第2部11話 母を守る者
「シン君、ちょっといい?」
そう言って俺は、この面談のキーマンとなる子供にやさしく声をかけた。
「なに、おじさん?」
おじさん…心に何本かの重い矢がグサグサと刺さった気がしたが、俺はプロの営業スマイルを張り付かせたまま、その痛みに耐えて穏やかな笑顔を向けた。
「約束のジュースはおいしいかい?」
「うん!おいしい!!」
屈託のない笑顔を変えることなく、シンは元気よく答える。
「ちょ……先生??」
それまで母親への説得を試みていたエレン姫が、唐突に俺がシンに話しかけたことに異を唱えようとした。だが、俺は視線を表の親子に向けたまま、それを片手で制しながら話を続ける。
「シンはいろいろなことに興味を持てるのに、ちゃんとお話の時は待つことができてえらいね!」
「ほんと!僕、えらかったの?」
褒められ慣れていないのか、シンは耳をパタパタと揺らして嬉しそうに身を乗り出した。
「ああ、とてもおりこうさんだったよ。ところで、シンに聞きたいんだけど、こっちのお姉さんの話を聞いててどう思った?」
数秒、シンは小さな人差し指を顎に当てて考え込んでいた。面談室の空気が、子供の次の言葉を待ってわずかに張り詰める。
「うーん、難しいお話で良く分からなかったけど、なんかとても楽しそうに感じた!」
「そうさ、とても楽しいお話だったんだ。シンはいろんな種族の人とお話しできるのは嫌か?」
「ううん!いろいろな人と話をしてみたい!」
「だったら、こちらのお姉さんのお話は楽しいお話だったんだ」
「うわぁ……」
シンは目をキラキラさせながら姫の方を見つめた。
自分の熱弁を「難しい」と言われたときは少しショックそうな表情を浮かべていた姫だったが、今のシンの純粋な瞳に見つめられたら、そんな微細な傷など一瞬で吹き飛んだだろう。目に見えて相好を崩している。
「でもな、シン、まだママは決心できないみたいなんだ」
「え、なんで?」
シンは一瞬きょとんとした目をした後、不思議そうに隣の母親を振り返った。
母親は、差し伸べられた救いの手を前にして決心できない自分への罪悪感からか、シンに申し訳なさそうな目を向けて小さく肩をすくめている。
(これは話を急がないといけないな……)
一気に話をゴールに持っていく。俺はそう決め、シンへの話し方もただ優しいだけではなく、信頼できる身内のおじさんのトーンへと切り替えていく。
「シン、大人になるとたくさんのものが見えてしまうから、急におうちやお隣さんが変わってしまうことが怖いんだ」
「そうなんだ……」
シンは母親の様子を察したのか、少し残念そうに耳を垂らした。
(ここが勝負どころだ……頼む、シン……『イケメン』であってくれよ)
学習塾の面談でも、最後に親の背中を押すのはいつだって子供の覚悟だ。俺は心の底から祈りながら、話の流れで思いついていた「とっておきの言葉」を投げかける。
「でも、大丈夫!シンならお母さんの怖いと思う心を吹き飛ばすくらい、お母さんのこと、守れるもんな!」
俺の言い方は、「うん!」と返ってくること前提の、逃げ道のないトーンだ。
そして、シンはそのトーンを確かにくみ取って、俺の誘導に乗ってくれた。
「うん!僕がお母さんを守るよ!そしたらお母さんも一緒にいろんな人とお話しできるもんね!」
この瞬間、面談室にいたエレン姫もアリスも、そしてシンの母親も、全員がハッとしたように目を見張った。
まだまだ身体も小さく、守られる側のはずの子供が、明確な意思を持って「母を守る」と言い切ったのだ。特に、これまで絶望に沈んでいた母親の表情の変化は、劇的と言っていいほど大きかった。
「そうか、シンはお母さんが大好きなんだな!かっこいいぞ」
俺はシンを心から称賛する口調で、さらにその覚悟を補強するように問いかける。
「うん!大好きだよ!」
「どんなところが大好きなんだ?」
「うーんとね!ご飯がおいしいところ!特にお野菜のスープがおいしいんだよ!それにね、お母さんね!お野菜育てるのもうまいんだ!」
「へーすごいんだね、シンのお母さんは」
