いいやつ
お金なんて持っていないよ、なんて言えない。肩に食い込む指が徐々に強くなっているのを感じる、痛みは無い、むしろ母の様な優しい温もりを感じてなんの傷でも治ってしまいそうだ。
「初回無料ということで…?」
無茶苦茶な提案だ、でもやるしかない。
「…店長」
亜美はカウンターに向かい、店長とコソコソ話を始めた。二人共が無表情に口を動かし、1分ほど話し合った後、納得した様子で戻ってきた。
「…これからずっと無料で良いってさ」
「え?」
この女は何を言っているのか。無料?ずっと?理解に困ってしまうな。この店はただの一般客に何を求めているのか…、だがまぁ、嬉しいことには変わりはない。
「…その代わりに」
ごくりと息を飲む。次は何を言い出すのか、不安と期待で心が震えた。
「…ここで働いてほしい」
「はた…働く……?」
聞いた事もあるし意味も理解している、だが魔王は一度の経験も無い。働くといっても、自分はその実態をよく理解していない。働くべきか、断るべきなのか、頭の中で2つの選択肢が右往左往し、どちらを選択すべきか喧嘩が始まった。
「…拒否するなら…無料の件は無しになる」
「えぇ…?!なら働く!」
「…ふふ」
亜美はそのまま背中を向け、カウンターに向かった。そして再び店長と耳打ちの会話をし、店長が頷くとこちらに戻ってきた。
「…今日から?…それとも明日から?」
「ん?なんの事だ?」
「…そうだね…座り直そうか」
「お…おう分かったぞ…」
先ほど座っていた席に戻り腰下ろす。再びの対面、先と変わらぬ無表情の女、ズボンのポケットからメモ帳を取り出した。
「…シフト聞く」
「シフトと言うのは何なのだ?」
元の世界では聞き馴染みのない単語。身を乗り出し傾聴する。
「…働ける時間や曜日…そういうの」
「ふむ…」
「…まず…ここから何分の位置に住んでいるのかな」
魔王は返答に困った。この世界に飛ばされてから、まだ1日2日しか経っていない。家を持っているわけがないのだ。
「住んでる家は無いぞ、まだ目覚めて少しだからな」
その言葉に疑問を持たずに話を進める。実際には違うのかもしれないが、一切顔には出さなかった。
「…そう…ならどこで寝泊まりする気なの?」
「?それは……うーん…分からない……」
「…ん……じゃあ僕の家に住む?」
「いいのか?!じゃあ遠慮なく住まわせてもらいます!!」
「…ふふ…荷物を持っているように見えないし…家も持っていないとなると…服とかも持ってない?」
「うん、何も持ってないぞ。亜空間には収納しているが…ちょっと魔力不足で取り出せないんです…」
右手を横に伸ばし、何かを掴もうとする。その手は空気を多少動かしただけで、諦めたように飼い主の元へ帰った。
「…そうなんだ…なら…後で一緒に買いに行こうか」
「おお!買ってくれるってことか?!」
「…ふふ…そうだよ」
「うはー!亜美は良い奴だなー!」
わざわざ亜美の横に立ち、肩を叩いた。バシバシと破裂音と酷似する音が店内に響。だが、全くと言っていいほど痛くはない。
「…私なんてそんな…普通の人だよ」
「ふふーん?亜美は謙虚なのだな」
「…そうかもね」
魔王は対面に座り直す
「…じゃあ…住む場所は決まったね…次は入れる曜日を聞こうかな」
メモ帳を開き、ペンを持った。
「曜日とはなんだ?」
元の世界には曜日などなかった、この世界の曜日というものを知るわけが無いのだ。
亜美が席を立った。カウンター近くのカレンダーを取り、魔王に見えやすいよう机の上に置いた。
「……ん…これ」
「?これが曜日…というものなのか?」
「…これはカレンダー…ここの漢字が曜日…この数字が日付…そしてこれが月…分かった?」
「ふむふむ……理解した!」
魔王はアホでは無い。魔法の才能もだが、基本的に一度言われたことを忘れることは無い。元の世界には、脳みそに入れる知識が無さすぎただけなのだ。魔王の親の評価では五億年に一度の天才だという。
「…周期について…24時間ごとに日が巡り…「1」…「2」…「3」…と…数字の最後の所まで続くの…そうすると次のページに進めるよ」
「…曜日は簡単…7日周期なだけ…カレンダーの赤くなっているところは休日…仕事がない訳では無いから気を付けてね」
「うん…それだけかな…もし困ったら数字の上の方を見上げてみて…すぐに分かるはず」
「ほうほほう…理解した!」




