大内滅亡
山陰道を押さえた、毛利備中守煕元、吉川駿河守経信の二人は、山陽道を進撃し、大内教弘の本拠地 山口へ一気に進撃を開始した。
すでに、海上から小早川水軍の攻撃が始まっており、教弘はそちらの対応に追われて背後からの敵に気づいていなかった。
本来なら国衆が知らせるところであったが、国衆は、義教派になっており、教弘は孤立していたのであった。
小早川水軍に対応中の教弘の元に重臣の陶盛政が慌てた様子で駆けつけた。
「申し上げます。山陽道から見慣れぬ大軍が押し寄せて参ります。もしや、御所様方の毛利、吉川ではないかと。」
「なに!まずいな。すでに我が兵は小早川の対応に追われている。」
その時、もう一人の重臣、内藤盛世が駆けつけてきた。
「申し上げます。御所様方の三好式部少輔長之と遊佐河内守国助が攻めて参りました。」
大内教弘は、その知らせに完全に戦意を喪失していくのを感じた。
「教幸と争っている間に御所様に付け入られてしまった。こうなれば、山口を捨ててどこかに落ち延びるしかあるまい。」
陶、内藤の二人は無言で頷いた。
「お屋形様、落ち延びると言っても、国衆はもはや大内家から離れているようです。
安芸の武田家も国衆の叛乱で打たれたとのこと。もはやお覚悟を。」
「おまえ達まで吾を見捨てるか…」
「ごめん!」
陶盛政が、大内教弘のわき腹をいきなり刺した。教弘は有無を言わさず絶命した。
毛利、吉川軍が山口にたどり着いた頃、陶盛政と内藤盛世の二人が、大内教弘の首を手土産に降伏してきた。
しかし、二人は、最後に主君を裏切った不忠から毛利煕元から許しを得られず、囚われて処刑された。
かくして、山口陥落と大内家の滅亡により、西国を攻めていた義教軍は山陰、山陽、北九州の一部を手中にするにし、その支配下新しき政を展開しつつ、四国、九州攻めの準備に入ることとなった。




