きれい
それはどこからともなく現れた。薄汚れた銀色の鋼鉄、手のひらに収まるほどの、到底人の手で作られたとは思えない精密な造形。緻密に鍛錬された鋼鉄は、優美な曇りを未来永劫彩るはずだ。
鈴。それはハムスターサイズの鈴だった。魔王の手のひらのほんの少し上、ぷかぷかと浮かぶそれは、威圧感を感じさせない、子供の玩具のような姿をしていた。それは紐に繋がっておらず、鈴単体だけで音を奏でる。
チリン、と1回鈴が鳴った。その小さな姿からは想像も付かないような重厚的な音色、獣の寝息を思わせるくぐもった鈴の音が鳴った時、店内の空気がドスンと落ちた。
同時に、店内に設置されていた家具が、七色の光に包まれる。頭痛を催す程の光が、亜美の視界を奪った。光は3秒もしないうちに消え、跡地には先程の姿とは180度違う、新品よりも綺麗になった机や椅子が誕生していた。
「…わ…凄い」
目を見開いているが、瞳の色は変わらない。現実離れした能力を目にしたため、瞼が驚いただけだ。
「ふふん!良い感じだーろー??」
満面の笑みで机の上に、仁王立ちでいる魔王。役目を終えた鈴を、手のひらに収めて軽く握る。再度手を開いた時には、手の内にあるはずの鈴の姿が、元から何も無かったかのように消え去っていた。
「…ん…そこ…とりあえず降りよっか」
「うぇ?あーごめんなさい、忘れてたです」
ピョンと跳ねて地面に着地する。軽々とした動きで、羽のように重さを感じさせない、音の無い完璧な着地。衣擦れ音だけが耳に響いていた。
「よし!掃除完了だ!」
再度仁王立ちで腕を組み、自慢げな顔で悦に浸っていた。その褒めてほしそうな姿を無視し、亜美は店内を見回した。
20年程使われていた机、汚れが目立つような姿では無かったが、無数のすり傷で色が変わっていた。それが一瞬のうちに新品同然になり、更に材質まで変わっているように感じた。
オレンジ色に変色していた壁面も、太陽よりも真っ白な清楚な壁に変わっていた。元の雰囲気を壊さずに、開店当時のような姿を見せてくれた。
「…清掃の域を超えてるね」
魔法の脅威を理解していたつもりだった、気温さえ自由自在の魔法、魔王の着ている服は魔法で作っているのだろう、身の回りの全てを魔法で済ませれる程強大な力なのだ。魔王の魔法は、時を戻すことさえ可能なのかもしれない。
どれほど思考しようと魔王の限界を知ることは出来ない。それに喜びを感じている自分を、頭を撫でて褒めてあげたい。密着して甘えた声で撫で回してあげたい。魔王ではなく、ただ思考しているだけの自分を撫でたい。亜美の精神状態は正常だ。
魔王は一向に褒められないことを知ると、不貞腐れたように唇を尖らせた。すぐに、パッと機嫌を直して亜美を見上げた。
「清掃は終わったな、次は何をするのだ?」
「…ん…もうあとは待つだけかな…10分」
「ふむ、了解したぞ…!」
魔王はてちてちと足音を立てて、いちばん近い柔らかな椅子に向かった。手で硬度を確かめ、ポスンと腰を下ろした。
「あと10分…暇だなー」
口を半開きに天井を仰ぐ魔王。地面に届かない足をぷらぷらとさせて、上半身を左右に揺らしている。
「…スマホでもやれば?」
「んぁ、確かにそうだな」
ポケットからスマホを取りだし、一瞬でスマホ以外見えなくなっていた。開店まで時間があるため、亜美は魔王の隣に座り、横目でスマホを覗き込んだ。
SNSを見ているようだ、魔王が画面をスライドさせる度に、無数の投稿が滝のように流れてくる。動物の写真や飯の写真、文字だけの投稿も様々に流れ落ち、魔王は全てに目を通していた。
「…」
流れている投稿には不快になるような物もある。魔王はそれにも目を通しているのか、見ていないことを祈りながら、横目に全ての情報を共有した。
鈍器による殺害、連続殺人犯の記事なども流れているが、亜美には関係の無いことだ。特に気にすることはない、表情も動かない、心臓も平常だ。魔王はその記事を一瞬で流し、実際に目にしていた時間は1秒程もないだろう。
「…ん…もうそろそろ時間だよ…動こっか」
「よし、分かったぞ」
スマホをポケットにしまい、椅子から降りた。




