂からのツッコミは、神聖な大聖堂の歓喜の渦に完全に飲み込まれた。
影の中に潜むルウだけが、『ヒャハハハ! こいつは傑作だ! 聖女サマのご誕生だぜ!』と笑い転げている。
ベッドの上の安楽椅子探偵。引きこもりのニート令嬢。
私がこの三年間かけて築き上げた完璧な防衛線は、国家権力という圧倒的な暴力と、特大の勘違いによって、無惨にも粉砕された。
こうして私は、過労死確定の王立学園へと、涙ながらに強制連行されることとなったのである。




