越前攻略2
甲斐常治の陣中に朝倉教景自ら乗り込んできたため、さすがの常治も面食らっていた。
「御主、若狭にいるのではなかったのか?」
「美濃守、そんなことより、再三再四、吾が御所様の意を伝えたのに乗らなかったのは何故か?」
「あゝ、あのような戯言、信じられるか!」
「吾をみよ。今や御所様の直臣だぞ。それでも信じられぬか?哀れな奴め。」
「では聞くが、御主は若狭の国の守護か?
そんな話しは聞いてはいないぞ。」
「御主は、まだそんなことを言っているのか。
もはや守護や守護代など言っている時ではない。実力があるものが政に携わることが必要なのだ。」
「吾にはそこがわからん。孫右衛門尉、わかるように話してくれ。」
「かつての、武士は、土地の民を守るもの達であった。公家は土地を守る政を行わなくなり、武士に肩代わりさせた。
源氏の棟梁であった源頼朝公は、それを鎌倉で武家と民の為に始められた。北条得宗家もその政を守られたが、何代も経つと政も得宗家の為の政となった。それを正そうとしたのが、後醍醐帝であり、足利初代将軍、尊氏公であった。
ただこのお二方は、志は同じであったが、進む道が違い過ぎた。そして日の本は二つに割れた。尊氏公は仕方なく、守護に土地をたくさん与え、力をつけさせ味方を増やした。
ここが大きな過ちであった。守護は勘違いした。与えられた力を過信し、民を蔑ろにし、力を得ようと身内での争いや御所様にあがらうものまで出てきた。
御所様は、守護達の力を落とすことに専念したが、赤松の一件で考えが変わった。
武家だけではなく、力のあるものが政に携わり民を守ることができる世にしようとした。
政には公家も武家も僧侶も民もだれでも携わることが出来るようにするのだ。
まだ、具現化されてないがすでに形はできつつある。美濃、吾と一緒に新しき世を作らぬか?」
常治は、しばし唖然としていた。
「あ、あまりに壮大だな。御所様の代で出来るのか?」
「夢に終わるかもしれんな。しかし、一生、斯波家の下で終わるよりは、ずっと面白き世を見られるかもしれないな。」
「御主、御所様に毒気を抜かれたようだな。
しかし、いい顔をしておる。
わかった。御主の話しに乗せてもらう。」
「そうか。これで越前の国衆は皆、御所様についた。後は、民部少輔(斯波持種)だけだな。
奴はなびくまい。
美濃、奴をここにお引き寄せてくれんか。」
「おう。任せてくれ。」




