激戦 大和国4
大和国の国人衆は、永享(嘉吉の前の元号)年間に、春日大社の神人と興福寺一乗院の対立が元から国人衆が対立し、義教の介入により和平がなっていた。
今度の朝倉勢の進軍により、国人衆は大和を攻める者に対して、結束は固まり、山城に篭った国人衆は、お互いに連絡を取り合っていた。
国人衆の筆頭は、筒井城の筒井順英と大和高取城の越智家栄であった。
筒井城は平城であった為、順英は爪の城、福住城へ篭っていた。
朝倉教景の兵は筒井順英の篭る福住城を攻めていた。
「筒井城であれば、まだ水の手を絶つことも難しかったかもしれないが、この城ならば、なんとか…」
教景は、すぐに城の水の手を探させた。
その頃、越智家栄の篭る大和高取城は織田久長が攻め、同じく水の手を探していた。
「良いか、朝倉より早く越智の城を落とすぞ。」
共に斯波家の守護代であった朝倉、織田はお互いに切磋琢磨していたのであった。
両勢は、ほぼ同時に各城の水の手を断つ事に成功した。
水の手を断たれた兵は、絶望的になるかヤケクソになるかである。
水の手を断って2日後の早朝の福住城。筒井勢は一か八かの勝負に出た。
朝倉教景の兵に朝駆けをかけたのである。
教景に油断はなかった。
「敵襲!」
物見の兵が叫ぶと、朝倉兵は一斉に備えを固めた。
筒井勢は500余、朝倉兵は5000である。
筒井勢が突っ込んだ途端に朝倉勢、一旦筒井勢を通す陣形を組んですぐに包み込んだ。
筒井順英が叫ぶ。
「しまった。囲まれた!
こうなれば、各々が道を開いて落ち延びよ!」
順英が兵に声をかけられたのはそれだけであった。それから半刻の戦いで筒井勢は殲滅された。
織田勢の戦いは対象的に、越智勢が突っ込んでくると、大量の矢を射かけてその足を止めて、正面から越智勢を攻めて、こちらは一刻の戦いで越智勢を殲滅した。




