第2部9話 整った盤面
プレゼンは大盛り上がりで進んでいる。
特に竜人のノリがいい。拳の強さに至上の価値を置く彼らにとって、自分たちの長であるババルと互角の腕力を見せたエレン姫は、もはや理屈抜きでリスペクトに値する対象なのだ。
「姫の頼みとあっちゃあ、一肌脱がねえわけにはいかねえな!」
大ぶりの身振りと地響きのような笑い声で、彼らは全面協力を約束してくれている。
ドワーフたちも同様だ。かつて失われかけていた鍛冶への情熱をよみがえらせるきっかけをくれたことに恩義を果たそうとしている。
「子どもの未来のためだ、硬鉄の意地を見せてやる」
無骨に頷き合う彼らの視線の先にいるのはエレン姫だけではない。この場を作った俺への信頼もまた、彼らを動かしているのだろう。
ある意味、一番中立なのは人間側かもしれんな……。
利害得失に聡い彼らは様子見の気配を見せてはいるが、そこはゴンザレスが絶妙に立ち回ってくれている。大きな身体で人間たちの肩を抱き、あらかじめこちらが有利になるような空気を裏で編んでくれていたおかげで、人間側も「中立」という名の、実質的な「消極的協力」の姿勢を見せ始めていた。
俺は各種族が入り乱れて激論を交わす様子を見届けながら、手元のメモ帳にペンを走らせ重要なポイントを記録していく。
見渡す限り、彼らの議論は『兎人の子どもに新しい環境を!』という大義名分と理想論で終始しており、その前段階として詰めるべき具体的な確認事項やリスクマネジメントはほぼ議論されていない。
だが、それでいい。
組織が生まれる瞬間に必要なのは、完璧な計画ではない。まずは「自分たちならできる」と信じられる熱量だ。
今この空間を支配している爆発的な熱気の中に、「現実」という冷や水を流すべきではない。
自分たちならできる――まずはそう信じることができたなら、組織の立ち上げにおいてそれが一番の推進力になるはずだから。
しかし、すごい熱量のある会議だ。
喧騒の中、俺の脳裏にふと、元の世界の苦々しい記憶が蘇る。
あっちの世界で、地域の教室長たちが集まって会議をすることになっても、誰もが死んだ魚のような目でエリア長の話を聞くだけだった。特に生産的な意見が出るわけでもない。エリア長から「近隣の教室と競合対策や数字の達成について話し合え」と指示されても、集まった若手から出るのは愚痴か世間話で「どうすればいいのか?」なんて質問や話は出てこない。
こんな連中と会議をしても時間の無駄だ。その時間を俺が自教室の営業や生徒の対応に充てる方が、よっぽど会社の利益に貢献できる。
そう吐き捨てて、1年くらい本部の会議を徹底的にボイコットしたっけな……。
俺はカウンターの隅でそんな昔日に思いを馳せながら、目の前の、異種族たちが種族の壁を越えて怒号に似た熱弁を振るっている会議との違いがどこにあったのだろう、と考えていた。
トップの覚悟か、あるいは明確な「誰かのため」という目的の差か。
「……もう、昔のことだ」
俺は元の世界の出来事をいったん頭の隅に追いやり、思考を現実に引き戻す。
彼らの会議で決まった大枠の流れをメモに汲み上げながら、明日の面談のシミュレーションを組み立てていく。
少なくとも、彼らが灯してくれたこの熱意を無駄にしてはいけない。
人の心の火は、一度冷たい水で消えてしまったら、再点火することが極めて難しいのだ。
今回は、必ず成功させる必要があるな……。
そう思いながら、明日の面談で確認すべきシビアな項目を一つずつピックアップしていく。
この熱意を、一過性のお祭りで終わらせず、彼らの確固たる「自信」に変えるために。
……そう思うと、責任の重さからか、ちょっと胃が痛くなってきた気がする。
◇
やがて長い会議が幕を閉じ、嵐のような喧騒が去ったテナントには、ぽっかりとした静けさが戻っていた。
残されたのは、冷めた肉の油の匂いと、熱戦の余韻だけだ。
