第6話 信用獲得から始めよう
今回は荒川がエレン姫と共に「異種族相談センター」の事務所探しに奔走した際のエピソードです。
理想を追う姫と、どこまでも現実的な荒川。そんな凸凹コンビが訪れた場所と、そこで待ち受ける一癖ある人物とは……?
「ところで先生、何でそこを事務所に選んだの?」
石畳の道を軽やかに歩きながら、エレン姫は屈屈のない顔で聞いてきた。
昼下がりの交差界は、妙に騒がしい。
空を小型の飛竜が横切り、露店からは香辛料の匂いが漂い、遠くからは金属を叩く乾いた音が響いている。
道の右側には鱗を持つ竜人たちの店。
左側には木工細工を並べるドワーフ。
さらに先には長い耳を揺らす兎人たちの姿も見える。
確かに同じ街で暮らしている。
だが、混ざってはいない。
見えない線が、街の中に何本も走っているようだった。
「あぁ、敷金と礼金がないだけでなく、保証金もないからな」
「しきん? れいきん? 保証金?」
やれやれ。
お姫様には縁のない単語らしい。
俺は歩きながら説明を始めた。
「部屋や店舗を借りる時に最初に払う金だよ。簡単に言えば、“信用の担保”だ」
「信用?」
「貸す側からしたら、借りた人間が部屋を壊したり、家賃踏み倒したりするかもしれないだろ?」
「そんなことする人いるの!?」
「山ほどいる」
「うわぁ……」
エレン姫は本気で引いていた。
たぶんこの子、王族だから「信用されない」という経験が少ないのだろう。
「だから普通は最初に金を払う。でも今回は予算ゼロだ。払えるわけがない」
「予算ゼロって、やっぱり酷いと思うの!」
「俺に言うな」
乾いた返事を返しながら、目的地へ向かう。
二丁目は、交差界の中でも境界色が強い地区だった。
建物の雰囲気が通りごとに違う。
竜人区側は石造りで重厚。
ドワーフ区側は低く頑丈で煙突が多い。
兎人側は木造中心で窓が大きい。
それぞれの文化が、建築そのものに滲み出ている。
だが──。
道を一本越えると、急に人通りが減る。
まるで道路が国境線だ。
「二丁目の六十七番地……ここだな」
交差点の角地。
古びた木造テナントが、半分朽ちたような姿で建っていた。
色褪せた看板。
割れた窓ガラス。
雨染みの浮いた外壁。
それでも立地だけは抜群だ。
四種族の居住区が交わる場所。
異種族相談センターの拠点としては、これ以上ない。
「うーん! ここから私たちの理想が始まるのね!」
私たち。
いつの間にか、俺まで理念に殉じる側へ組み込まれているらしい。
「私たちではなく、姫の理想です」
この十日で一番無愛想な声が出た。
しまった。さすがに大人げなかったか。
そう思ってエレン姫を見ると──。
「なに言ってるの! 『私たち』よ!」
まったく怯まなかった。
「二人でやる事務所なんだから! 格好つけてないで行こ!」
「あ、あぁ……」
勢いそのままに扉へ向かう後ろ姿を見る。
……不思議な子だ。
普通、今の言い方なら少しくらい空気が悪くなる。
だが、この姫は真正面から押し返してくる。
たぶん根本的に、“他人と距離を置く”という発想が薄い。
だから危なっかしい。だから人を巻き込む。
そして──。
だからこそ、王様は俺なんかを教育係にしたんだろう。
理念だけで突っ走る人間は強い。
だが、組織運営は理念だけでは回らない。
利益。感情。縄張り。損得。責任。
そういう泥臭い現実を知らないと、必ずどこかで破綻する。
でも。
たった二人の組織なら、理念が利益に食われることはないのかもしれない。
そんなことを考えながら、俺は古い扉を押し開けた。
「ごめんください。本日内覧をさせていただくことになってた、荒川と言います」
扉を開けた瞬間、湿気を含んだ空気が顔にまとわりついた。
長期間閉め切られていた建物特有の、カビ臭さ。
床板は軋み、窓際にはうっすら埃が積もっている。
薄暗い店内の中央。
そこに、腕組みした大柄な男が立っていた。
恰幅の良い体格。
口ひげ。
てっぺん禿げ。
油染みのあるシャツ。
そして──。
「ちっ……あぁ、あんたが荒川さんか」
初手、舌打ち。
「俺はゴンザレス。このテナントのオーナーだ」
なるほど。クレーム対応系か。
だったら、まだマシだ。
理不尽に怒鳴るだけのタイプより、こういう露骨な人間の方が対処は楽である。
「ゴンザレスさん、今日はお時間ありがとうございます。早速ですが、間取りについて教えていただいても?」
「そりゃ構わんが……」
ゴンザレスの目がエレン姫へ向く。
「あんた、横のお嬢さんは誰だ? まさか娘か? ……いや、犯罪とかじゃねぇよな?」
姫、顔知られてないんだな。
「こちらは交差界のエレン姫です」
「は?」
「今回は王命で、“異種族相談センター”を開設することになりまして。その事務所探しです」
「異種族相談センター?」
ゴンザレスの眉間が露骨に寄る。
嫌な予感しかしない。
「いろんな異種族の人たちと交流して、みんなで仲良くなろうって部署なの!」
エレン姫がキラキラした目で語り始める。
「相談っていうより、交流をメインにしたくて──」
あー……。
今のは悪手だ。
理想論を真正面からぶつけるには、この人は現場寄りすぎる。
そして案の定。
「……王族の娯楽かよ」
低い声が返ってきた。
「帰んな。あんたらに貸すテナントなんてねぇよ」
「なっ──!」
エレン姫の顔が一瞬で真っアクになる。
まずい。
このままだと壁を蹴り抜く。
異種族相談センター、開設前に終了である。
それはさすがに困る。
「ゴンザレスさん」
俺は割って入った。
「確かに理想論だけ聞けば、そう見えると思います」
「……」
「でも、俺たちは“現場飛び込み”で始めてるんです」
ゴンザレスの目線が少しだけこちらに向く。
「証拠に、このプロジェクト──予算ゼロなんですよ」
「……は?」
「年の途中ですしね。しかも担当は姫とはいえ、教育係は十日前に来た異世界人です。予算が降りる根拠なんてないでしょう?」
「マジかよ……」
「マジです」
俺は苦笑した。
するとエレン姫が慌てて割り込んでくる。
「ちょっ、先生! なんでそんな下手に──むぐっ!?」
面倒になったので、口を押さえた。
柔らかい。
……いや違う。
今はそこじゃない。
「あ、すみません」
手を離す。
これ、後でセクハラ認定される可能性あるな。
もしそうなったら、もうテナントじゃなく普通に住居契約に切り替えるしかない。
そんな最悪の未来予想図が頭をよぎる。
一方、ゴンザレスは呆れた顔でこちらを見ていた。
「……お前ら、本当に王族関係者か?」
「俺も最近そう思ってます」
思わず本音が漏れた。
その瞬間だった。
ゴンザレスが、ぶふっと吹き出したのは。
「……変な連中だな、お前ら」
空気が、少しだけ緩む。
俺は心の中で安堵した。
異種族相談センター。
その第一歩は──。
異種族交流ではなく、同種族相手の信用獲得から始まったらしい。
最後までお読みいただきありがとうございました!
理想論だけでは通用しない厳しい現実と、それでも一歩を踏み出す二人の姿を描いたエピソードでした。
ここでの出会いが、今後の彼らの活動にどう影響していくのか──。
ぜひ今後の展開もお楽しみに!
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