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身内の敵1
「和を以って貴しと為す」
聖徳太子以前から日の本は、合議制で物事を決する国であった。
関東、九州、陸奥は合議制で物事を決する国としてまとまった。
ところが畿内だけは、足利義教の決済で全てが決まる国であった。いわば義教の独裁国である。補佐役はいたものの、あくまで義教へ助言をする役であり、最終決定権は義教一人が握っていた。長く合議制の原則で動いてきたものにとっては、違和感が感じられ、いつしかそれが義教に対する憎悪へと変わっていくのも無理はなかった。
赤松満祐の反乱未遂事件は、その最初だったかもしれない。
しかしながら、義教は新しき政を合議制ではなく、帝を中心とした指揮系統の一本化へと目指した為、ついには身内から敵を作ることになってしまった。
日野流裏松家。
義教の御台所、日野重子、甥の重政、その子勝光が密かに集まった。




