第2部8話 主役の立つ場所
テナント内には、先ほどまで各種族が食べていた肉の香ばしい脂の匂いが、逃げ場を失うように充満している。プレゼン会場としては最悪かもしれない。
……いや、ひょっとするとこれこそが最適解なのかもしれない。
俺は山積みの皿を洗いながら、カウンター越しに広がる光景を眺めていた。
各種族の代表たちが肩を並べ、獣のようだった竜人たちも、頑固そうなドワーフも、どこか楽しげに談笑している。
初めてこの2丁目67番地に来た時、この空間には冷ややかな沈黙しかなかった。それが今では、誰もがごく自然に言葉を交わしている。
(姫のやろうとしていることは、思った以上に良いものなのかもな……)
俺がそんな感慨に浸っていると、自室から降りてきたエレン姫が階段の途中で足を止めた。
彼女の表情は硬い。両手はきつく握りしめられ、その指先は白くなっている。
今までとはワケが違う。単なる演説ではない。この先、彼女が紡ぐ言葉一つが、あの兎人親子の未来を左右するのだ。緊張しない方がおかしい。
「姫、無事全員の名前を覚えられましたか?」
「え。えぇ。大丈夫。やれるわ」
姫は喉の奥を鳴らすように、かすれた声で答えた。
「では、始めましょう」
「……」
俺は、ふうという大きなため息をついて、濡れた手を拭いながら姫の方をゆっくりと振り返った。
「姫、あなたは自分のプレゼンがあの兎人親子の未来に影響することを気にしているかもしれませんが……」
「え、えぇ……」
彼女がたじろぐ。俺は容赦なく言葉を突き立てた。
「それは事実ですが、それを理由に緊張するのは『傲慢』です」
「な……」
「荒川!」
姫は言葉を失い、アリスは怒髪天を突く勢いで顔を赤くして一歩前に出た。
店内にあった談笑のさざめきが、波が引くようにスッと消える。静寂が支配し、鉄板で焼いた肉の匂いだけがやけに鼻につくこの異空間で、俺は淡々と続けた。
「我々ができるのは『選択肢を提示』することまでです。その選択肢を『選ぶかどうか』を決めるのは顧客側です。姫の今の緊張は『兎人側が選んでくれる前提』であり、彼らの選択権まで思い至っていない証拠です」
「荒川……それは違う」
アリスが姫を庇うようにして俺の前に立ちはだかる。鋭い眼光が俺を射抜いた。
「確かに選択はあの親子にゆだねるべきだろう……だが、『力及ばない案』であればそもそも選ばれない。そうなれば我々の力不足であの親子を救えない…ということになる。そこを考えれば自分の案に最後まで緊張することは何らおかしくない! 貴様のその考えこそ傲慢だ!」
アリスは正面から俺を見据え、一歩も引かない。だが、俺は彼女の熱情をどこか他人事のように受け流し、ため息交じりに言い返した。
「その意見は、異種族相談センターがいくつもの競合にもまれて切磋琢磨している『レッドオーシャン』の状態でないと通用しない」
俺はつけていたエプロンを外しながら、冷めた口調で淡々と意見を並べる。
「今、この交差界で、異種族相談センターをやろうとしてるのはエレン姫だけだ。つまり、交差界において異種族のために『必死になった最初の一人』がエレン姫だ。そして、姫は既に竜人との交流を自らの力で成し遂げるという実績も立てた」
「な、何が言いたい……」
「簡単なことだ。他に誰もやっていない以上、比較対象が存在しない。姫は『最高』を目指す必要なんてないんだ」
「……」
「姫に必要なのは『最初』であることだ。そして、その最初の一歩を踏み出せるのは今の交差界では姫しかいない」
アリスが言葉を失う。
俺は構わず続けた。
「だったら、企画を出す者は『たとえ自身の案に不安を抱えてもそれを表情に出してはいけない』それが『始めた者』の責任だ」
「始めた者の……責任」
姫がその言葉を、反芻するように小さく繰り返した。彼女の瞳から、震えるような迷いが少しずつ消えていく。
「それに、ここに集まってる連中は少なくとも緊張している姫の言葉より、堂々と夢を語る姫の言葉の方を信頼してくれるさ」
そう言って、俺はカウンターの向こう側で成り行きを見守っていた竜人やドワーフに視線を向けた。彼らは一様に、小さく、しかし力強くうなずいている。そして人間たちも竜人やドワーフに合わせるようにうなずく。
彼らのその温かな視線、期待の籠もった表情一つ一つが、硬くなっていた姫の背中を、言葉以上に勇気づけているようだった。
「さぁ。姫、企画を発表してください」
「分かったわ! みんな! 聞いてちょうだい!!」
「「おお! 待ってました!」」
審査員として集まった各種族はもはや、審査する側ではなく、協力者としての顔で姫を見上げていた。
「荒川……貴様……この状況を作ったのか……」
アリスが信じられないものを見るような目で俺を見ている。
本来であれば誰かの未来を背負う重い企画だ。もし受け入れられなければ、あの親子に未来はないかもしれない。そのプレッシャーで押しつぶされそうになっていた姫が、今、各種族の前で堂々と立っている。
「別に。世界で初めてのことにチャレンジするやつは、少なくとも『誰かの前で弱い顔をしない』のが俺のいた世界では成功の秘訣だと言われていたからな」
「な……それは……本当か?」
「いいや、嘘だ」
「な……」
俺は呆然とするアリスに肩をすくめて見せ、顎で姫の方向を指し示した。
「さ、アリス。姫の説明で足りないところはフォローしてやってくれ」
俺の言葉に促され、アリスが姫の側へと歩み寄る。
どの種族も姫の言葉を真剣に聞き、その瞳は真剣な熱意を帯び、「やるぞ!」や「なるほど!」と相槌を打っている。
その光景を横目に、俺は再びカウンターへ戻った。
アリスは姫の背中と、その向こうで熱心に耳を傾ける異種族たちを見つめたまま、しばらく何も言わなかった。
そして小さく息を吐くと、まるで何かを受け入れたように表情を和らげ、姫の隣へと歩いていく。
俺のやり方は、たしかに綺麗じゃない。だが、この熱気が、この光景がすべてを物語っている。
俺は異種族相談センターの所長のプレゼンに静かに耳を傾けるのだった
次回は金曜日18時20分投稿します




