「君がくれた栗だと思ふとうまいよ」
先生は、ずるい。
いくらあたしが頑張っても、いつも知らんぷりで、先生の態度を崩してくれない。
押したらかわされて、引いたら放置されて、これまでうまくいったことなんて何にもない。
生徒としてしか見てないことはわかってる。
だって先生だから。
それでも歯がゆくて、悲しくて、たまに落ち込んだりもして。
それなのに、先生は笑うから。
ふいをついて、優しさを見せるから。
あたしは、先生のことをますます好きになって、一喜一憂を繰り返す。
* * *
日直の号令で授業が終わった瞬間、席を立って教卓に駆け寄った。
「先生、ここ教えて」
「またか平間」
「またかって何」
「俺は、お前1人の先生じゃないんだよね」
「そんなのわかってるよ。でも、先生に教えてほしいんだもん」
「お前が始終ひっついてたら、他の聞きたいことあるやつが聞きに来れないだろ」
「でも、あたしだって聞きたいのに」
「平間は多すぎ。聞きに来るのは、3回に1回にしなさい」
「えー?」
唇を尖らせても、先生の考えは変わらなかった。
教科書を揃えて、小脇に抱える。
教卓から離れようとした先生のシャツの裾を掴む。
「先生は教えるのが仕事でしょ?」
「生徒に自分で考えさせることも仕事なんだなこれが」
「考えてもわかんなかったの」
「じゃあ、もう少し考えなさい」
「ぃてっ」
デコピンをされて、掴んでいたシャツを放すと、先生はさっさと教室を出て行った。
全然、思い通りにならない。
けれどそのデコピンですら、嬉しくて。
先生の指が弾いた額を触ると、「へへ」と頬が緩んだ。
* * *
今週は先生のいる数学準備室の掃除当番だった。
掃除はめんどくさいけど、先生に会えるなら話は別だ。
しかも今日は、他の先生は部活や会議で、掃除が終わる頃には準備室には先生1人しかいなくなっていた。
少しでも長く準備室にいようと、他の子の掃除用具も引き受けて片付けていると、珍しく先生から声をかけてきた。
「そういえば平間、朝言ってたとこ、わかったのか?」
「わかんないよ。先生が教えてくれないんだから」
掃除用具入れの扉を閉めると、先生が小さくため息をついた。
「どこがわかんないんだ?」
「教えてくれるの?」
「途中までならな」
「こっち座れ」と先生が、隣の先生の椅子を自分の隣に引き寄せる。
願ってもない申し出に、胸が弾んだ。
スキップしたいのをこらえて机を回ると、用意された椅子に腰を下ろした。
先生が教科書やプリントが山積みになった机から、2年の教科書を発掘して、手渡してきた。
わからなかった場所を開き指差すと、「あーこれは…」と何かのプリントを裏紙にして、教科書にある図形を簡単に写していく。
線を書き加えながら、解説を始める。
その落ち着いた声が好きだった。長い指が好きだった。
こちらに向けられた横顔に、その頬に、触れてみたくて。
うずうずする手を、膝の上で握る。
「……ってことだから、こっからはどの公式使えばいいか、わかるだろ?」
「え? うーん……」
「聞いてたのか?」
「聞いてたよ。待って、考えるから」
半分は先生自身に意識が向いて上の空だったが、頭を切り替える。
こうして先生にわからないところを聞くのは、もちろん先生をわずらわせるためじゃない。
少しでもそばにいたいのは、もちろんあるけど。
点数を少しでも上げて、褒めてほしかった。
先生の授業が好きだってことを、知ってほしかった。
先生からペンを借り、紙を自分のほうへ引き寄せてどうにか問題を解くと、先生を見上げた。
「これで合ってる?」
「正解」
「やったあ」
「じゃあ、お疲れさん。気をつけて帰れよ」
早々に先生が教科書を閉じ、2人の時間を切り上げる。
「えー?」
「俺だって仕事があるんだからな」
先生が机に向き直り、プリントの束を引き寄せた。
