ウィル7
命を刈り取ろうとするハイオークの強大な一撃。だが、振り下ろされた斧が奏でたのは肉を裂く音ではなく、爆ぜるような衝撃音。
「あ……」
ウィルの眼に、見すぼらしい全身鎧を纏った大男の背中が映る。自身より一回りも二回りも巨大な魔物の斧を、先ほど拾った錆びた大楯で防ぎきっていた。間に合うような距離ではないように見えたが、しかしアゼルは全身を鎧で纏った巨躯を信じがたい速度で、敵と仲間の間に滑り込ませていたのだ。
「お、おお……」
くぐもった低い声が甲冑から漏れ出す。
「お、ああ、おあああああああああああああああっ⁉」
雄叫びと悲鳴が入り混じったような大音声。アゼルはそのまま大楯を全力で前方に突き出し、ハイオークを弾き飛ばす。どれ程の膂力なのだろうか、その巨体はまるで浮遊するかのように宙に浮き、地面に足をつけたハイオークはもんどりうって転倒する。
「アゼルさん……」
自分以上に臆病な大男が、命の危機という最大の脅威に対し臆しながらも立ち向かった。そのことに驚愕と羨望が沸き起こる。やはりアゼルは自分と違うのだろう。大切なときに動けるが故、アゼルはケイやファムという親友に慕われ、仲間からの信頼を得ているのだ。
翻って自分はどうだ。肝心な時に動けぬ人間ではないか。だからこそ守れず失う。いままでも、これからも……。
「ああああああああっ、お、お前らっ、無事かっ‼」
視線をハイオークから逸らさず掠れ上ずった声でアゼルが問う。
「ああっ、肩を撃たれちまったが動けなくはない。すまねえ」
「とりあえず助かったけど、あいつやれんのかっ‼」
ファムがケイを助け起こしながら、緊張を解かずにそう尋ねる。
「……厳しいかな。あいつら、ハイオークって言ってたからな。それがマジなら実際討伐ランクBだ。こんなところで出るモンスターじゃねえ。レアモンスターってやつだ。正直逃げられるかどうか……」
自嘲したようにケイがファムに答える。レアモンスターとは、突発的にダンジョンに湧き出る魔物のことを指す。レアモンスターはその希少度から、討伐の報酬はとても高いが現場の冒険者からしたら災厄そのものでしかない。効率的なダンジョン経営の為に明示している攻略度があてにならなくなるため、それが跋扈している内は低ランク冒険者は怖くてダンジョン探索などできない
出会うのは天災に遭ういうぐらいの確率だが、遭遇したら助かる見込みはほとんどないといっていい。冒険者ギルドは今回の遭遇で、冒険者保護のためしばらくこのダンジョンはランク制限が敷かれ、高ランクの冒険者に高額報酬を支払い、速やかにダンジョン経営が行えるように討伐を依頼するだろう。
「……そっかあ。オイラ、こういう目にだけは合わないって根拠のない自信があったんだけどなあ」
ケイの深刻な言葉に、ファムが天を仰ぐ。そして深くため息をつくと、前方のアゼルに声をかける。
「アゼルー、聞いたか―」
「……ああ」
それにアゼルは終始はしゃぎ倒す普段のアゼルとは違った、低く落ち着いた声で答える。そして、視線は再びこちらに襲い掛かろうと虎視眈々と狙っているハイオークから決して逸らさずにウィルに告げる。
「逃げろ、ウィル」
「え?」
「お前一人なら逃げられるかもしれねえ。それに、お前はリコのお眼鏡に叶ったトッププロスペクトって奴らしいからな。今、ここで逃げ延びればいつかスゲエ奴になれるだろ。死んじまったらそれも出来ねえ。だから、お前だけでも生き延びて、いつかこいつやさっきの糞野郎どもをぶっ殺してくれよ」
「そ、そんな、出来ません。それをいったらアゼルさんのほうが」
しかし、その会話は長く続けられなかった。ハイオークが割り込むように放った耳をつんざく雄叫びがダンジョン内に響き渡ったからだ。
「くっ」
「と、ととと、とにかく、お、お前は逃げ、うおおおおおおお来たぁ⁉」
どもりながらも会話を続けようとするアゼルだが、雄たけびを終えたハイオークはそれを許さず、こちらへと吶喊してきた。
「ウィル、俺たちは気にせず逃げろ」
「おおー、オイラたちも何とか逃げっから先に待ってろー」
散歩にでも行くかのように、ケイとファムも気安くそう声をかけ、前へと向き直る。
「くせえから来るんじゃねえよ、豚野郎」
ケイが撃たれた左肩を垂れさせながら、右手で杖を突きだすと、火球が杖の先より放たれる。避ける素振りもなかったため火球はハイオークの顔面に直撃する。だが、突進の速度は緩むことなく、わずかに顔面を焼け焦げさせただけであった。だが、間髪入れずその眼球目掛けてファムが投擲したナイフの刃先が迫る。
「ガウッ」
しかし、それもハイオークが口を開き牙で受け止めると、一息にかみ砕いてしまう。
「ひ、ひいいいいいいいいいいいい」
それを見たアゼルが悲鳴を上げる。竦みあがっているが、その足は大きく開かれ、あくまで後ろの仲間たちの元へは行かせまいとしていた。
