「君がくれた栗だと思ふとうまいよ」 先生 ver.
前回の「君がくれた栗だと思ふとうまいよ」の、先生視点の話です。
前回の平間ちゃん視点の話を読んでからの方が、胸キュン度が少しUPするかと。
平間が、怖い。
いくら俺が教師の態度を貫こうとしても、懲りずに近付いてこようとする。
時にいなして、時に突っぱねて、それでもあきらめないなと思っているうちに、平間のことをよく見るようになっていた。
もちろん、教師と生徒以上の関係になるつもりはない。
だけど、真っ直ぐな好意を向けられて長い間懐かれれば、誰だって悪い気はしない。
それでも、つい気が緩んで優しい表情を見せたりすれば、途端に平間の表情が輝くから。
まずいと思って素っ気なくしては、やりすぎたかと思って反省し、甘やかしてしまったら、また突き放して。
それを繰り返し、自分の言動に対する平間の一挙手一投足を目の当たりにしているうちに、次第にその反応を見るのが楽しくなっている自分に気が付いた。
おいおいおいと、自分に突っこむことが増えてきて、そろそろ本当にやばいなと、思い始めている。
* * *
日直の号令で授業が終わった瞬間、平間がこちらに来るのが見えた。
教卓に辿り着いて教科書を広げると、応用問題を指差す。
「先生、ここ教えて」
「またか平間」
「またかって何」
「俺は、お前1人の先生じゃないんだよね」
「そんなのわかってるよ。でも、先生に教えてほしいんだもん」
「お前が始終ひっついてたら、他の聞きたいことあるやつが聞きに来れないだろ」
「でも、あたしだって聞きたいのに」
「平間は多すぎ。聞きに来るのは、3回に1回にしなさい」
「えー?」
不服そうに唇を尖らせるが、譲るつもりはなかった。
勉強熱心はいいことだが、平間の場合、純粋にそれだけが理由ではない。
これまではっきりと具体的な言葉を向けられたことはないが、全身から「好きです」オーラが出ているのだ。
本人は抑えてるつもりなのかもしれないが、一回りも人生経験が違えば、さすがにわかる。
俺は教科書を揃えると、小脇に抱えた。
しかし離れようとすると、つんと後ろに引っ張られた。
見ると、平間にシャツを掴まれている。
勘弁してくれ。
「先生は教えるのが仕事でしょ?」
「生徒に自分で考えさせることも仕事なんだなこれが」
「考えてもわかんなかったの」
「じゃあ、もう少し考えなさい」
平間の額を、軽く指で弾く。
「ぃてっ」と目をつむった平間がシャツを放したその隙に、教室を出た。
廊下を歩きながら考える。
今のデコピンは、果たして正解だったのか、間違いだったのか。
懐いてくる平間に、近頃は距離のとり方もわからなくなっていた。
* * *
「そういえば平間、朝言ってたとこ、わかったのか?」
ふと思い出して、掃除用具を片付けている平間に声をかけた。
ことあるごとに聞きに来るのも困るが、本当にわからないのに教えてやらないのも問題だ。
「わかんないよ。先生が教えてくれないんだから」
少しは自分で考えたのかと思いながらも、小さくため息をついた。
平間が勉強を頑張っているのは嘘ではない。少しずつだが、テストの点数は上がっている。
「どこがわかんないんだ?」
「教えてくれるの?」
「途中までならな」
隣の先生の椅子を借り、平間を呼ぶと途端に表情が明るくなった。
またこれが、嬉しそうな顔するんだよな。
駄目だと思いつつも、それを可愛いと思ってしまう自分がいる。
参考書やプリントの山から、2年の教科書を探すと座った平間に手渡した。
平間が指差した問題を見て、いらなくなったプリントの裏に、図形を写していく。
解説を始めると、一応神妙に聞いている。
「……だから、こっからはどの公式使えばいいか、わかるだろ?」
「え? うーん……」
「聞いてたのか?」
「聞いてたよ。待って、考えるから」
ペンを渡し、紙を自分のほうへ引き寄せて問題に取りかかる平間を待つ。
平間は、化粧っ気のない女子だった。
柔らかそうな頬に、睫毛がすっと伸びている。
ふっくらとした下唇だけは、リップを塗っているのか少し艶があった。
何でこいつは、俺なんかに懐いているんだろう。
周りにも、腐るほど男子はいるだろうに。
俺だって同い年なら……って、おいおいおい、ちょっと待て。
自分で突っこんだところで、平間が顔を上げた。
