『第二十八話 マトモ』じゃ
※
「ご、ごめんね。御守り、ずっと返そうと思ってたの。でも、声、かけられなくて」
「……うん」
「あ、あたし、人を好きになったこととか、なかったから、どうしたらいいのか、わからなかったの。本当はあのとき、クスロウ様がいじめられてたとき、あたしが助けなきゃいけなかったのに……」
たどたどしく話し始めたマイ。
めちゃくちゃになった商店街の中心。
オレは彼女の足元に目を向けた。
「……」
そこでは数本のツタが地面から生えてうねっている。
マイのスキルだ。彼女はスキルを解いていない。
つまり……まだやる気はあるということだ。
オレも剣を抜いておくべきかと一瞬思ったが、やめた。
深呼吸して心を落ち着かせる。
「マイ。いまなら、まだ引き返せるぞ」
慎重に声をかけた。
「あのバオとかいうやつには、関わらない方がいい。あいつはコン様を陥れるために君を利用してるだけだ」
「……引、き返す……なんて、そんなの、ムリだよ。もう」
マイはか細く答えた。
「無理じゃねえ」オレは間髪入れず返す。
「オレだって、いま変わろうとしてるとこなんだ。君も変われる。ちょっと道を踏み外したけど、今からでもまだ、マトモになれる」
「………………あ、あたしは……」
マイの声がさらに小さくなる。数秒俯いて沈黙し、それから、顔を上げた。
「べつに、マトモになりたくなんかない」
オレの目を見て言った。
彼女の表情は、相変わらず落ち着きがなく焦点が定まっていない。オレを誘拐しに来た時と同じ、何を考えているのかまったく読めない顔。
なんだ。
そのとき、彼女の足元のツタがビュンと伸びた。
「ぐっ!?」
「クスロウ様……そんなこと言うなんて。あなた、らしく……ないよ」
巨大なツタに全身を絡め取られ、オレは建物の壁に叩きつけられた。
「がっ!」
「それにやっぱり、あたしのこと、なにも知らないんだね。しっ、仕方ないよね。だって、あなたは、死んじゃってから、見てないもんね」
「どう……いう、ことだ……!?」
「あたしが……やったこと……」
やったこと?
ストーキングじゃなくて?
「あたし……やっちゃったんだ。あのあと」
「なにを……」
問いかけて、ある答えが浮かんだ。
まさか。
こいつ。
「殺っちゃったの」
マイの口角が歪につり上がっていた。
※
「なあ、あいつ今日も来てねえな」
「あいつ?」
「ほら、校長の息子に目つけられてたやつ」
「ああ……もう来ないんじゃね?」
「まあさすがにありゃ厳しいよな。不登校かー、かわいそーに」
クラスの男子が話しているその内容を、マイは教室の片隅の席で聞いていた。
机の上で開いた本にはまったく集中できていない。頭は彼のことでいっぱいだ。
クスロウ様。彼が学校に来なくなってからもう1ヶ月経つ。
彼が、その後どうなったか。
噂では、近所のゲームセンターやスーパーで見かけたという情報もあるが、やはりもう学校には来ないのだろうか。
教員たちも特になにか対処をしている気配もない。きっと、校長の手が回っているのだろう。
職員室に忍び込んで得た彼の家の住所にはまだ行っていない。
今日、見に行くだけ行ってみようと思っていた。いまさら自分に何ができるのかという話だが。
それでもなにか彼の力になれることがあるはず。
そう思って、放課後、家の前にやって来ていた。
電柱の陰からしばらく家の外を観察した。その間に何度か、人の出入りがあった。
父親らしきサラリーマン、それから、新卒社会人っぽい若い男性に、大学生っぽい男性。どちらも頭が良さそうだった。たぶん、二人いるという彼の兄だろう。
肝心のクスロウ本人は現れない。今日は外には出ていないのだろうか。
暗くなってきたので、初日はそこで帰った。
二日目は、休日だったので午前から張り込むことにした。
電柱の陰から見ていると、10時くらいにクスロウ様が出てきた。
一週間ぶりに見るその姿に、マイは興奮を抑えながら後を追った。
クスロウ様が向かったのは近所の神社だった。
古びた小さな建物に、雑草と落ち葉だらけの敷地内。お世辞にも管理が行き届いているとは言い難い場所だった。
人も彼とマイ以外は誰もいない。
クスロウ様は、敷地内をしばらくフラフラ歩き回ると、不意に片隅に捨てられるように置いてあったホウキとチリトリを手に取った。
そして掃除を始めた。
「…………」
マイはその様子を木陰から見ながら困惑した。
なぜ、こんな場所に?
なぜ掃除を?
全くわからない。前後の繋がりが読めない。
彼は黙々と石畳の上をはき、落ち葉を集め、雑草を抜いていく。
ポケットから取りだしたゴミ袋にそれを詰めると、一息ついたように神社の本殿に振り向いて、
しばらく黙って見つめた後、ゴミ袋を持って帰っていった。
次の日も、その次の日も、
クスロウ様は毎日必ず、神社に通っていた。
マイも毎日のように観察していたが、謎は深まるばかりだった。
家の前に張り込んで見ていた限りでは、クスロウ様はこの神社に行く時以外にはほとんど外出していない。
彼は毎日、学校にもゲームセンターにも行かず、この神社にだけ来ている。
それほど特別な場所なのか?
