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機内出撃1
後に「日野騒動」と呼ばれた御台所重子を首謀とする将軍暗殺未遂事件を片付けてから数日後、義教は配下の武将に大号令を発した。
兵を5つに分け、北陸、尾張・東海、山陰・山陽、四国、畿内守備に回した。
各兵力は1万〜1万5千人規模であった。
少ない気もするが、各地共、守備大名の家督争いで勢いが衰えていた。
それとは、別に経覚が各寺社を根強く説得して各地の僧兵達は既に義教配下の兵に参加することを表明していた。
各地の守護大名は自分の所領のことが手一杯で都の動きに全く気がついていなかった。
義教はそこに目をつけ、大号令を掛けたのであった。
各方面の大将は以下の通りであった。
北陸方面:朝倉
尾張・東海:織田、尼子
山陰・山陽:毛利、吉川、三木
四国:三好、遊佐
畿内守備:伊集院、高橋、立花
総大将:義教
尼子は元々、山陰の地侍であったが京極家被官であった事もあり、尾張方面に回された。
遊佐は河内国を抑えている為、四国遠征の要として配していた。
畿内守備には、九州の地侍を配した。
義教は、地侍の出身や置かれた境遇も考え、軍を配したのであった。