答え合わせでもするのだろう。
先生とは少しでも一緒にいたいけど、仕事の邪魔がしたいわけじゃない。
「またわかんないとこあったら、聞きに来てもいい?」
「3回に1回ならな」
「……」
「むくれても駄目」
容赦ない言葉に、視線を落とす。
こういう時、やっぱり先生は先生なんだなと思い知らされる。
あたしはただの生徒なんだなと。
小さくため息をつくと、きい、と椅子が鳴った。
自分のじゃない。先生のだ。
俯いていた視界に、先生の膝が入る。
すると、頭にぽんと、手が置かれた。
「最近頑張ってることは認めるよ。テストもよくなってたし。そこは感心してるから」
ぱっと顔を上げると、先生の体がこちらを向いていた。
その目が、わずかに細められる。
優しい目。
心があったかくなると同時に、あたしをドキドキさせる目。
けれど頭に乗せられた手は、すぐに離れてしまった。
「ちゃんと復習しろよ」
椅子を回転させて体の向きを戻すと、先生は赤ペンを取った。
ノックして芯を出すと、目下のプリントに取りかかり始める。
その横顔に、さっきの笑顔はない。
もういつもの、先生の顔だ。
ほら、また――。
だから先生は、ずるいのだ。
「はい」と小さく返事をすると、準備室を後にした。
* * *
昼休み。
袋に入れたマフィンを持って準備室の前に立ち、あたしは珍しくノックするのを躊躇っていた。
マフィンは、今日の家庭科の調理実習で作ったもの。
でも、表面には焼きムラがあって、形も少しいびつだった。
味はまずくはなかったけど、おいしいかと聞かれると微妙だった。
つまり、普通だ。
でも、朝一番で先生に会った時、今日は調理実習があるから持って行くねと言ってしまったのだ。
「どうした?」
「あ、先生」
声をかけられて振り向くと、先生だった。
今日は学食にでも行っていたのか、今戻ってきたようだ。
あたしが持っていたマフィンの袋に目を落とす。
「それ、朝言ってたやつ?」
「え…いや……うん」
「どっち?」
「あの、持ってきたけど……でも、ちょっと失敗しちゃって…あっ」
もじもじしていると、先生があたしの手からマフィンの袋を取り上げた。
袋を傾け左右から見ると、小さく首を捻った。
「そんなに悪くは見えないけど。にしてもちょうどよかった。今日の学食、ちょっと足りなかったんだよな」
準備室のドアを開け、中に入る先生について行く。
先生が財布を机に置き、椅子に腰掛けた。
「食べてもいいんだよな?」
「いいけど、でも……おいしくないかも」
先生を前にすると、急に自信がなくなってきた。
元々、料理は得意なほうではないのだ。
けれどそんな不安もよそに、先生はさっさと袋を開けてかじりついてしまった。
しばらく咀嚼してから言う。
「うん、うまいよ」
「うそ」
「いや、ほんとに」
二口目を運び、またしばらく沈黙が降りる。
口を動かす先生に、そこまで表情の変化はない。
おいしければもっとおいしそうな顔をするだろうし、まずければ少しくらい眉を顰めるだろう。
でも、それもない。
それもそうだ、だって見た目不格好の、味は普通のマフィンなんだから。
たぶん、お世辞を言ってくれたんだろう。
口の端にマフィンの食べかすをつけた先生が、ちらりとこちらを見た。
「お前、そんな不安がるようなもの、俺に食わせてるの?」
「そういうわけじゃないけど…」
「大丈夫だって」
先生は、口の端についていた食べかすを舌で取った。
そして、食べかけのマフィンを見ながら、言った。
「平間が作ってくれたものだと思うと、うまいよ」
一瞬、どきんとした。
――それって。
それって、どういう意味だろう。
「……ほんとに?」
「うん」
はやる気持ちを抑える。
今のはつまり、あたしが作ったから、あたしがあげたから、おいしいってことだろうか。
それともそう考えるのは、ただの勘違い?
でも――。
先生はパラフィン紙を剥がしながら、続けた。
「誰かが自分のために作ってくれたものは、何だってうまいだろ」
「え…」
「それに去年のバレンタインに持ってきたものと比べたらな。これでも平間が作ったものだと思えば、うまいほうだろ」
「……」
高鳴っていた胸が、瞬時に落ち着きを取り戻す。
そういうことか。
つまり、先生のために作ってるなら、誰が作ったものでもおいしく感じるってことだ。
さらに今回は、あたしが作ったものにしては、おいしかったってことだ。
肩を落とすあたしを前に、先生はマフィンをぺろりと平らげる。
食べてくれたことは嬉しいけど、正直複雑だ。
ティッシュで指先を拭いて、先生は立ち上がると窓際の棚へ近付く。
引き戸を空けて、中を探っている。
「…何してるの?」
「んー? ちょっと探して……あーあった、ほら」
戻ってきた先生の手が、何かを握っていた。
受け取るように両手を出すと、先生がぱっと手を開いた。
落ちてきたのは、個包装の飴だった。
「やる」
「…いいの?」
「お礼だ」
手のひらに転がる黄色い袋には、はちみつのど飴と書いてあった。
ただの飴だ。
何の変哲もない、どこにでも売っている飴。
それでも。
小さな袋を、そっと握った。
「ありがと」
嬉しかった。
その気持ちは、じわじわと広がってくる。
握った手を胸に当てると、思わず頬が緩んでしまった。
「そんなに喜ぶことか?」
「だって、嬉しいもん」
お礼がもらえるなんて、思っていなかった。
「ただの飴だぞ? しかもそれ、志村先生の買い置き」
それでも。
「嬉しいよ」
「ふうん?」
「先生がくれるものは、なんだって嬉しい」
「……」
手を開いて、袋に少し皺が入ってしまった飴をもう一度見る。
先生から何かをもらったのなんて初めてだ。
1年のバレンタインデーにはお菓子をあげたけど、お返しなんてなかった。
今日だって、もらえるなんて思っていなかった。
それだからなおさら。
「大事にするね」
「たかが飴だぞ」
「うん」
「大事にしなくていいから、早く食べろ」
「うん」
頷いたけど、きっと、もったいなくて食べられない。
だって、先生からもらった初めてのものだから。
余韻に浸っていると、先生が時計を見て言った。
「もう教室帰れ。昼休み終わるぞ」
「うん」
「早く食べろよ」
「ふふ」
「ふふ、じゃない」
「ふふ……じゃあまたね」
今日は先生の授業はないけど、放課後になったら、準備室の掃除がある。
いつもなら、去り難くなるものだけど。
今は手の中に、先生からもらった飴がある。
放課後になったら、また先生に会える。
『平間が作ってくれたものだと思うと、うまいよ』
その言葉の意味は結局、自分が期待していたものではなかったけど。
いつかまた、聞きたいなと思った。
その時は、本当に先生がおいしいと思うものを作って。
手の中の飴をしっかり握ると、あたしは軽い足取りで準備室を後にした。
* * *
先生は、ずるい。
その気にさせておいて、すぐに突き放すから。
突き放したと思ったら、また優しくするから。
その繰り返し。
だからあたしはこれからも、もっともっと、先生を好きになる。
この短編(妄想)は何から生まれたのかと言うと、正岡子規の言葉です。
病床にある子規が、弟子の長塚節から栗をもらった時に、お礼の手紙に書いた言葉だそうです。
「君がくれた栗だと思ふとうまいよ」
何だこの言葉……!
ドストレートに胸を打ち抜かれました。
こんなこと言われたら惚れてしまう!
子規かっこいいな!
というわけで、この言葉を使ったものを書きたいなと思って。
多少変えはしましたが。
いかがだったでしょう?
明日は同じ場面の、先生視点の話を上げますので、よかったらそちらもぜひ。




