いこう
一方
「…もう…もうもう………もう」
亜美はリビングのソファでスマホを凝視していた。その顔に感情は無いが、周囲の重苦しい空気から、怒りや悲しみが簡単に見て取れた。
「ねぇねぇ〜、顔怖ちぃよ〜??」
亜美の腕に体を巻き付けている女。ピンク色の髪の毛をわしゃわしゃに押し付け、丸っこい瞳が亜美を見上げている。
「…少しイライラしてるだけ」
「おっ?!じゃあ行きますぅかぁ???!!」
耳元で叫ばれ、耳が破壊されそうになるが、無理やり鼓膜を維持させ、意識が飛ぶのを回避した。そんな状況でも顔を顰めることはなく、無表情を貫いた。
「…行かないよ…今はそういう気分じゃない」
「えぇ???ウチめっちち欲求不満〜。やってもいいじゃんてかやろうよやらないと意味ないよやるべきだと思うよやらないと損だよ!」
「…ぅう」
時間はある、まだ夜も始まったばかりだ、何分何時間遊んだ所で誰も気にしない。だが亜美の意識は、魔王に対するストレスへと向いている。僕から勝手に逃げて、僕の許可無く人の家にあがり、それも男の家に。メールで幾度説得しようとも、魔王の意思は変わらなかった。1度断られ、2度断られる。3度、5度、12度、39度、全て断られていく。僕が完璧な理論を展開しようとも、魔王はその上を軽々行ってしまう。それが僕のストレスになった。
「ねぇ、どうするの?やる?やらない??ちゃんとウチを見て言ってよ、ウチのこと考えてよ、その魔王って子は無視でもいいじゃん、ウチだけ居ればいいじゃん、他の人なんて要らないじゃん」
腕に巻き付く力が強まった。骨の軋む音が部屋に響く、それでも亜美は顔色を変えることは無い。何もされていないかのように、無表情に無感情に、亜美にとって痛覚とは無視可能な感覚でしかないのだ。痛いからといって顔に出す意味が無い、行動を起こす意味が無い、痛みを避ける意味がない。無視をすれば、全て終わりなのだから。
「…少し…ストレスが足りないと思う…もうちょっと溜まらないと気分が乗らないかな」
「えぅ〜??ストレスでやりたいやりたくないが変わるんぅん???もうさぁ、普通に1回やっちゃえば流れで気持ち良くなれるって〜!意識飛んで無限にやれちゃうって〜!最初だけ!最初だけ頑張ればあとは流れ!ね!」
「…むう」
「ねぇ…亜美ちゃん?…ウチがやりたいって言ってもさ………ダメかな?」
至近距離の上目遣い。生温かい吐息が首筋に掛かって、首が湿り気を帯びた。甘い猫撫で声が鼓膜を揺らし、自然と口角が上がってしまう。
「…っ……いや…そういう訳じゃない……分かったから…やるから…その目やめて欲しい……あと声も…」
「へふっ、亜美ちゃん最高!ありがとうね!!愛してる〜!!!らぶりーあみー!!!」
一旦腕から手を離し、真正面から亜美の背中に回す。額を首筋に押し付け、すりすりと体を擦り付けた。動物がマーキングをするように、亜美は自分の所有物だと分からせる。そのために自分の匂いを最大限擦り付け、他の女が寄り付かないようにする。
「…そういうのいいから…早く行こ」
「おっしゅぅ!行っちゃおうぜ〜!!!」
亜美は、自分の体に人がしがみ付いている状態でも難なく立ち上がった。相手が女とはいえ、50以上の重りを何事も無かったかのように持ち上げた。息も漏らさず、いつも通りの平常運転で体をソファから浮かせる。
「うぅお?!!?すっご!ウチ62あるよ?!なんでこんな簡単に上がっちゃうのぉ?!やば!!やばやば!!」
「…ふふ」
亜美の首に腕を巻き付け体を持ち上げる。顔の位置が亜美よりも上になった。細い足を腰の後ろへと回し、落ちないように足と足をクロスさせ、密着率がほぼ100%になった。相手の心臓の音が自分の心臓の音にかき消され、人肌の温もりだけが二人を包んだ。
「今日はどこ行くぅ??」
「…ん…西の方にいい感じの場所を見つけたの…そこでいいかな?」
「んーー!!ぅおっけい!!!」
「…ほら降りて…準備しないとでしょ」
「うぅ!酷い!!ウチ離れたくない!でも離れちゃうもん、そうしないと行けないもんね」
あっさりと体から離れ、リビングの隅に置いてあった鞄を手に持った。
「うし行こーぜぃ〜!」
「…元気だね」
「だって久しぶりじゃんか!ウチらなかなか会えなかったじゃん?ずっと待ってたのよ!」
「…たった2週間だよ」
「2週間も、なの!!」
亜美は呆れることすら出来なかった。目を逸らし、軽いため息をつく、それだけのことだけが、今出来る唯一の心の浄化方法だった。
「…ん…行こっか」
「いこ!!」