結局プレゼンをする必要のなくなった俺が一人で黙々と皿洗いや机の後片付けをしていると、足音を忍ばせるようにしてエレン姫が俺のそばにやってきた。
「どうしました? 姫」
声をかけると、姫はぱっと顔を輝かせた。
「先生! ありがとう!! 私、相談センターだけでなくいろんなことをやるとき、私が全部やりたい!って気持ちが強かったの……でも、今日、私にはたくさんの味方がいたって、みんなでやることが1人でやるより力になるって本当に実感できた!」
胸に手を当てて、感極まったように息を吐く姫を見て、俺もようやく少し安心できた。
「それは良かったです。でも、始めたものは『歩き続ける限り味方を増やしていきますが、足を止めたら皆から見放される』と言います。あまり今日の成功に気負いすぎないことです」
「大丈夫! 私は絶対に止めない!」
迷いのない力強い言葉。
俺はふっと口元を緩め、意地悪く返した。
「ま、頑張ってください。もし足を止めたときは、後ろから無言で背中を思いきり突き飛ばしてあげますから」
「ふふん、先生が無言で近づいてきても、私の方が早く反応できるから無駄よ!」
姫はけらけらと笑いながら、軽口をたたいて応じてくる。
昨日、兎人親子の前で面談した後の、俺に詰められ思考の止まった表情が嘘のようだ。
(ま、この子は沈んでいるより……これくらい生意気で元気な方がいいか)
そう納得していると、姫は「明日、絶対に成功させようね!」と言い残し、明日の面談の準備のために2階の自室へと戻っていった。
だが、なぜかアリスはまだ目の前のカウンター席に残っている。
腕を組み、複雑な表情でじっとこちらを見つめていた。
「もう、あんたの愛しの姫君は自室に行ったぞ? こんなところで油を売ってないで、あんたも部屋に戻ったらどうだ?」
俺は洗った食器を棚に直しながら、少し疲れた声で声をかける。
正直、今日の立ち回りで心身ともに疲れ切っていた。残りの時間は一人で静かに過ごしたい。にもかかわらず、俺のことを蛇蝎のごとく嫌い、普段なら殺気すら飛ばしてくる人間が至近距離の視界に居座っているというのは、億劫で仕方がなかった。
さっさと姫の後を追ってほしい。
当のアリスは、俺の露骨に面倒くさそうな声に一瞬嫌そうな顔を浮かべ、眉間に皺を寄せた。
だが、それでも何かを意を決したように、真っ直ぐこちらを見据えて言った。
「荒川、私はお前を認めたわけではない。……だが、今日の会議の空気の作り方、あれは見事だった」
アリスは少しだけ言葉に詰まり、それでも続ける。
「姫の、あの決意に満ちた顔を見られたのは……その、感謝する」
そして小さく付け加えた。
「……だからといって調子に乗るな」
それだけを早口に告げると、こっちの返事を聞くのが気まずいとばかりに、アリスは踵を返し、カウンター奥の階段から足早に姫の部屋の方へと向かっていった。
「なんだ……あれ?……」
あ然と取り残された俺は、手にした布巾を握ったまま、アリスが何を言っていたのか一瞬理解できなかったし、すぐに「まあいいか」と理解する必要も感じなかった。
さて……明日か。
シンと静まり返った店内の空気を見渡す。
空気はできている。異種族の協力体制も、現時点で言えば十分すぎるほどだろう。
何より、あの排他的だった2丁目で、明確な「否定派」が一人もいない。
これは驚くべき奇跡に近い。
だが……それでも明日の親子面談は綱渡りだ。
周囲の熱気がどれだけ高まろうと、当事者であるあの母親と子どもの心が動かなければ全ては水泡に帰す。
あらゆる事態を想定しないといけない。
そして、彼らが「やっぱり元の生活に戻る」と言い出すような、最悪の事態も想定しておく必要がある……。
俺は再び手元のメモ帳を開き、静まり返った夜のテナントで、明日のシナリオを何パターンにも練り直し始めた。