「そうだよ!すごいんだよ!」
「ありがとうシン!お母さんのこと色々教えてくれて」
「どういたしまして!」
(シン、お前は『イケメン』だったよ)
俺は心の中で目の前のまだまだ小さい少年を心から褒めていた。
「さて、お母さん」
俺はここで、声を面談に来た大人向けのトーンに戻す。
「は、はい……!」
シンの母親は、隣に座る我が子からの「守る!」というあまりに力強い発言に衝撃を受け、いまだに心が現実に戻ってきていないようだった。
「いま、お聞きした通りです。だからこそ、もう一度お願いします。シン君を信じてあげてください、そして『俺たちの胃袋のため』にもお母さんの力を貸してください」
「え?ええ?……どういうことですか?」
シンの母親は突然自分に振られた話の内容と、何より「胃袋を守る」という意味が突然出てきたため、何がどうなってるのかと混乱しているようだ。
「先生?どういうこと?」
「荒川、貴様は何を言ってるのだ?」
案の定、姫もアリスも「何を言ってるんだ?こいつ……」という困惑を隠せない顔で尋ねてくる。
(頼むから少し黙っていてくれよ……)
心の中で毒づいたが、それを口に出して盤面を乱すほど俺も馬鹿じゃない。
「実は……このカフェ、客は多いんですが、竜人やドワーフはどちらかというと肉食系の料理を好むので、提供する料理も肉料理が多いんです。でも、われわれ人間は肉も野菜もまんべんなくとる必要があります。だから、店のメニューとしてもお野菜の料理を増やしたいと思っていたんですよ。お母さん、そのお力を貸してくれませんか?もちろん、お給与はお支払いいたします」
俺は熱意ある相談センターの署員としての顔ではなく、真剣に新しいスタッフを採用しようとしている「カフェの責任者」としての比重を重めにした表情を作り、シンの母親を見つめた。同情ではなく、戦力として求めているのだと視線で示す。
数秒の静寂の後、母親は自信なさげに、けれど確かに希望の光が灯り始めた目で俺を見た。
「わたしなんかが……お力になれるのでしょうか?」
「ええ、もちろん。ぜひお力をお貸しください」
俺は深く頷き、さらにその心を縛る最後の鎖を解きにかかる。
「そして、お母さん、忘れないでください。あなたはシンのために街を出てまでこの相談センターに来る勇気を出してくれた方です。だから、その勇気があれば、このカフェの野菜料理担当は余裕でできますよ」
俺は少しボケをかますような、あえて緊張感をほぐす口調で軽口をたたいた。
そんな荒川の言い方が初めてだったのか、シンの母親は一瞬きょとんとし、それから張り詰めていた肩の力を抜くように言った。
「分かりました。どこまでできるかわかりませんが、頑張ってみます」
その言葉に、面談室の空気が一気に弛緩する。
「え……え……結局、どういうことになったの?」
俺の面談の流れにエレン姫だけでなくアリスもが、状況を飲み込めずにきょろきょろと俺と親子を交互に見ている。
「とりあえず、こちらのお母さんをカフェの店員として正式に採用します。住居等については、先ほど姫が提示された案を活用させてください」
「そこまでしてもらって、本当に良いのでしょうか……?」
母親がまだ恐縮するように尋ねてくる。
「大丈夫です。住居を紹介してくれるゴンザレスという男はかなりの甘党で……健康が心配な奴なんで、今度お母さんの美味しい野菜料理を食べさせてやってください。ほんと、私の周りは健康に興味なさそうなのばかりなので、お母さんに頼らせてくださいね」
「ふふ、わかりました」
この時、シンの母親の顔に、初めてほんの少しだけ、温和な笑みが浮かんだ。それを見て、姫もアリスも安堵の息を吐く。
(でも……たぶん、俺以外……あと1個確認しないといけない重要なことがあるの、誰も気づいてないんだろうな……)
和やかな空気に包まれる面談室の中で、俺だけは手元のメモ帳を冷めた目で見つめていた。
俺はその「もう1個のこと」を、和気あいあいとした『今』のタイミングで確認すべきかどうか、静かに悩み始めていた。




