第2部3話 嘘から始まる異種族相談センター
「ぐ、ぐむむ……」
エレン姫は、目の前のテナントの変化と、俺が即興で紡いだ「設定」の数々に、完全に思考が追いついていないようだった。
「「お、おい先生……」」
デニムとゴンザレスが、俺の背後で不安そうに視線を送ってくる。
(お前らは黙ってろよ……。今から俺は、この砂上の楼閣みたいな辻褄を合わせきって、このじゃじゃ馬を沈静化させなきゃならないんだ。だが、具体的にどうやって……)
俺自身、思考がまとまらないまま冷や汗を流していた、その時だった。
ドドドドド……ッ!!
通りから、尋常ではない地響きが聞こえてくる。
石畳を激しく叩く蹄の音。しかも一頭や二頭ではない。
(うわぁ……何だよ、めちゃくちゃ高級な馬車が猛烈な勢いでこっちに走ってきてるぞ……)
窓の外を見た瞬間、俺は反射的に天を仰いだ。
たぶん今日の俺の運勢は史上最悪──いや、ここ数年で最低クラスなんだろう。
そう悟った直後、豪奢な紋章入りの馬車が店先へ急停止した。
馬が前脚を高く上げ、周囲に土煙が舞う。
「■■■■■■!!」
馬車から飛び降りてきた王が、真っ赤な顔で何かを怒鳴っていた。
王の怒りで言葉の結界が崩壊しているのか、俺には全く聞き取れない。
(三回目ともなると、我ながら妙な慣れが出てきたな……)
その後ろから降りてきた王妃が静かに王をたしなめると、ようやく王は呼吸を整え、俺と姫を交互に睨みつけた。
「二人とも、一体どういうことだ! 特に荒川殿! 勝手に家庭教師を辞任しておきながら、今さら娘と何をしておる!」
「は? 辞任? いやいや、解雇を通告してきたのはそっちでしょう?」
面食らいながらも、俺は淡々と事実を返した。
この王様、まさか解雇の件すら正しく把握していないのか。
「「「解雇? どういうことだ?」」」
王と王妃、そして姫までが揃って驚愕の表情を浮かべる。
(……とりあえず、この狭い場所で立ち話もなんだ。中で話しましょう。王族様には少々手狭でしょうがね)
まだ扉すら完成していない仮設の応接区画へ三人を通す。
簡素な木製テーブルと椅子。壁も最低限しか仕上がっておらず、店全体にまだ木材の匂いが残っていた。
俺は精一杯の誠意を込め、自作のプリンを三人の前へ置いた。
「まずは、これでもどうぞ」
王族相手に出すには場末感が否めないが、今の俺にできる精一杯だ。
そして俺は、あの日の出来事を一つ一つ語り始めた。
城内に蔓延していた「荒川と姫の仲」に対する邪推。
執事長たちとの軋轢。
そして、わざわざ頭を下げてまで残る義理もないと判断し、淡々と解雇を受け入れたこと。
「何それ! 私が先生を!? ばっかじゃないの!? 先生はおじさんよ? あり得ないわ!」
姫の無邪気な一言が、俺の心に深々と突き刺さる。
(……まあ、その反応が健全なんだろうが、本人の前でおじさん呼ばわりはもう少し手加減してくれ……)
俺は内心で静かにダメージを受けながら、王へ向き直った。
「ま、それぞれ立場によって見え方は違いますから。解雇の件は、もう気にしてません」
「うむ……すまぬ。まさかそのようなことになっていたとは。正しい報告すら上がってこないとは……」
王は無念そうに唇を噛みしめた。
どうやら、城の現場は相当腐敗しているらしい。
その横で、終始冷静だった王妃が静かに室内を見回す。
「ところで、このテナントは?」
ついに来るべき質問が来た。
俺は腹を括った。
ここから先は、即興で積み上げる巨大な虚構だ。
「ここは『異種族相談センター』の一号店になる予定のテナントです」
俺はできるだけ自然に、落ち着いた声を作った。
「私の提案から始まった計画ですが、姫は本気で異種族の懐へ飛び込もうとしています。教育者として、その挑戦を最後まで支える責任がありますからね」
「さすが先生! これは私たちの夢だもんね!」
「私たち」の部分だけ、王の眉がぴくりと動く。
娘を取られた父親の顔と、王としての顔が混ざった、なんとも複雑な表情だった。
しかし王妃は、その空気に流されることなく、さらに問いを重ねる。
「その割には、重い相談を行う部屋が一つしかないのですね」
「そういえばそうね……先生、なんで?」
開け放たれた区画の向こう側では、デニムとゴンザレスが死刑宣告を待つ罪人みたいな顔でこちらを見ていた。
(見ておけ、二人とも。ここが俺の正念場だ)
「予算も人員も限られたプロジェクトです。多数の案件を同時処理する余裕はありません」
俺は頭の中で必死に理屈を組み立てながら続ける。
「むしろ、この限られた空間を『交流の場』として活用することで、各種族の信頼を少しずつ積み上げる方が重要だと判断しました」
「……どうやって信頼を得るつもりなのかしら?」
王妃の鋭い視線。
その瞬間、俺はプリンの皿を静かに指差した。
「美味しいもので。……どうですか? 私の自作のプリンは」
頼む。
頼む。
頼む!
王族の舌にも、最低限の合格点だけは取ってくれ。
部屋に数秒の沈黙が落ちる。
王妃はゆっくりとスプーンを置いた。
その表情は変わらない。
だが、数秒間、無言のまま俺を見つめていた。
まるで値踏みするような視線だった。
「確かに。限られた材料で作ったとは思えない出来ですわね」
「荒川先生」
「はい?」
「この度は、城の者の邪推によって不愉快な思いをされたにもかかわらず、娘を信じ、このような場所まで用意していただき感謝いたします」
(た、助かった……!)
辻褄は繋がった。
俺は心の中で深々と息を吐いた。
だが、安心したのも束の間だった。
「父上、母上。私は城に戻りません」
姫が、空気を真っ二つに切り裂くように宣言した。
「かような邪推をする人間がいる環境では、異種族相談センターのプロジェクト遂行は不可能です! 彼らが反省文を百枚書いて提出したら、帰宅を考えます!」
「何を言っておるのだ!」
王が激昂しかける。
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
王妃が、優雅な動作で王の口を塞いだからだ。
王妃はエレン姫を静かに見つめたあと、落ち着いた声で告げた。
「わかりました。好きになさい」
「母上!」
「ただし、これは予算ゼロのプロジェクトです。王家はあなたを金銭的に支援しません」
王妃の声には、一切の甘さがなかった。
「自分で始めたことには、自分で責任を持ちなさい。よいですね?」
「はい、もちろんです。母上!」
姫は満面の笑みで答える。
「よろしい。では条件として、アリスをあなたの護衛に派遣します。これは決定事項です」
「ほんと!? アリスと一緒にいられるの!? ありがとうお母様!」
その翌日。
絶対零度の氷河よりなお冷たい瞳をした女騎士アリスは、店へやって来るなり俺へ言い放った。
「姫に無礼を働いたら、その場で斬る」
店内の空気が、一瞬で凍りつく。
俺とゴンザレスは肩を並べ、静かに天を仰いだ。
どうやら、俺の平穏なテナント経営計画は、開業前日にして完全に死んだらしい。