「ひぎぃ⁉」
大きく弧を描いた戦斧が、アゼルを襲う。アゼルは先ほどと同様、錆びた大楯でそれを防ぐ。しかし、今度は敵もアゼルの力量を掴んだのか威力を底上げしてきていたらしい。受け止めたアゼルの足がたたらを踏む。
追撃をしようとしたハイオークだが、今度は頭上より落ちた氷柱をくらい攻撃を中断する。ケイがそれを防ぐために再度魔法を放ったのだ。それに憤ったハイオークは標的をケイへと変更するが、その後頭部に今度は投石がぶつかる。こっそり背後に回り込んだファムによるものであった。
「グルアアアアアアアアアアアッ‼」
おちょくるかのごときその挑発に、ハイオークは怒りの咆哮を放った。
その攻防を、ウィルはじっと見据えていた。ハイオークの能力はランク指定にそぐう大したものであったが、守備に徹したアゼルを打ち崩すほどのものではないように見える。わずかな攻防で三人は既に肩で大きく息をし始め、一身に攻撃を受けたアゼルの大楯はひしゃげ、鎧は衝撃でほころび始めている。ウィルは冷静に長くはもたないと判断した。
(彼らの頑張りを無駄にしないためにも、すぐ逃げないと。僕にはアゼルさんが言ったように輝かしい未来があるんだから。あのときだってそう。あの人が守ってくれたから今の僕がある)
幼いころ母を殺され娼館より逃げ出した自分が、今己にそう囁いてくる。確かに今、自分がこうして物を考えられているのは、あの雑役夫の青年のおかげだろう。死んでしまったらそこで終わってしまう。全滅より一人でも生き延びたほうが効率的だろう。それになんといってもアゼル本人からお墨付きをもらっている。
(そう。そして生き延びた君は辛い過去をいづれ乗り越え、押しも押されぬ孤児同盟の中心だ。なんたって天眼の聖女様直々に見出された突出した才能の持ち主なんだから。今は耐え忍ぶときなんだよ)
そう、理由なんてものはいくらでもつけれるのだ。ただ、悩んでいたのは自分への言い訳。本当のウィルという少年は、ただ自分が傷つきたくないだけで善性を理由にして保身を図っていたにすぎない。天涯孤独になった後ひたすら俯いていたのも、セティの死後ひたすら部屋に籠ったのもただ悲しんだというだけではなく、自分を慰めるためであったのだ。
(打算的だね)
「うん、そうだ。僕は元来そういう人間だったんだ」
格好つけてたということも出来るだろう。非日常的なことが続き、それに酔っていた部分もある。今も、この状況を悲劇の過去に変えて逃げ出してもいいんじゃないかと考えている自分が、確かに己の内にいるのだ。
「酷いやつだな、僕は」
(でも、仕方ないんじゃないか。僕は子供で弱かったから)
「でも、今は違うよ」
体こそ育ち切ってはいないが、働いて己の生計を立てていてもおかしくない年齢だ。特にスラムの子供たちはそうしなければ生きていけない。それに孤児同盟の皆は境遇を言い訳にせず、自分の足でしっかりと立っている。自分もそんな空気に憧れて、そうなりたいと望んだ筈だ。
「心と体の距離、か」
なんだかんだいって、いつか自分は勇ましく覚醒できると思い込んでいたのだ。そして、弱さから目を背けるため、その未来を盲信し現実から逃げていた。今、こうして命の危機にさらされて、ようやく自分の弱さと向き合えたとウィルは実感していた。
(いいの、逃げなくて? ここで死んじゃうかもしれないよ)
「かもしれない。でも、僕がいまここで逃げたらアゼルさんたちが死んじゃうから」
戦況は膠着しているが、すぐにでもそれは崩れてしまうだろう。そうなったら三人の命は確実に消えてしまう。
(僕が戦っても勝てるとは限らないよ)
「かもしれない。でも、ここで逃げたら一生後悔するから」
後悔するだけでない。戦うと決めた覚悟も誇りも、もう二度と取り戻すことが出来なくなるだろう。戦い傷つくのは怖いが、今のウィルにとってはそのほうが恐ろしいと感じられた。
(……動けるの)
最後に問う幼き自分の声は掠れていた。そっと目を閉じると、脳裏には顔をくしゃくしゃに歪めた自分がいた。泣きそうで泣けない、そんな無様な姿はちょうど今目の前で戦っている大男の有様によく似ていた。
「大丈夫。なぜなら今僕は……」
そっと目を開けると、もう声は聞こえなくなっていた。意識はかつてなくクリアになり、感覚はどこまでも研ぎ澄まされている。前を向くと、どこまでも開けた視界の中ボロボロになりながら藻掻いているアゼルの姿があった。恐れながらむ立ち向かう姿を今は嫉むことなく、素直に憧憬できる。
背中の矢筒に手を伸ばし、弓を番える。自作した弓はまるで血管が通ったごとく掌に吸いつき、弓を番えた指先には一遍の迷いもない。その感覚は覚醒などではなく、元来ウィルが持っていた天賦の才による実力のものである。
「猛烈に感動してるから」
ウィルは微笑みかつての自分にそう呟くと、あやすように優しく指を放した。




