朝が来た
「んぅ……」
眠りから覚めると辺りは未だに暗かった。薄い太陽の光だけが、カーテンの無い窓から侵入し、明かりの無い室内が朝を理解する。口の中がもちゃもちゃとして、火傷のような感覚を毎朝味わう、気分は最悪だ。体も背中から硬化してしまって、動くのも一苦労。体を起こさずに近くに置いておいたスマホを手に取った。寝起き一番にスマホを起動させる、時刻を確認するためだ。
午前の四時三十分、カフェの仕事は五時からだったはずだ。初日から遅刻は流石に人としてどうなのか、いや、自分は魔王なのだから遅刻しても良いのかも?と、体が完全に目を覚ますまで、意味の無い考えで時間を潰していた。
「よし…」
自分から体を起こせないのなら、魔法で補助すればいい話だ。魔王が魔法を使うと、使用していた毛布が魔王の体を包んだ。くるくると巻かれ、魔王の体を縦にした。
「うん、よしよし」
ベッドから降りると、自然と毛布はベッドに帰り、元の体勢に戻っていった。体は完全に目覚めてはいない。洗面所に向かうため、重い足取りで部屋を出た。
扉を開けると涼しい風が体を貫通した。数度違うだけでも涼しいと感じてしまう。ほんの少しだけ気分が上がり、間抜けな欠伸をしながら廊下を歩いた。ぺたぺたと、靴下を履いていない魔王の足音が廊下に響く。
「…ん…おはよう」
洗面所の扉を開けると、先客がいた。彼女も寝起きだろうにいつも通りの無感情で無表情だった。疲れを知らないような艶やかな顔、正しい姿勢は絶対に崩さないらしい、軽やかな足取りで洗面台を魔王に譲った。
「おはよう〜」
両手に水を貯め、顔にブチ当てて本格的に目を覚ました。それを3回ほどした後、ビシャ濡れの顔でタオルを探した。
「…はいこれ」
「ん」
亜美が差し出したタオルを受け取り、顔に付いた水を拭う。さっぱりして気分爽快だが、まだやらなければならないことがある。それは角の手入れだ。
基本的に身だしなみは魔法で済ますことの方が多いが、角は魔王の威厳、自らの手で手入れをしなければ意味が無い。カッコイイ姿になるために、5歳の頃には魔法に頼らない事を選んだ。そして今日まで毎日のルーティンになっている。まぁ何回か忘れているような気もするけど、記憶に無いのなら忘れてないと同じだと思う。昨日はやってないけど…
魔法で作った特製の布で時間をかけて丁寧に磨いていく。先端をこねくり回し、徐々に付け根へと下がっていく。お気に入りは付け根の部分、布で磨く度に皮膚が引っ張られ、耳掃除をしているような、モゾモゾとした感覚が半端なく脳にくる。
「きもち〜……」
洗面所の一角で座り込み、快楽に溺れながら磨き続けている。すると、肩に手を置かれた。現実に引き戻されて磨いていた手を止める。背後に顔を向けると、無表情の亜美が中腰に魔王を見ていた。
「…僕…それやりたい」
「それ…あー、角のことか?」
「…うん…お手伝いしたいなって…ダメかな」
魔王のポリシー的に、誰かの手を借りるのはあまり良いものでは無い。自分の威厳を、他の奴の手で作られたと思われるのが嫌なのだ。カッコイイは自分で作るもの、その心を忘れずに今日まで生きてきた。
「良いぞ!」
「…やった…ありがとう」
魔法の布を手渡し、亜美に背を向けた。少し待つと背後で座るような音がなり、頭部に手が触れた。
「…どうやったらいいかな」
髪の毛をかき分けて角をまじまじと観察する。漆黒よりも暗い角、等間隔に並ぶ浅い溝が、角を質素だと言わせなかった。ザラつきのない質感、角は綺麗に手入れされており、油分の無いはずなのに触り心地が滑らかだった。
「適当でいいぞ〜…」
「…ん…分かった」
魔法布に唾液を垂らして角を磨く。ちょっとした愛情表現だ、深い意味は無い。角の先端から付け根に向けて大胆に拭いた。拭うこと数分、魔王が動いた。
「ん、ありがとう。もう大丈夫だぞ」
名残惜しそうに手を引き、魔法布を魔王に返却する。魔法布は魔王が受け取った瞬間に粒子状になり消えていった。その光景を見ても、亜美は特に驚かなかった。魔王が魔法布を取り出している瞬間も見ていたからだ。
「…それじゃあ…もう行けるかな…朝ご飯はカフェで食べよ?」
「うん分かった」
ピョンと立ち上がって亜美の後ろに続く。出て行く前にスマホを持ったか、このために作った服のポケットを確認した。ちゃんと入っている事を確認したらいざ出発。大きな背中を追ってカフェに向かった。
「ん?」
ふと、靴箱上の金槌に目がいった。完璧に綺麗に輝く白銀色、だが魔王の目は誤魔化せない。薄く一粒残る赤色を視認した。魔王は特に言及することなく玄関を出た。血だと分かっていたのか分かっていないのか、知っていて欲しいのは魔王の頭の中はお花畑だということだ。