ここは?
クスロウ様が帰ったあと、マイは本殿の辺りを一通り回ってみたが、特になにもない。普通のただの神社だった。
ではなぜ。
マイはずっと気になっていた。クスロウ様に話しかけたいと思っていた。
自分は学校で彼を助けられなかった。だから今度こそ力になりたい。
手伝いたい、と。
彼が学校に来なくなってから、もうすぐ1ヶ月が経とうとしていた。
ある日、マイは勇気を出して、木陰から出た。
「あ、ああの……」
ちょうどゴミ袋を持って帰ろうとしていたクスロウ様に、声をかける。
彼は肩を大きく跳ねさせ、ぎょっとした顔でマイを見た。
「え……?」
「く、くっ、くく、クスロウ……くん、あ……ごめんね。び、びっくりしたよ、ね」
「……誰?」
いきなり話しかけられたことに、明らかに困惑していた。
しかもマイのことは覚えていないようだ。
「あ……ええっ……と……あっ、あたしは、その、あ、あの、あのときっ」
マイは必死に話そうとしたが、緊張で言葉がつっかえてしまった。
心臓がバクバク鳴っている。破裂しそうだ。顔が熱い。
「ああのとき、と、としょ、としょか……か、あっ、じゃなくて、とっ……としょ、しっ」
「なんだよ。マジで誰?」
「……としょ……で…………」
ダメだ。やっぱり。
早く言わなきゃと思うほど言葉が出ない。涙が出そうだった。
これ以上はもう無理だ。
「と……、…………」
彼女は諦めてしまった。俯いて、声を小さくしおらせた。
「……?」
クスロウ様はいぶかしげに眉をひそめて、去っていった。
マイはしばらくその場で動けなかった。
酷い。
まともに会話することすらできないなんて。
つくづく自分が嫌になった。
そのとき、ドン!
という大きな音が聞こえた。
なにかが物凄い勢いで衝突して、破砕するような音。
「へ……?」
マイは顔を上げた。
何が起こったのか、
よくわからないまま、ふらふらした足取りで神社を出た。
その光景を目にした。
トラックが交差点の信号機に突っ込んで白煙を上げている。
横断歩道に飛び散った血。
口々に騒ぎ、指をさす通行人たち。
道路に人が倒れていた。
クスロウ様だった。
仰向けで目を開けたまま、ピクリとも動かない。
胴体が変な方向に折れ曲がっていた。
「……へ?」
なにこれ……なにこれ?
頭が真っ白になった。
気がついたら自分の部屋にいた。
カーテンを閉め電気も消した暗い部屋で、マイは閉じこもっていた。
元々休みがちだった高校は完全にいかなくなった。
食事もほとんどとらず、両親とも会話をせずに、
なぜクスロウ様が死んだのかを考えていた。
あのとき。
私が神社でクスロウを引き止めていれば、トラックに轢かれて死ぬことはなかった。
私のせいで。
クスロウ様は……
「う……ぅう……ちがうゥッ!!」
マイは布団にくるまって、不良生徒の顔を思い浮かべた。
そもそもあの人たちがクスロウ様をいじめなければ、彼は学校に行っていたのだ。
クラスのみんなもそうだ。みんなクスロウ様が苦しんでいても見て見ぬふりをしていた。
悪いのはあいつらだ。
「…………」
でも……自分も。
私も、結局なにもできなかった。彼を助けてあげられなかった。
私もあいつらと同類だ。
マイはいつもそうだった。自分は他の人とは違うと思いながらやっていることは同じだ。
その現実を突きつけられ吐きそうになった。
「…………やらなきゃ」
せめて。
クスロウ様のために、今からでもやれることを探さなければ。
でなければ、私は一生私を許せない。
マイは部屋を出た。
支度をして、高校に向かった。
時間的に下校していく生徒たちとすれ違った。
彼らが隣を通るたび、その顔を確認した。
校門に着くと、しばらくそこで待った。
あいつらが来るのを待った。
数分後、やってきた。
部活終わりの生徒たちの中に校長の息子を見つけた。
「あ~疲れたぁ、マジ練習だりぃわぁ」
上着のポケットの中で果実ナイフを握りしめた。
フードを被り、いったん素通りさせてから、後を追った。
奴は取り巻きたちと別れて、一人で住宅地に入る。
周囲に人の気配はない。
「はぁ……はぁ……」
マイは高鳴る動悸を抑え、ゆっくりと背後に近づいた。
ナイフを取り出す。
「はぁっ……はっ……」
「ん?」激しい息の音に気づいたのか、奴が振り返った。
「え?」
目が合った瞬間、マイはナイフを突き立てていた。
「は……え……ああああっ!?」
ズブ、
刃が奴の腹に刺さった。
奴は尻もちをついた。ドクドクと溢れる自分の血を見て叫んでいる。
「うわぁあああっ! 誰かああああ!!」
ナイフを取り落としたマイは、空を見上げてほっと息をついた。
「やっ……たぁ…………」
近づいてくるサイレンを聞きながら、解放と達成感に浸り続けた。




