表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪御所奮戦記  作者: ヒデオ
63/104

西の動き

義教が関東を平定している間、西の方は全く動いてない訳ではなかった。

九州、四国はそれぞれが独立した動きを見せた為、西の遠征軍は四国攻略を後回しにして、播磨を抑えた後、山陰、山陽を抑えることを優先した。

最大の敵は大内氏であったが、家督争いの激化で国衆の心は離れていた。

毛利備中守煕元、吉川駿河守経信の二人は、播磨で従えた浦上信濃守則永を先陣にまず山陰道の国衆を味方につける事を成功していた。

海では、三好式部少輔長之と遊佐河内守国助が沼田、竹原小早川家の合一に成功しており、山陰道と海上から、大内家の包囲網が完成していた。

このような状況になっても大内家は家督を継ぐ者が1本化出来ずにいた。

大内氏は教幸と教弘の兄弟間での争いが膠着状態であった。教弘の方がやや優勢であったが決定的ではなかったのである。

教幸は、大内家の本拠地、山口を離れて石見国へ逃れ、再起を図ろうと目論んでいたが、すでに義教勢の勢いが山陰道を抑えていることを知り、路頭に迷ってしまった。

「しまった、石見を抑えるのが遅すぎた。」

教幸勢は、大内勢の三分の一の兵を率いていたが、大半が国衆達であり、石見国が抑えられてることを知り厭戦気分が蔓延し始めていた。

そこへ、楠木党が使者として巧みに入りこみ、義教方に着くように説得した。

国衆達は義教方に味方に着く約定を交わし、国元へ引き上げ始めた。

「おい、国衆達は何故引き上げる。」

「分かりません。」

教幸主従が右往左往している内に、浦上信濃守の兵が攻めて来た。

臨戦体制の整っていない教幸勢はあっという間に打ち破られ、教幸は混乱の中で討ち死にした。

この時、引き上げた国衆達は、次の大内家の留めを指すのに、非常に有効なものになることは、討ち死にした教幸はもちろん、山口にいる教弘もこの時は知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