ギギ
スラムにある小さなボロ家の一室。ギギにとっての朝は、いつも一人の少女の声にて始まっていた。
「ねえ、ギギ。起きて、朝だよっ。未来の剣聖なんだから、ちゃんと早起きしないと」
鈴の音を鳴らしたような可憐で快活な声に、誘われるように薄く目を開けると、ぼんやりとした視界の中に鮮やかな緑の髪が映る。
「わりぃ、セティ。もう少しだけ」
「もうっ‼ いっつもそう言って起きないでしょ」
「ホントにあとちょっとだから」
朝に弱いギギは、眠りの妨げになる声から逃れようと頭から毛布をかぶり身を屈める。光を妨げた暗闇の中、呆れつつも面白がるような声が頭上に響いた。
「仕方ないなあ」
それだけが聞こえると、もぞもぞと毛布に潜り込んでくる暖かな感触が背中に感じられる。いたずらっ子なセティがそういった行動にでるのは珍しくないことなので、ギギは気にすることなく微睡に身をゆだねる。どうせこの安寧もすぐさま罵声と暴力によって妨げられてしまうのだ。
数分後、ギギの予想通りけたたましく部屋に入る足音と、先ほどとはうって変わったけたたましい声が部屋に響き渡った。
「こらぁ、起きろッ‼ なんでセティまで一緒に寝てんのよっ⁉」
あと、どれだけこの圧倒的暴威に抗えるか。頭の中で計算しながら己の身を護るダンゴムシのようにギギは体を丸め――
「起きろぉ‼」
怒声と共に被っていた毛布が乱暴に剝ぎ取られる。春になったばかりの早朝はまだ肌寒く、意識をむりやりに覚醒させてくる。
「……アンナか」
「アンナか、じゃないわよ。いつまで寝てんのよ。今日はあんたが食事当番なのよ」
アンナはそう告げながら、足でギギの背中を軽く小突く。自分にとって一番身近な存在である少女に、もうすこし優しくなどは口が裂けても言えないギギは、体を起こしながらふと先ほど背中に感じた温もりを探すようにそこへ視線を向ける。
「何? まだ寝ぼけてんの」
「いや、何でもねえ。ただ夢を見てただけだ」
いまだに埋められない喪失感を胸に感じながら、それを払しょくするようにギギは立ち上がる。最近では、充実し始めた日々によって、それはようやく薄れ始めている。
「じゃあ、あたしはチビ共を起こしてくるから食事はお願いね」
「ああ」
モーラのもとで暮らしているのはギギやアンナ、そしていなくなってしまったクリスやセティだけではない。セティが成長し行動範囲が増えるにつれ、とてもスラムでは生きていけない幼子などを拾ってくるようになったのだ。忙しいモーラに世話をさせるわけにもいかず、その仕事はもっぱらギギとアンナでやることになっていた。そして、料理はアンナがもっとも苦手とするところであり、一度作るととても人が食べれるものでなくなってしまうため、ギギがもっぱらその役割を担っていた。
台所へと行くと、火打ち石で鍋に火をつけ、具材を煮込み簡単なスープを作っていく。リコという商人と深いつながりを持ったスポンサーがいるため、孤児同盟の縄張りの食料事情はスラムでもトップクラスだ。その中でも盟主として君臨するモーラは、各段贅沢をする人間ではないが配給では多少色がついている。故に料理の具材に困ることはない。こと、スラムにおいて暖かい食事を取れるというのは最高の贅沢だろう。
「うん、悪くねえ」
味見をし、その味に満足するギギ。別段料理に興味があったわけではないが、やっていくと段々とその奥深さがわかってきて最近では楽しみすら覚えるようになったギギ。この前はリコの創作料理を提供してくれるというレストランを紹介してもらい、親友のアレク一押しのハンバーグの美味さに驚愕したばかりだ。
(アレク程には感動しなかったけど、あれは美味かったなあ。今度皆に作ってやりてえな)
ハンバーグを食し、別人のように荒れ狂う親友の姿を思い出し苦笑しながら、ギギはそんなことを思う。最近では、迷宮探索とやらでアゼルたちのチームが魔物の肉などを狩ってきてくれるようになったため、食卓にも時折肉を出すことが可能になってきているのだ。
「……料理人も悪くねえかな。剣もこのくらい上手くなれればなあ」
自身の剣と料理の腕前の向上の差に、ギギは自嘲する。
「剣聖、か」
昔、孤児院で面倒を見てくれていた女性が聞かせてくれた冒険者の物語。それに憧れ、何も疑わずに剣聖になると幼少より木の枝ばかり振り回してきたギギだが、最近では才能というものを考えるようになってきていた。それは何より人の才能を見抜く天眼を持ったリコという少女の存在を知ったからだ。
リコから自身の才能について何かしら助言を受けたことはない。他の子供たちは受けているにも関わらずだ。それが意味することに、自分の頭の悪さに自信があるギギも流石に気付く。とどのつまり自分には……
――お前なら、なれるよ。
そこまで考えたとき、それを遮るように脳裏に蘇るのは兄弟のような存在であったクリスの声。アンナが絶対無理と罵倒する隣で、クリスとセティの兄妹は常に自分を信じてくれていた。それはかつては祝福のような言葉であったが、今はすこしばかり枷のように感じてきている。
「どうすっかな」
無念の死を遂げた兄妹たちに報いたいという強い想いがギギにはある。だが、自分にとって報いるというのは、剣聖を目指し成し遂げることなのか、それとも二人が大事にしていたこの居場所を護れるように強くなることであるのか。
ただ夢だけを見るだけでなく、どちらかを選ばざるを得ないときが来ている。鍋の中のスープをかき混ぜながら、ギギはそれをひしひしと感じていた。