「これで合ってる?」
それまでの思考を頭の外に追いやり、紙に書かれた式と答えをざっと見る。
正解を告げると、平間がぱっと笑顔になった。
最近は、その笑顔が眩しい。
若さに対して感じる眩しさだけじゃない。
何だかこう、胸を掴まれるような――。
辿り着きそうになった答えに踏み込む前に、思考を停めた。
慌ただしく、教科書を閉じる。
「じゃあ、お疲れさん。気をつけて帰れよ」
「えー?」
「俺だって仕事があるんだからな」
それは事実なのだが、何だか下手な言い訳のようだった。
それ以上の会話を遮断するように、机に向き直り、プリントの束を引き寄せる。
「またわかんないとこあったら、聞きに来てもいい?」
「3回に1回ならな」
「……」
「むくれても駄目」
きっぱり言うと、平間が視線を落とした。
まだ、「何で何で」と、食いつかれたほうがましだ。
落ち込まれると、どうしたらいいかわからない。
優しくしすぎてもだめ、冷たくしすぎてもだめ。
でも、ちょうどいい加減がわからない。
小さくため息をつくと、椅子を回転させて平間の方を向いた。
俯いた頭に、ぽんと手を置く。
「最近頑張ってることは認めるよ。テストもよくなってたし。そこは感心してるから」
平間が俯いていた顔を上げた。
本当だと安心させるようにかすかに笑うと、すぐに手を離した。
「ちゃんと復習しろよ」
体の向きを戻すと、赤ペンを取って小テストの丸付けを始めた。
これくらいなら、別にいいだろう。
勉強してることを褒めただけだ。
ただの教師が、生徒にかける普通の言葉だ。
平間は小さく「はい」と頷いた。
その表情はもう見ていなかったけど、声の調子はそう暗くなかったから、少しは持ち直してくれただろう。
それ以上ごねることもなく平間が出て行った後の準備室で、俺は1人、ほっとため息をついた。
* * *
昼休み、学食から帰ってくると、平間が準備室のドアの前に立っていた。
その姿を見て、そういえば朝何か持ってくると言っていたなと思い出す。確か、調理実習がどうとか言っていた。
「どうした?」
「あ、先生」
振り向いた平間の手には、やはりお菓子があった。
「それ、朝言ってたやつ?」
「え…いや……うん」
「どっち?」
「あの、持ってきたけど……でも、ちょっと失敗しちゃって…あっ」
珍しくもじもじしている平間からお菓子の袋を取り上げる。マフィンだった。
けれど別に、失敗しているようには見えない。
「そんなに悪くは見えないけど。でもちょうどよかった。今日の学食、ちょっと足りなかったんだよな」
ラーメンとおにぎりにしたのだが、ラーメンを大盛りにしておけばよかったと後悔していたところだ。
ドアを開け中に入ると、平間もついて入ってきた。
椅子に腰掛けると、立ったままの平間に一応尋ねる。
「食べてもいいんだよな?」
「いいけど、でも……おいしくないかも」
やけに自信がなさそうだ。
確かに見た目は店で売っているようなものではないが、手作りなのだから当たり前だろう。
袋を開けて最初の一口を食べる。
ちゃんと火は通っているし、砂糖と塩を間違えてもなさそうだ。
見た目どおり、それ以上でも以下でもない、普通においしいマフィンだった。
「うん、うまいよ」
「うそ」
少し驚いたような平間に、「いや、ほんとに」と返す。
二口目を運ぶと、またしばらく沈黙が降りる。
今日の平間は大人しい。
そんなに出来に自信がなかったのだろうか。
仮にも授業で作れるものなんだから、そうそう失敗するものでもないだろう。
ちらり平間を見ると、俺の感想が信じられないのか、まだどこか落ち着かな気だった。
それがなんだか、おかしくて。
「お前、そんな不安がるようなもの、俺に食わせてるの?」
「そういうわけじゃないけど…」
「大丈夫だって」
口の端についていた食べかすを舌で舐めると、それを飲み込んで、言った。
「平間が作ってくれたものだと思うと、うまいよ」
何気なく出た言葉だった。
不安そうな平間を、安心させてやろうと。
「……ほんとに?」
「うん」
しかし頷いてから、はっとした。
何だ――今の言葉は。
今のは、まずいんじゃないか。
取り方によっては、というかどう取っても、「お前がくれたからうまい」と、そういう意味にならないか。
