東北攻め3
会津が抵抗なく落ちたことは、東北の諸大名に衝撃を与えた。
しかも義教の兵が二手にわかれて奥州、羽州を攻めると知り、ますます恐慌状態に陥った。
諸大名は、単独では兵が集まらないことから、三戸の南部家に兵を集め、決戦を行うことにした。
その間に義教は、二手に分けた兵で、石巻、磐城、十三湊、伊達郡、陸奥国、出羽国を平らげてしまい、一気に三戸までと進出した。
義教軍は8万。東北の兵はかき集めるだけかき集め2万であった。
東北諸侯は、地の利を活かすつもりであったが、4倍の兵力に太刀打ちするには、数が少なすぎた。
「我が方は少なすぎる。いかにする?
会津のように戦わずして降伏するか…」
「雪深い、冬ならば勝機もあるが、今は夏だ。
しかも兵は無理矢理かき集めた民達、厭戦気分が漂っている。これでは戦っても勝ち目はない。」
弱気な発言が多い中で伊達持宗は一人気を吐いていた。
「皆、弱気でどうする。ならば、吾一人でも打って出る。」
持宗は、2万の兵を率いて義教軍へと突っ込んで行った。
結果は散々な者であった。
持宗は、戦さの中で討ち死にし、兵も多大な損害を出した。
残りの東北諸侯は、そのさまを目にし、降伏を決意した。
義教の陣に赴いた、大崎、最上、安東、南部、相馬、葛西の諸侯に対し、義教は降伏を受け入れた。
「皆、殊勝である。これを持って日の本は一つとなった。尚、諸侯の仕置は都にて行う。
諸侯だけでは、日の本の大名、皆を集めるから、そこに集まるように…」
かくして、義教の日の本の統一はなったが、義教にとってはこれからが、正念場であった。




