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第2部6話 信頼なき正論

 調味料を片付けだした俺の後ろの空気は、凍てつくほどに最悪だった。

 

 おろおろと視線を泳がせるデニムとゴンザレス、初めて突き放されたことでショックを隠しきれず、瞳を揺らすエレン姫。


 その姫の代わりに、俺への敵意を全開にしてにらみつけてくるアリス。


 やれやれ……最悪の空気だな。


 元の世界にいたころ、社員より教室勤務歴が長いから教室長より偉いと豪語していた困った講師を正面から叩き潰した時の、あのバイト控室の張り詰めた空気によく似ている。


 今思えば、パワハラだと駆け込まれなかったのは奇跡的な幸運だったなと、俺は自嘲気味に口元を歪めながら、背後の四人に声をかけた。


「今から晩飯の準備をする。特に用事がないなら手伝え。それぞれのやりたいことがあるなら、それを優先してもらって構わない」


 一瞬の沈黙。場を支配する冷え切った空気は変わらない。


「「お、おれたちは帰らせてもらうわ……」」


 デニムとゴンザレスは逃げるように片付けの準備を始め、そそくさと帰り支度を始めた。


 こいつら…逃げる気満々だな


「わたしたちは……」


 姫はどうしていいか分からず、言葉を濁して立ち尽くしている。


「姫、あなたは明日の準備のために今日の面談を振り返ることが大切です。兎人の社会性を踏まえ、何をすべきか? を竜人の企画を立てた時を超える熱量で明日提示してくるのを楽しみにしていますよ」


 俺は特に笑顔を向けるわけでもなく、淡々と告げた。


 その突き放すような態度が気に入らないのか、アリスはより一層の殺気を向けてくる。


 『気』なんてものを知らない素人の俺でも、肌に刺さるような鋭利な敵意を感じ取れるほどだった。


「荒川……貴様……」


アリスが言いかけた時だった。


「アリス、やめて。先生は少なくとも理不尽なことは言わない。だから、ちゃんと考えたいの。手伝って」


 アリスは俺への敵意を隠さないまま、姫に促されて渋々といった様子で、彼女の後を追って部屋に戻っていった。


「そこの2人……」


「「え??」」


 俺はデニムとゴンザレスに声をかけ、あることを頼んだ。



 その日の夕食は無言だった。


 せっかく手に入れた、料理酒、みりん、醤油という和食の「三種の神器」を使って肉じゃがを作ったのに、湯気の立つ温かな香りが、かえってこの食卓の冷え切った空気を際立たせている。


(いくら家庭料理とはいえ、冷え切った空気には無意味だな……)


そう思っていたら、


「ごちそうさま。おいしかった」


 と、姫がカラ元気なのが丸わかりのセリフを残して自室に戻った。

 いま、一階のテナントにいるのは俺とアリスだけだ。


(うーん……アリスと二人だと……気まずいを超えてめんどくさい……)


 俺は洗い物をして食器を片付けていたが、背後の気配に肩が凝るのを感じていた。


「荒川、少し良いか?」


アリスが敵意を向けたままこちらに話しかけてきた。


(はい、来ました……面倒な時間……過保護『だけ』が取り柄の保護者面談の始まりだよ……)


 俺はそう確信しながら、営業スマイルすら浮かべることなく、


「要件なら簡潔に言ってくれ」


 と答えた。そのぶっきらぼうな態度が逆鱗に触れたのか、アリスはこちらを刺し殺さんばかりの目線で言葉を紡ぐ。


「先程の姫への態度、無礼を通り越して不敬だろう。弱きものを守るため、異種族の代表に直接話をしに行こうという高潔な姫の思いを否定した理由を言え。納得できなければ……」


「納得できないなら、あんたが姫を説得してここを去って、王城に連れて帰ればいい」


「な……」


 俺はアリスに最後まで言わせなかった。ぶっきらぼうに、どうでもよさげにそう告げる。


「はっきり言っておく。今回の件で、直接兎人の代表に話を持っていくのは『高潔な思い』じゃない。ただの『自己満足』だ」


「だから! なぜそう言い切れるのだ!」


「はぁ……」


 俺は、なぜこんな簡単なこともわからないのかという呆れを隠すことなく、深くため息をついて続けた。


「簡単なことだ。例えるなら俺がお前に『姫の異種族相談センターが成功するためにも、王妃と縁を切ってくれ』と頼んで、『はい』と言えるか?」


「貴様……何の話をしている? 」

「いいから、さっさと答えろ……」


「そんな馬鹿な提案受け入れるわけないだろう! 貴様、いい加減に!」


 アリスの激高がひしひしと伝わってくるが、正直、俺はこの手の「自分の正義を疑わない人間」を心から恐れたことは一度もない。物理的な暴力は怖いと思うが、理屈で来られる分にはどうということはない。


「つまり、そういうことだ。信頼関係のない人間から『今まで信じてたものを裏切れ、捨てろ』と言われて、『はい』と言える存在はいないんだよ」


「……」


「しかもそれが初対面の相手からなら、相手が持つ感情は『敵意と嫌悪と憎悪』だ。今のあんたのようにな」


「……貴様……それをわかっていて……止めたのか?」


「むしろ分からないお前たちの方がおかしいんだ」


 俺はそう言って、夕食時に合わせて作っていた、冷やすだけで作れるチョコタルトと今しがた暖めていたホットミルクを二つ盆に乗せ、アリスに差し出した。


「何のつもりだ?」


 アリスは毒気を抜かれたような表情で尋ねた。意味が分からないと思っているのだろう。


「あんたと姫の分だ。頭をひねれば甘いものが欲しくなるものさ。あんたが姫の横についていてやれ。そのためにいるんだろ」


 俺は盆をアリスに渡した。


「俺は俺で、明日に備えて企画を練らなければいけないし、準備がある」


 アリスはその盆を持ちつつ、数秒ただ黙っていた。そして、


「貸だと思うなよ」


 と、ひねり出すように口にした。


「貸だなんて思わんよ。ただ姫に伝えてくれ。明日の企画の発表は俺に対してではなく、ババルやハリード、ゴンザレスたちも含めた大勢の前でするから、ちゃんと考えろってな」


「な……貴様、それはどういう……」


「今回の兎人の問題は、兎人の中だけで解決なんてできない。だったらこれまでに信頼関係を作れた『他種族』の協力を取り付けるようにするのが一番なのさ。だって、姫の目指すのは『異種族』相談センターなんだろ」


 アリスはこの時初めて、荒川という男に何か底知れないものを感じた。そしてそれが異種族たちの前でのプレゼンで明らかになることを、私はまだ知る由もなかった。

次回の更新は火曜日18時20分です

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