横目でちらりと見ると、案の定、それまで暗かった平間の表情が、その目が、きらきら輝きだしていた。
これはまずい。
慌てて頭を回転させながら、まずは落ち着こうと無駄にパラフィン紙を剥がす。
「ほら、誰かが自分のために作ってくれたものは、何だってうまいだろ」
「え…」
「それに去年のバレンタインに持ってきたものと比べたらな。これでも平間が作ったものだと思えば、うまいほうだろ」
「……」
見開かれた平間の目が、徐々に元の大きさに戻っていった。
――危なかった。
ダメ押しでバレンタインのことを持ち出したのはちょっと心が痛んだが、仕方がない。
平間が1年の時に、半ば押し付けられたバレンタインのチョコは、固すぎた上にトッピングが斬新で、正直うまいとは思えない代物だった。
平間は明らかに肩を落としている。
こいつはどうしてこう、駄々漏れなんだろう。
時々わざとかと思うほどだが、本人は無意識らしいから困ったものだ。
しかし今回の原因は、間違いなくこっちが作り出してしまったものだから痛い。
何の考えもなしに、あんなことを口走るなんて。
考えずに出たということは、もしかしてあれこそ自分の……。
おいおい。
おいおいおい。
待て。
マフィンを食べ終えて手を拭くと、それまで考えていたことを振り払うように、立ち上がって窓際の棚の引き戸を空けた。
「…何してるの?」
「んー? ちょっと探して……あーあった、ほら」
そこにあったのど飴をひとつ、平間の手に落とす。
「やる」
「…いいの?」
「お礼だ」
と同時にお詫びだ。
と言っても、これは志村先生が買い置きしている飴だけど。
喋りすぎるとすぐ喉が枯れるらしく、授業の合間や乾燥しがちな時期によく舐めていて、たまに自分ももらうのだ。
これくらいなら、別にあげても問題ないだろう。
そして早く、この準備室から出ていってもらおう。
けれどその目論みもむなしく、平間の顔は、どんどん柔らかくなって。
「ありがと」
まるでとても大事なもののように、飴を握った手を胸に引き寄せると、微笑んだ。
不覚にもまた、胸が騒ぐ。
「そんなに喜ぶことか?」
「だって、嬉しいもん」
「ただの飴だぞ? しかもそれ、志村先生の買い置き」
何でもないアピールをするが、ほとんど平間には聞こえていないようだった。
「嬉しいよ」と、もう一度言う。
「先生がくれるものは、なんだって嬉しい」
「……」
その言葉が、微笑みが、また胸を揺さぶる。
まるで、さっき俺が言ったことの、繰り返し。
けれどまったく、嫌味はなくて。真っ直ぐで。
これはもう本格的に、やばいかもしれない。
「大事にするね」
「たかが飴だぞ」
「うん」
「大事にしなくていいから、早く食べろ」
「うん」
頷いてはいるけど、とてもそうするとは思えない顔だ。
しまったな、と思う。
「もう教室帰れ。昼休み終わるぞ」
「うん」
この場を切り上げようと、わざと時計を見て平間を追い立てるが、平間の顔は嬉しそうなままだ。
「早く食べろよ」
「ふふ」
「ふふ、じゃない」
「ふふ……じゃあまたね」
平間がやって来た時とは違う、軽い足取りで準備室を出て行く。
そのドアが閉まったのを見届けて、ずるずると椅子に沈み込んだ。
『平間が作ってくれたものだと思うと、うまいよ』
結局あれは、自分の本心なのだろう。
なびくまいと思ったのに。
教師と生徒の関係を、超えるつもりなどなかったのに。
あいつが悪い、と。
思いかけてとどまる。
ため息をついた。
今日は平間のクラスの授業はないけど、放課後になったら、掃除がある。
これからもあの調子で懐かれたら、俺はこの先、我慢できるんだろうか。
しなきゃいけないとわかってはいるけど、自覚してしまった今、それもいつまでもつのかわからない。
「しっかりしろよ、俺……」
本当に。
大きく息を吐いたところで、昼休みを終えるチャイムが鳴った。
* * *
平間が、怖い。
あれからますます、平間の笑顔は輝いて見えて。
それはたぶん、平間のせいじゃない。
自分の気持ちが変わったせいだ。
笑顔だけじゃなく、落ち込んだ顔や、不満げな顔や、何気ない横顔まで、平間の表情にどんどん、引き込まれていく。
それは困ったことだけど、不快ではなくて。
でも、だからこそ、困っていて。
年甲斐もなく胸が騒ぐ自分に、あと何度突っこみを入れればいいのか途方に暮れている。




