四国攻め3
土佐は本山、吉良、安芸、津野、香宗我部、大平、長曾我部の土豪達が寄せ集まって義教方を迎え撃つ準備を進めていた。
彼らの元へは伊予、香川、阿波が既に義教方に落ちたとの知らせは届いていた。
ただ、彼らには重大な弱点があった。
同じ勢力の土豪達の寄せ集めであった為、盟主となるものがいなかったのである。
彼らの軍議の席でも、各々が自分勝手な事を言う為、伊予からくる方か阿波からくる方どちらかに力を入れるのか絞りきれないまま、無為に軍議ばかりが続いていた。
そうしている内に伊予からの、能島村上氏と毛利備中守煕元、吉川駿河守経信の兵と、阿波からの小早川備後守煕平、三好式部少輔長之、遊佐河内守国助は、土佐を次々に侵略。
追い詰められた彼らはようやく兵を二つに分けて伊予攻略軍、阿波攻略軍とにぶつかることになった。
決戦は長曾我部家の本拠地岡豊城に近い場所で行われたが、土佐混成軍は指揮系統が一本化出来ておらず、土豪達が個々に義教軍にぶつかることになり、逐次兵力投入、各個撃破という戦術上最悪の形をとることになり、土佐の抵抗勢力は僅か半日にして、壊滅することになった。
毛利煕元は、
「あまりに呆気なかったな。今までの苦労はなんだったのか?」
と呟いた。
それだけ義教は強くなっていたのであった。
ともあれ、四国は義教の支配下に完全に入ることになった。




