第7話 境界線の上で
いつもお読みいただきありがとうございます。
前回、エレン姫と荒川は、二丁目の古びたテナントの内覧へと向かいました。
一癖も二癖もありそうなオーナー・ゴンザレスを相手に、魔法もチートもない荒川が選んだのは、これまでの塾の教室長としての経験を活かした「交渉術」でした。
はたして、この貧乏プロジェクトの拠点は確保できるのでしょうか?
「で、なんでまた予算ゼロなんてネタの部署が発足したんだ?」
ゴンザレスが鼻で笑うように言った瞬間――
「ネタって…!!!」
エレン姫が即座に食って掛かる。
肩を怒らせ、今にも机を叩きそうな勢いだ。
十日前なら「感情豊かなお姫様だな」で済んだかもしれないが、今の俺には分かる。
この人、怒ると普通に壁を壊せる。
俺は慌てて間に入った。
「まだ黙っておいてください。面談の邪魔です」
「ぐっ……先生まで……!」
不満を全く隠そうとしない。
頬を膨らませながら、露骨にこちらを睨んでいる。
……やれやれ。
この人、本当に王族なのか?
そんなことを思いながら、俺は改めてゴンザレスへ向き直った。
薄暗いテナントの中は、昼間だというのに妙に湿っぽい。
木材は古く、壁にはうっすら煤が残っている。
窓際には細かなヒビも見えた。
だが、立地だけは抜群だった。
交差点を挟み、
竜人街区、
ドワーフ街区、
人族居住区、
そして兎人たちの区画。
四つの文化圏がぶつかる境界線。
普通なら、一等地だ。
なのに空きテナント。
しかも敷金・礼金・保証金ゼロ。
――理由は明白だった。
「ゴンザレスさん、ま、エレン姫は良くも悪くも純粋ですよ。本気で異種族と仲良くなってみたいと思っているんです」
「はぁ?? 異種族なんて何考えてるかわからないじゃないか。本気でこのお姫さんはそんなこと考えてるのか?」
「ええ、マジです。そして案外、異世界から来た私なんかは、同じ境遇の別世界の人と話をしてみたいと思ったりしています」
「物好きだねぇ……」
「でも、実際そんな物好きでもない限り……このテナントの契約は進まないのでは?」
空気が変わった。
それまで椅子に深く腰掛けていたゴンザレスの身体が、わずかに前へ出る。
目が細まる。
値踏みする目だ。
敵意とは少し違う。
「こいつはどこまで分かって喋っている?」
そんな探るような視線。
「あんた、俺の足元を見る気か?」
声音が低くなる。
エレン姫も「え?」という顔で俺を見た。
たぶん、今の一言の危うさが理解できていない。
……やれやれ。
少し切り込みが早かったか。
だが、ここで引けば終わる。
俺は静かに続けた。
「いいえ。私の世界の不動産の相場というか、暗黙の了解? 的な情報に、敷金・礼金・保証金、すべて0円というのは、“何か事情がある物件だから注意しろ”という考え方があります」
(いや、本当にそんな暗黙の了解があるか知らないけどな……)
心の中で自分にツッコミを入れながら、さらに続ける。
「もし、そうなら――この物件が初期費用すべて0円設定なのは、この異種族境界線上にあるからこそだと思っています」
数秒の沈黙。
そのあと、ゴンザレスは観念したように鼻を鳴らした。
「ああ、そうだよ。陽気で酔うと口から火を吐いて踊りだす竜人。鍛冶にしか興味のないドワーフ。警戒心が強すぎて、めったに顔を見せない兎人……どれもこれも一癖も二癖もある連中ばっかりだ」
エレン姫が「へぇぇ……」と目を輝かせている。
いや、感心してる場合じゃない。
(竜人、酔うと火を吐くのか……絶対飲み会行きたくねぇ……)
そんな場違いなことを考えながら、俺は壁へ視線を向けた。
「だから、壁にすすが残ってるんですね」
「……あ?」
「人類側からすると、“いつ事務所が火事になるかわからない場所”に見える。だから借り手がつかない」
ゴンザレスは少しだけ目を見開いた。
図星だったらしい。
「……あぁ。そういうことだ」
そこで俺は、一度言葉を切った。
ここから先は、押し売りをした瞬間に負ける。
ゴンザレスみたいなタイプは、
熱意で押されると引く。
必要なのは、
“双方に利益がある”
という構図だ。
俺は呼吸を整え、淡々と話した。
「ゴンザレスさん。我々大人は、“自分たちと違う生活習慣を持つ存在”を忌避してしまいます」
「……」
「ですが、エレン姫は、その違いを“好奇心”で見ている」
「先生! そう! それ!」
さっきまで不機嫌だったエレン姫が、急に身を乗り出してきた。
……本当に忙しい人だ。
「好奇心だけが先行すれば、相手との距離や溝を広げることもあるでしょう。でも、好奇心がなければ、その溝を縮めることは永遠にできない」
ゴンザレスは黙って聞いている。
空気が変わっていた。
さっきまでの重苦しい湿気とは違う。
古びた部屋の空気が、
少しだけ“商談の空気”になっている。
――今だ。
俺は心の中で、営業時代の感覚を呼び起こした。
ここで提案を誤らなければ、
この人は将来的に“ロイヤルカスタマー”になる可能性がある。
単なる貸主じゃない。
こちらの理念に協力してくれる重要顧客だ。
だからこそ、
ここで必要なのは夢物語ではない。
現実的な利益だ。
「テナント契約には、本来“審査”がありますよね?」
「あぁ」
「その審査を、“異種族との問題を解決した実績”に置き換えることは可能ですか?」
「……どういうことだ?」
「本来、この立地は初期費用0円なんてしなくていい場所です」
俺は交差点の外を指差した。
竜人。
ドワーフ。
兎人。
人族。
それぞれが道路を境界線のように扱い、
互いの領域へ踏み込まない。
「ですが、“異種族境界線上の土地”というだけで価値が下がっている。なら、それは不条理です」
ゴンザレスの目が、初めて真っ直ぐこちらを向いた。
「そして我々は、異種族相談センターとして、そういった問題を解決していく」
「……」
「我々は、“異種族問題を解決した実績”を得られる。ゴンザレスさんは、“あの地域は異種族相談センターがあるから安心かもしれない”という認知を得られる」
「つまり――双方にとって、0ではなくプラスになるはずです」
沈黙。
長い沈黙だった。
エレン姫ですら空気を読んだのか、黙っている。
そして――
ゴンザレスは、ゆっくり笑った。
さっきまでの皮肉っぽい笑いではない。
商売人の顔だった。
「……よし、分かった」
重い声が、古びたテナントに響く。
「この地域の問題を何か一つ解決してくれたなら――月1万ジェムで貸してやろうじゃないか!」
その瞬間。
エレン姫が、
「やったぁぁぁ!!」
と飛び跳ねた。
古い床がミシッと鳴る。
やめろ。
今壊れたら契約前だぞ。
そんなことを思いながら、俺は小さく息を吐いた。
――こうして俺は。
教育業界から、さらに遠ざかっていく自覚を持ちながら。
人生初の“異種族コミュニケーション業務”に、
ほんの少しだけワクワクしていた。
いかがでしたでしょうか。
荒川のロジックが功を奏し、なんとか交渉成立です!
ただ、ゴンザレスが突きつけた「この地域の問題を一つ解決する」という条件。
これがこの後、どのようなトラブルとして彼らに降りかかるのか……そして、教育係としての矜持と、経営者としての現実の間で、荒川はどう立ち回るのか。
次回の更新もお楽しみに!
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