第5話 お姫様への営業研修
城での生活、それは「快適」という名の「肩こり」との戦いでした。
王女エレンの教師役として、荒川の異世界生活は続いています。
猪突猛進ともいえる姫に荒川の職歴や経験はどこまで通じるのか?
自身の経験値だけが頼りの荒川の行く末は?
目覚めは、ひどく居心地の悪いものだった。
背中に触れているはずの寝具は、雲のように柔らかい。なのに身体はまったく休まっていない。
ふかふかすぎて、逆にどこに力を預けていいのか分からないのだ。腰の奥がじんわり痛む。
四十まで一度もぎっくり腰になっていないのに、急に過保護なベッドに寝かされたせいで、むしろ危機感が芽生えている。
天井は高い。白い天蓋の布がゆっくり揺れている。窓の外から差し込む朝の光がやたら広くて、落ち着かない。
狭いワンルームの天井の低さが、妙に恋しくなる。
――なぜ、こうなった。
この交差界の王女であるエレン姫の先生役を仰せつかったことで、城で働くことを許された俺。
言葉だけなら聞こえはいいが、実際は居心地が悪いにもほどがある。
廊下ですれ違う人々の視線。
奇異の目、不審者を見る目、邪魔者扱いする目。
そして「あの姫を説得した人物」という好奇心の目。
視線の種類が多すぎて分類できそうだ。
……これ、教室異動と同じだな。
前任者と比べられる目。会社の社員そのものを信じていない保護者の目。
あれに近い。そう思うと、少しだけ心が平常運転に戻る。
朝食を取りに大食堂へ向かう。王族と同席ではない。職員と同じ扱いなのが救いだ。
広い食堂は朝の光で白く満ちている。石床に反響する食器の音。香ばしい油の匂い。
並ぶ料理は揚げ物、煮物、焼き物――元の世界と酷似している。
界所でも思ったが、生きる営みは収斂するのだろうか。
そんなことを考えながら、午前の講義へ向かう。
新部署の立ち上げ。だが予算はゼロ。
午前は姫への講義、午後は事務所探し。そんな日々が十日続いている。
そして十回の講義で分かった。
このお姫様は、押しが強すぎる。
「良いですか、姫。何度も申し上げていますが、営業に関する面談は、挨拶→ヒアリング→提案→クロージングの流れが基本です。姫の面談は、ただの押し売りです。それでは顧客の気持ちはつかめません」
姫は机に身を乗り出す。瞳が真っ直ぐすぎる。
「そんなこと言ったって、みんなと仲良くなりたいじゃない! 仲良くすることは絶対正しいはずよ! なんでそれを伝えたらいけないわけ?」
若い。まぶしい。危うい。
新卒の頃の自分を思い出して、軽く目眩がする。
「異種族が仲良くする……それは理想として正しいですが、理想は正義ではないですよ。文化や価値観が変われば、同じ神をあがめていても、戦争を続ける場合だってあるんです。相手の価値観を聞き、何を求めているか? を聞き取って、相手の信頼を勝ち取って、そのうえで相手の納得できる現実の折り合い点を提案していかないと……この事業は失敗しますよ」
「ぐむむ……だったら……そのヒアリングって、どうやって進めればいいのよ!」
――困った。
俺はヒアリングが苦手だ。
新卒三年、「ヒアリングができていない」と叱責され続けた。
だから諦めて、観察と質問に逃げた。それが結果的に武器になっただけだ。
「ちょっと! 先生聞いてる??」
「ん? あぁ、ヒアリングは……まずは相手に興味を持つことから始めて、『なぜそう考えているのだろう?』と思うことから始まる。今の姫は『わたしのこうしたい!』が相手への興味を上回ってしまっている。つまり、空回りの状態です。ですので、まずは気持ちのバランスをとることから始めてみてください」
姫は机に突っ伏しそうな顔になる。
「うへぇ……できるかな……でも、先生の許可をもらえないと、異種族の人との面談ってやつできないんだよね……」
「そうですね……(いや、俺は解放されて、のんびり異世界ライフってやつを楽しんでみたいんだが……)」
だが、王様が逃がさなかった。
『娘はまだまだ自我が強い。今のままでは異種族の方たちと問題を起こすこともあるだろう。そこで、そなたがこのような話し合いのスキルを娘に伝授してほしい。あなたが合格を出せば、娘も自信をもって仕事に励めるだろう。どうか、頼まれてくれないか……』
あの瞬間の王の表情。
了承した瞬間に見せた、ほんの一瞬の“してやったり”。
……完全に計画的犯行だ。
午後、街へ出る。
石畳の道、交差する種族、色も背丈も違う人々。ざわめきが多層に重なる。
「さ、先生、今日は私は午後がヒマだから町を案内できるよ! 昨日、見に行く物件を見つけたって言ってたよね! どこなの?」
「ん? あぁ、情報によると二丁目の六十七番地……ちょうど交差点の角っこで、その交差点を境に、竜族、ドワーフ、人、ウサギ型の獣人の居住区に接するところだな」
姫の顔が一瞬で輝く。
「素敵! それなら、絶対にその物件を抑えなきゃ! 先生行くよ!」
彼女は走り出す。
王女なのに、全力疾走だ。
俺は、深く息を吐き、その背中を追いかけた。
第9話をお読みいただきありがとうございます。
前回の「四者面談」で王にうまく乗せられ、まんまと教育係として城に縛り付けられた荒川。
「ヒアリングが苦手だからこそ、観察と質問で戦う」という荒川のスタンスは、実際会った人間をベースにしています。彼ならきっとこの環境も持ち前の口先だけで異種族トラブル解決にも役立ちそうに思っています(笑)。
次回からは、いよいよ物件探し(オフィス立ち上げ)と、姫の初面談が始まります。
少しずつ「お仕事もの」としての要素が強くなってきました。引き続きお付き合いいただければ幸いです!




